魔族大公バキエルの願い
久しぶりに会話中心の場面が続いていますが、私はかなり楽しんで書いています。ご一緒にお楽しみ頂けましたら幸いです。よろしくお願いします。
やがて一行はその森に辿り着いた。
その森は鬱蒼とした森ではなく、木々の間隔が程よく空いているため、森の中も明るかった。
森に入りしばらく歩くと、川のせせらぎが聞こえた。
そして、さらに一行が歩みを進めるとなんとも言えない芳しい香りが一行の鼻を刺激した。
するとレーナが口を開いた。
「聖典の中の寓話に出てくる歓びの園みたいだわ」
「本当に、これで美しい女王でも現れたら、まさにそんな感じですね」
ディオゲネスが同意した。
ちょうどその時、一行の前方に開けた景色が見えてきた。
そこは広大な、よく管理された庭園であった。
いくつもの花壇に種々の花が咲き乱れ、その花壇を囲むように果樹が植えられている。
そして園の中央には天使や様々な伝説上の生き物を象った白亜の彫像を用いた噴水を持つ、かなりの広さの泉が設けられていた。
「ようこそ、輝きの森へ。勇敢な冒険者諸君!」
それは美しい少年の声であった。
一行が声のほうを振り返ると、そこには白亜の東屋があり、長椅子に三人の人影が腰掛けていた。
二人の美しい女に挟まれて、さらに美しい少年が微笑んでいた。
女たちの美しさは、どこか作り物めいており、ウァサゴやグレモリーと似た雰囲気を持っている。
その二人が精霊であることが、一行にはすぐにわかった。
必然的に、その真ん中に座す少年の正体も一行にはわかる。
一行が東屋に歩み寄ると三人は立ち上がった。
「おまえがバキエルか?」
グィードが鷹揚に尋ねた。
少年が美しい微笑みを浮かべて答える。
「僕の名前を知っていてくれたなんて、光栄だなぁ」
透き通るような白い肌と深い水底を思わせる髪と瞳の色が印象的だった。
一瞬の間を置いて、少年は続ける。
「そう言えば、そちらにも精霊がいるんだったよね。確か名前はウァサゴとグレモリー」
ウァサゴとグレモリーは、今は人間の姿で一行に従っていた。
「私などの名前をご承知頂いているとは光栄です。以後お見知りおきを」
ウァサゴがそう言いながら恭しくお辞儀した。
「お久しぶりです。大公殿下」
グレモリーもまた深々とお辞儀をする。
するとバキエルが思い出したように言葉を発した。
「ああ、君とは確か、以前会ったことがあるんだったね」
「はい。殿下がまだご幼少の砌に一度だけ」
グレモリーが恭しく答える。
「そうか。その頃はまだ、僕たちが魔族だなんて呼ばれる前だね」
「はい。気が遠くなるような、遥かな昔のことです」
一行は、自分たちの想像を遥かに超える存在同士の会話と、その内容の奇妙さに、口を挟むこともできない。
「ウァサゴは実際に会うのは初めてだね。噂は予々聞いているよ。精霊たちの中でもずば抜けた力を持ち、しかも人間たちをこよなく愛している者、比類無き人類の守護者だとね」
その言葉を聞いて、一行がウァサゴの顔を見つめる。
「それは買い被りです、殿下。私はただ創造主のご意志に従っているだけですので」
そう言ってウァサゴがニヤリと笑う。
「魔族である僕に対して創造主のご意志とは、ずいぶん耳の痛いことを言ってくれるね。さすがはウァサゴ、僕のことをまったく恐れていないということか」
そう言って、バキエルは心から愉快そうに笑った。
「敵対する意思のない者を恐れる必要はありません。そうではありませんか?殿下」
「ウァサゴはなんでもお見通しなんだね」
バキエルが答える。
「滅相もない。ほんの少し他の者よりも目先が利くだけのことです」
「どういうことだ?ウァサゴ」
そこでやっとグィードが口を挟んだ。
「バキエル殿下は我々を害する気はないということですよ。少なくとも今、この場所においては」
ウァサゴがグィードに答える。
「なるほど。その気があれば、我々がここにたどり着く前にそうしていただろうということですね」
そうディオゲネスが、自分の推測を述べた。
「まあ、そんなところです」
そう言って、ウァサゴはまた微笑む。
「それで、私たちをここに招き入れてくださったのは、いったいどういう目的があったのでしょう?殿下」
「招き入れたって?俺たちが勝手にここまでやって来たんじゃないか」
