迷宮の秘密
「その前に片付けなくちゃならない問題がある」
そう言ったグィードは、とりあえず酒場を閉めてヒューゴを含めた四人に、二階の客室へ移動するように促した。
そこでグィードが語ったのは、だいたい次のような内容であった。
この村の北西には、近隣の冒険者や村人たちの間で、ゴブリンの迷宮と呼ばれる迷宮がある。
そしてその迷宮の低階層には、その名の通りゴブリンたちの住処があり、最下層である八階層まで行くと、キマイラやレッサーデーモンと言った中級の魔物が生息しているとのことだが、ここまでは大きな問題はない。
問題は、八階層には強力な魔法によってカモフラージュされた秘密の部屋があり、そこには災厄級の存在が封印されているということだった。
グィードはまずそれを、敢えて「災厄級の存在」と呼んだ。
つまりそれは、魔物ではないのだ。
「そいつの名前はウァサゴ、かつて俺の妻でありヒューゴの母親であるスカーレットと契約していた精霊だ」
精霊とは、エルフの精霊使いが使役する精霊とは別系統の存在であり、もともと存在する世界自体も異なる。また精霊を呼び出し、使役する者は、召喚師、あるいは契約者と呼ばれる。
そして、召喚師や契約者は、精霊使いよりもさらに稀少な存在であり、ほとんど伝説級の存在と見なされている。
また創世神話によれば、魔王こそ、原初の召喚師にして契約者であり、七十二柱もの精霊を使役していたとも伝えられている。
曰く、魔王は精霊との契約によって得た大きな力に高ぶり、創造主に反逆した。
そのような、伝説級の存在が実在していること自体に、四人は驚きを隠せなかった。
また、グィードの妻であるスカーレットが契約者であったとすれば、かつてそのパートナーであり、死の天使と渾名されたグイードもまた、伝説級の実力の持ち主に違いないということが推測された。
そしてそれは、ヒューゴにとっても大きな衝撃であった。
もちろんヒューゴは、これまでもグィードを尊敬してきたし、元盗賊ギルドの幹部と言えば、並みの冒険者ではなかったのだろうとは想像していた。
しかし、それはあくまでも一般的に考えた上でのことであって、死の天使という渾名だとか、母親が伝説級の契約者などという話は、これまで一度も聞かされて来なかったのである。
「ごめんよ、グィード。でもまさか、これもいつものほら話、って落ちじゃないよね?」
ヒューゴは、思い余って訪ねた。
グィードは酔っぱらうと、酒場の客たちに面白がって、冒険者時代のほら話をすることで有名であった。
それは、山のように巨大なドラゴンと戦っただとか、巨人たちの国へ行って巨人の王と親友になり、その加護として怪力を身につけたであるとか、そういった種類の話だ。
そこでグィードは、村では「ほら吹きグィード」と呼ばれて親しまれていた。
しかし、今の話が本当であれば、逆に客たちが「ほら話」と呼んでいたものが、本当の話だったのかも知れないと、ヒューゴは考え出していた。
「悪いな、ヒューゴ。これは本当の話だ。今まで黙っていて、悪かったなぁ」
そう謝るグィードは、心から済まなそうな顔をしている。
そのことでヒューゴに嫌われるのではないかと、心から恐れているようだった。
「それで、片付けなくちゃならない問題というのは、その封印されている精霊と関係があるんですね」
アルフォンスがグィードに話を続けるように促すが、「封印されている」という部分をあからさまに強調している。
自分の心に広がる悪い予感を、なんとか安心する材料を見つけて払いのけようとしているのだ。
「ああ、そもそも俺とスカーレットがこの村に移り住んだのは、そいつの封印を見張るためだった」
「でもどうして、そのウァサゴという精霊は封印されることになったんです?スカーレットさんと契約していたってことは、あなたがたの味方だったはずじゃないですか?」
これまで黙って話を聞いていたディオゲネスが、グィードに尋ねた。
アーシェラは相変わらず、黙って皆の話に耳を傾けている。
この五人の中で、最も長く生きているのはアーシェラであったから、思うところは多くあるのだろうが、まずは情報を整理することに努めているのかも知れない。
エルフってのは本当に謎の多い種族だと、グィードはふと考えた。
「そうだなぁ。何から話せばいいのか」
グィードはそう言って、しばらく黙考した後、自分の記憶を探るようにして語り出した。
「スカーレットがそいつと契約したのは、あいつがまだ十歳にもなっていない頃のことだったと言っていたが、契約条件はあいつの純潔だったんだと」
グィードは面白くもなさそうに言った。
そういうことかと、三人の冒険者たちは納得した。
つまり、スカーレットがグィードを愛し結ばれたことが、契約破棄の理由なのである。
ただヒューゴだけは、やはりまだ置いてけぼりの状態であった。
なにしろ、精霊とか、召喚師や契約者という話でさえ、まだ消化しきれていないのだ。
しかしグィードは、とりあえず話を続ける。
「そのウァサゴっていう精霊が、少し変わり者でなぁ。どうやらそいつは、スカーレットに恋をしていたらしいんだ」
「故意?ああ恋ね。へぇ~恋をしていたんだ」
ヒューゴは上の空で相槌を打つ。
グィードの口から予想外の言葉ばかりが飛び出すので、ヒューゴはもはや、深く考えることを止めていた。
しかし、ディオゲネスには思い当たることがあった。
古代の神話や伝説のなかには、時々そういうことが書かれている。
