バキエルの話、そして帰還
この世界の真の歴史の一端が少しずつ明らかにされて行きます。この世界観もお楽しみ頂ければ幸いです。
コボルトの王の城の地下修練場は、今や静まり返っていた。
「結局今回もコボルトの王の奴は取り逃したな」
グィードが誰にともなく口にした。
「あの様子だと、リロイもすでにここにはいないだろうね」
バキエルが天気の話でもするかのようにあっさりと答えた。
「バキエルがこちらに付いたと聞いて、完全に戦意を失っていましたね」
ディオゲネスがそう言って同意する。
「まあね。でも、僕が敵に回ったことがわかれば、リロイやゴーモトは兄たちのもとに、それを知らせるだろうね」
「兄たち、か。ところでおまえの兄弟はいったい何人こちらに留まっているんだ?」
グィードが尋ねた。
「さあ、僕たちもそれぞれ自立してからかなりの時が過ぎているからね。僕がはっきりと所在を知っているのは、すぐ上の兄ガムビエルと、ハマリエル姉さんだけだよ」
バキエルがガムビエルという兄の名を口にした時、そこに僅かに侮蔑の響きが含まれていたことにグィードは気づいた。
しかしそれには敢えて触れず、その代わり別のことを口にした。
「そうか、バキエルには姉さんがいるのか」
「ああ、僕には3人姉さんがいるんだ。一番下がハマリエル姉さん。真ん中がムリエル姉さん。一番上のアムブリエル姉さんは最強の魔族の一人と言われているよ」
最強の魔族という言葉に、一行は一瞬不吉なものを覚えたが、誰もそれを口には出さなかった。
「ところでグィード、俺たちはこれからどうしたらいいのかな?」
ヒューゴが訪ねた。
「そうだなぁ、コボルトの王の奴を追いかけてもいいが、あの様子だと、もうこの城にはいないかも知れないなぁ」
「オートヴィルのことも気になりますし、向こうでもこちらの心配をしているかも知れません。一端帰りましょうか?」
ディオゲネスが提案した。
「そうか、いよいよ地上に出られるんだね。何千年振りだろう」
そう言ってバキエルが目を輝かせた。
「何千年振り?400年前の魔王戦役の時には地上に出なかったのですか?」
ディオゲネスがバキエルに訪ねた。
「ああ、僕は地上の覇権とか神々への復讐ということには、余り関心がないからね。そういうことは兄さんたちや魔王に任せているんだ」
「そうでしたか」
ディオゲネスはそう答えたが、永遠のいのちを持つ魔族たちの考えや行動というのは、やはり自分の理解を超えているものだと、改めて考えさせられた。
ところで、創世神話では魔王は地中深くに封じられ、人間は永遠のいのちを失ったはずであった。
ではなぜバキエルたち魔族は永遠のいのちを持ち続けているのであろうか。
ディオゲネスはバキエルにそのことを質問した。
「僕はそもそも、その創世神話というのを知らないんだけど、多分それは、誰かが後から都合よく考え出したものだろうね。実際に烙印を施されて永遠のいのちを失ったのは、原初の戦いの際、我々に与せず神々の側に着いたイマとその一族だけだよ。それに僕の認識だと、あれは一方的な呪いというよりは一種の契約だった」
バキエルはここで一呼吸を置いて話を続けた。
「原初の戦いに勝利した神々は、イマの一族の中から第二の魔王が現れるのを恐れた。そこで神々は、当初はイマの一族も滅ぼし尽くそうとしたんだ。でも、憐れみ深い創造主はそれを許さなかった。そこで神々は、イマの一族に烙印を施し、神々への信仰と服従を求めたんだ。そしてその代わりに神々は、イマの一族に加護を与え、僕たち魔族の復讐から彼らを守護するという契約を結んだ。それ以来ずっと、地上ではイマの一族が覇権を握っている、というのが僕の認識だ。もちろんこれだって、ごく限られた情報の中から僕がそう考えているという、歴史的な事実の一側面に過ぎないのだけど」
バキエルの話は、ディオゲネスや、この時代の多くの人々が信じているこの世界の歴史とは、大きく異なってた。
しかし、それを語ったのがバキエルであり、バキエルが原初の魔族の一人であるという事実を、一行は完全に受け入れていたために、その話が真実であることもまた受け入れざるを得なかった。
「神々はなぜ、魔族にも烙印を施さなかったんだ?」
グィードがバキエルに、さらに訪ねた。
「さっきも少し話したけど、もともと人間の魂には神々にも匹敵する大きな力と可能性があるんだ。だからたとえ神々と言えども、人間に無理やり烙印を施すなんてことはできないんだ。神々にできたのは魔王の肉体を滅ぼして魂を地獄に封印することだけ。それから魔王は何度も復活し、その度に神々の加護を受けた英雄たちに滅ぼされてきた。だけど、魔王を完全に滅ぼすことは誰にもできなかったんだ」
「神々の加護とは、私たちが聖霊の加護と呼んでいるものと一緒なのでしょうか?」
ディオゲネスがバキエルに訪ねた。
「さあ、それは僕の範疇を超えた事柄だよ」
「確かに」
ディオゲネスは納得したように短く答えた。
「いずれにせよ、一度オートヴィルへ帰りましょうか」
「そうだな。おっと、その前に」
そう言ってグィードは、腰袋から何かを取り出してディオゲネスの目の前に示した。
グィードの掌には、2つの少し大きめの指輪が並んでいた。
それが妖精の指輪であることは、その場にいる全員に一目でわかった。
「これはおまえに任せるのが一番だと思うんだが」
グィードはディオゲネスの目を見て、そう言った。
「これは私たちにも使えるものなのでしょうか?」
ディオゲネスはバキエルの顔を見ながら訪ねた。
「うん。それは単なる道具に過ぎないからね。ゴーモトが造ったものにしては確かに良くできているよ。それを造れたお陰で、魔王はゴーモトを魔族に取り立ててやったくらいだ。結局その称号は、その後の失態のせいで剥奪されてしまったけどね」
「具体的には、これはどういう道具なんです?」
ディオゲネスはさらに尋ねる。
「一言で言えば、それは魔力の増幅器なんだ。その指輪は使用者の魔力を、一気に数倍にまで引き上げるんだよ」
「じゃあ、バキエルもこの指輪を使えば、もっと強くなれるの?」
ヒューゴが興味津々に尋ねた。
「うーん、確かにそうかも知れないけど、僕にはもっといい玩具が沢山あるからね。それは君たちにあげるよ」
バキエルはあっさりと答えた。
「わかりました。ではこれは、私とアーシェラが使うことにしましょう」
そう言って、ディオゲネスはグィードの掌から二つの妖精の指輪を取り上げ、一つをアーシェラに渡し、一つを自分の右手の中指に装着した。
すると、少し大きめであったはずの妖精の指輪は、ディオゲネスの指にぴったりの大きさに縮小した。
アーシェラもまた、指輪を装着した。
ディオゲネスとアーシェラは、指輪を装着した瞬間に、その使い方と効力を完全に把握することができた。
それもまた、妖精の指輪の能力なのである。
それから一行は、ディオゲネスが展開した時空の歪みを通って、オートヴィル城の地下に設置した時空の扉へと帰還した。