ヒューゴが疑問を口にする。
「ヒューゴ、思い出してください。暗い森でのことを。コボルトの王でさえ、その城に防衛機能を施していたのです。今回、私たちがまったく迷わずにこの園まで辿り着けたということは、私たちは殿下にお招き頂いたということですよ」
バキエルはそのやり取りを愉快そうに聞いている。
「そうか。それじゃあバキエル、俺たちにいったいどんな用があったの?」
ヒューゴがバキエルに尋ねた。
バキエルは笑いながらウァサゴに向かって言った。
「面白い少年だね」
「はい。これが現在の私の契約者ヒューゴです」
「へえ、じゃあこの少年が今回、世界を救っちゃうんだ?」
バキエルが興味深そうに、ウァサゴに尋ねた。
「はい。少なくとも、私はそう確信しています」
一行はそれを聞いてウァサゴの顔を凝視した。
これまでちょっと変わった、いや、かなり変わった謎の精霊だと思っていたウァサゴが魔族の大幹部から人類の守護者と呼ばれ、今はまた、ヒューゴのことを世界を救う者だと請け合ったのだ。
バキエルは、ますます興味深そうにヒューゴを見つめた。
「そうか、ではひとつ質問があるのだけどヒューゴ」
バキエルが改めてヒューゴの目を見ながら言った。
「なんだい?」
「君はなんのために旅をしているんだい?」
一瞬考えた後で、ヒューゴはその質問にはっきりと答えた。
「母さんを、母さんを探し出すために、俺は旅をしているんだ」
その答えを聞いた時、バキエルは一瞬、驚いたような顔をして、続いて心から嬉しそうに微笑んでこう答えた。
「そうか。君もお母さんを探しているか」
そう口にしたバキエルの美しい瞳は涙に滲んでいた。
バキエルの両脇に立つ二体の精霊もまた、涙を流していた。
レーナは精霊も涙を流すのかと驚きつつも、そこに真実の心の交わりがあることを感じ取っていた。
精霊にも心があるということを、レーナは改めて知った。
一行もまた同様の感慨を抱いていた。
しばらくの沈黙の後、ディオゲネスが口を開いた。
「それで、私たちを招き入れた目的はなんだったのでしょう?バキエル殿下」
ディオゲネスもまた、バキエルを殿下と呼んだ。
そしてそれは、皮肉でもなんでもなく、純粋な敬意からであることが一行にもわかった。
「人間にまで殿下と呼ばれたのは初めてだよ。そう畏まらないでいい、僕のことはこれからバキエルと名前で呼んで欲しい」
そう言って、バキエルは笑った。
「君たちを招き入れたのは、ただ君たちと少し話をしてみたかっただけなのだけど、今、気が変わった。僕を君たちの仲間にしてくれないか?」
その言葉を聞いて、ウァサゴでさえ驚きを隠しきれない顔をした。
「仲間だと?だっておまえは魔族じゃないか。魔王の息子なんだろ?」
グィードが黙っていられず、捲し立てるように質問した。
「ああ、でもだからと言って僕は、人間を憎んではいない。じつは僕も母さんを探しているんだ。そして、君たちと一緒に旅をしていれば、きっと僕は母さんに会えるような気がするんだ」
バキエルが曇りのない瞳でグィードを見つめて答えた。
「だがおまえは、偉大なるネズミの王を使って、俺たちを滅ぼそうとしていたんじゃないのか?」
グィードが重ねて尋ねる。
「ああ、それはご解答なんだ。リロイの目的は魔王の復活で、僕は魔王が復活すれば母さんの居場所を知っているかもしれないと思ったから、リロイにちょっと協力してやっただけなんだ。リロイはきっと暗躍を続けるだろうけど、それはもう、僕とはなんの関わりもないものと思って欲しい。駄目かな?」
「駄目かな?って言われてもなぁ」
グィードが困ったように一行を振り返った。
すると、ヒューゴがはっきりと宣言した。
「駄目じゃない!バキエル、一緒に行こう!」
こうして、魔族大公バキエルと原初の精霊と呼ばれる黄道十二宮の双魚宮、チグリスとユーフラテスがヒューゴたち一行に加わることになったのであった。
ウァサゴはこれもまたヒューゴのうちに働く自身の加護、名も無き英雄たちの能力、英雄の絆の効力であることを確信していた。
それにしても、魔族までも仲間にしてしまうとは、自身のうちから生まれた能力ながら、その予想を遥かに上回る効果にウァサゴは興奮を覚えていた。




