決戦前夜
オーデンセの西の街道上空で模擬戦を終えた一行は、オーデンセでの馴染みの宿屋、炎の蛙に帰還していた。
夕食には少し早い時間ではあったが、一行はこのまま夕食を取り、今日は早めに休むつもりであった。
「いやぁ、空中戦って楽しかったね」
炎の蛙1階の食堂で、ヒューゴはご機嫌だった。
「ええ、私も初めての経験でしたが、あれは癖になりますね」
ディオゲネスが同意する。
「今後は通常の戦闘でもパーティー全体に飛翔状態を付与しておくことをお勧めするよ。そうすることで戦術のバリエーションはかなり広がることになるだろう」
トイフェルスドレックがディオゲネスに言った。
「はい。じつは私もそのことを今、考えていました。夢見る兵士に鳳翼飛翔陣を上乗せをするか、あるいは、鳳翼飛翔陣をベースにして夢見る兵士の能力強化を加えようかと考えていたところです」
「そうか。すでに気づいていると思うが、鳳翼飛翔陣にはそもそも神速付与の効果がある。そこにその他の能力強化を加える方が効率は良いだろう」
トイフェルスドレックが教師のようにディオゲネスに答えた。
神速とは最上級の速度強化状態を指す言葉である。
つまり、そもそも鳳翼飛翔陣には夢見る兵士を超える速度強化の効果が含まれていたということなのだ。
ただ模擬戦では一行にその認識もなく、飛翔自体に不慣れであったことから、その効果を完全に発揮できたのはバキエルだけであった。
しかし今後の熟練次第では、皆が文字通りの神速を身に付けることになるであろう。
「やはりそうでしたか。ではそうさせて頂きます」
ディオゲネスはそう答えたが、当然、その場で魔法書を開くようなことはしない。
次回、発動するときまでには術式を完成させていることだろう。
「恐らく、ギルドからも空中戦を得意とする部隊が派遣されて来るだろうな。疾風のカルラも確か空中戦を得意とすると聞いたことがある」
グィードがアルフォンスの方を向きながら言った。
「ええ、確かにギルドには空中戦に特化した部隊がいくつか存在します。そして最高師範カルラは、二つ名の由来でもある疾風の名を冠した専用の装備で身を固め、単独での飛翔を可能とすると言われています」
アルフォンスが答えた。
「そうか。そいつは楽しみだな」
グィードが美髯を撫でながら言った。
「ところで、これまでこそこそ暗躍していた偉大なるネズミの王が、突然、こんな大胆な行動に出た理由に、なにか心当たりはあるか?」
グィードはバキエルに尋ねた。
「はっきりとしたことは解りませんが、恐らく、私以外の強力な魔族の後ろ盾を得たのだと思います」
「つまり、おまえの兄弟たちのうちのだれかということか?」
「はい。恐らく」
「それで、奴らの目的は?」
「一言で言えば、いつでもリロイの目的は魔王を復活させることです。そしてその報いとして、できるだけ高い魔族としての爵位を受けること。あいつの頭にあるのは、いつもそれだけです。ただ、その背後にいる者の目的となると、そう単純ではないかも知れません。兄たちは必ずしも一枚岩というわけではなく、魔王の復活自体にはあまり興味がない者たちもいますから」
バキエルが深く考え込むような顔でそう答えた。
「魔王の復活意外の目的とは、例えば何なんだ?」
グィードが重ねて尋ねる。
「そうですね。中には魔王抜きでこの世界を支配して、神々さえも打ち負かそうという者もいますし、ただこの世界で気ままに過ごしたいというだけの者もいます。そして、ただの退屈しのぎに人間の国を亡ぼしたり、陰で支配して自分の欲望を実現しているような者たちもいます」
バキエルの言葉を聞いて、一行の顔に恐れとも怒りともつかない表情が浮かぶ。
「いずれにせよ、ここまではっきりと人類に宣戦布告をしたからには、全面戦争を開始する気が満々なのは間違いありませんね」
「つまり、相手を殲滅するまで、この戦いは続くということだな」
トイフェルスドレックが確認するように尋ねた。
「はい」
「まあ、シンプルでいいじゃねぇか。今度こそ偉大なるネズミの王の野郎もコボルトの王も、ゴブリンの王とオークの王も、みんなまとめて地獄に送り返してやるぜ」
グィードが威勢よく言った。
「そして、世界の危機を救うんだ!」
ヒューゴが言葉を継いだ。
「よくぞ言いました。さすがは我が孫です」
いつの間にか人間の姿になっていたウァサゴが嬉しそうに称賛した。
「私も明日からの戦いが楽しみだわ」
これもまた、いつの間にか美しい女の姿でムスターファの後ろに立っていたグレモリーが言った。
店内の客たちの一部は怪訝そうな顔で一行の方を気にしていたが、それがグィードたち一行だとわかると表情を緩めた。
オーデンセの街では、すでに一行はちょっとした英雄扱いであったから、彼らの身の回りで不思議なことが起こったとしても、それは不吉なことではないと、皆が理解していたのだ。
気が付けばバキエルの背後には双魚宮のチグリスとユーフラテスが立って微笑んでいる。
その様子を見てトイフェルスドレックは、明日戦うことになる敵を憐れまずにはいられなかった。
今、その場に集合しているのは、間違いなくこの世界で最高の戦力の一つであったからである。
この一行に匹敵する戦力が他にあるとすれば、それはギルドの最高師範6人によって構成されたパーティーであろうが、そのようなパーティーは、これまで一度も組まれたことはない。
言わば幻のパーティーなのである。
そしてトイフェルスドレックは、明日到着するカルラは、この一行を見てどんな顔ををするだろうかと、意地悪な想像に胸を膨らませていた。
トイフェルスドレックにとって最高師範たちは、言わば優等生的な教え子たちであった。
対してグィードのような在野の英雄たちは、友や同士といった感覚がある。
そのどちらもが、世界の安定のためには必要な存在なのであるが、見ていて楽しいのはグィードのような者たちであった。
なにしろ彼らは、少し目を離している間に、驚くほど成長するのである。
それから一行は、運ばれて来た豪華な食事を心行くまで堪能した。
「さあ、明日に備えて、今日はゆっくり休もう」
食事が終わるとグィードが提案して、一行は2階の客室に移動して床に就いた。
ヒューゴはその夜、夢を見た。
それは幼い時にはよく見た母親スカーレットの夢であった。
顔ははっきりとはわからないが、きれいな赤髪の女性が幼いヒューゴを抱いて子守唄を歌っている。
「かわいいヒューゴ。あなたを愛しているわ」
そこに突然、黒い影がやって来た。
それは巨大な鴉であった。
その巨大な鴉が母親を襲い、攫ってしまった。
ヒューゴは独り、その場に取り残された。
それはもう幼いヒューゴではなく、現在のヒューゴの姿であった。