多く場合、精霊たちは人間に召喚されて、契約に従ってその願望を叶えるのであるが、時として召喚者の性質やその周囲の人間に影響されて、契約にはない行動を取ったり、契約終了後も、こちらの世界に留まって独自の活動を続けることがあるのだ。
それは彼らが上位の霊的存在であり、人間に近い精神構造を持っているためであるとも言われている。
「そもそもそいつ、ウァサゴは、スカーレットの故郷である小国を滅ぼすために召喚された、複数の精霊のうちの一体だったらしい。そしてウァサゴは、その使命を遂行している最中に、スカーレットと出会った。いったいなにがウァサゴをそんな行動に走らせたのか、俺たちには知るよしもないが、どうやらウァサゴは、自分からスカーレットに契約を持ちかけたようだ」
そこは戦場であった。
あるいは、複数の強力な精霊たちによって、一方的に破壊と殺戮が行われていただけなのかも知れない。
スカーレットには、その時の記憶がほとんどないのだ。
ただ住み慣れた街が、激しく燃えている情景だけを覚えている。
炎に囲まれて一人で泣きながら立ち尽くす少女の元へ、そのとき恐ろしい何かがやって来た。
少女がそれを恐ろしいと思うと、それは姿を変えた。
それは美しい人間のような姿をしていたが、人間ではないことを少女は知っていた。
「怖がらなくていい。私の仕事はもう終わった」
とその美しいものは言った。
「お父様もお母様も、みんな居なくなってしまったの」
と少女は言った。
「そうか。それがおまえは悲しいのか?」
と美しいものは、それが本当に不思議なことでもあるように少女に訊ねた。
少女は、なんと答えれば良いのか解らなかったので、黙っていた。
すると美しいものは、思いついたようにこう言った。
「何か願いがあれば叶えてやろう。ただし交換に、おまえの大切なものを私も貰うが」
少女は「大切なもの」という言葉を聞いて、いつも母親に言われていたことを思い出した。
「よいですか。王女にとって最も大切なものは、純潔ですよ。あなたがお嫁に行くまでは、それを絶対になくしてはいけません」
母親が、どのような意味でそう言っていたのかは、少女には解らなかった。
ただ母親は、口を開けばその言葉を繰り返していた。
そんなことを思い出していると、美しいものが微笑んで言った。
「面白い。では私は、おまえの純潔を貰うことにしよう。さあ次はおまえの番だ。何でも望みを言え。私が必ずそれを叶えてやろう」
その時、少女の心からいつくもの想いが溢れ出し、口からこぼれ出た。
「もう寂しいのは嫌。お願いだから、だれでもいいから、ずっと私の側にいて。そして、私を守って。私はもう、なにも失くしたくないの」
「いいだろう。契約は成立だ。ああ、私としたことが、名乗るのを忘れていたようだ。我が名はウァサゴ。これからはずっと、私はおまえの側にいることにしよう。おまえの純潔が、私のものである限り」
美しいものはそう言って、また優しく微笑んだ。
「それから十数年、ウァサゴはスカーレットの保護者であり、友であり、また師であり続けた。あいつと俺が出会うまではな。まあ、この話はこれくらいでいいだろう」とグィードは勝手に話を締めくくった。
「全然良くないよ。まだまだ全然、謎ばっかりじゃないか」
ヒューゴはそう言いたかったが、グィードにこれ以上話す気がないことが解ったので、その言葉を飲み込んだ。
他の三人も、その件ついてはグィードにそれ以上なにも訊ねなかった。
その代わりに、アルフォンスは別の質問をした。
「それで、俺たちはこれから、なにをさせられるんですか?」
答えはだいたいわかっていたが、一応確認してみたかったのだ。
「俺はなぁ。スカーレットと二人で、一生あの迷宮を見張って、それでヒューゴと三人で、家族みんな幸せに暮らして行けるなら、それでいいと本気で思っていたんだ。だがそれは間違っていた。俺がこの村に引きこもっている間に、気が付けばスカーレットは行方不明だ。ヒューゴを冒険者として、ひとりで旅立たせる?本当は俺だって、一緒に行きたい。どこまでも一緒に行って、俺の手でヒューゴを守ってやりたい!だから、ウァサゴとは決着を着けて、それからヒューゴと一緒に村を出て、スカーレットを探し出す旅に出ることにした。おまえたちにはそれを手伝って貰う。そうしなきゃ俺はおまえたちと王都に行くことができないんだから、おまえたちに選択の余地はない。おまえたち三人が束になっても、スカーレット一人の戦力には到底及ばないが、まあ俺に任せておけ。考えはある。さっさとウァサゴのやつをぶっ倒して、迷宮の秘密なんて、初めから無かったことにしてやるさ」
グィードはそう一息に捲し立てた。
言っていることはメチャクチャであるし、さりげなく脅迫するような言葉が紛れ込んでいたが、アルフォンスはすでに、この男と一緒なら、どんなことでもできるような気になっていた。
出会ってから、まだ数時間も経っていないというのに、もう何年も前からの親しい友人だったような気がしてくる。
そしてこの男のためになら、どんな危険を冒しても惜しくないと感じている。
「これは危険な男だ」とアルフォンスの自己防衛本能が警告するのが聞こえる。
自分がギルドの中で頭角を現し始めた頃、先輩の冒険者に「アルフォンス、おまえは危険を冒さない男だ。だからこそパーティーのリーダーを任せることができる」と言われたことを思い出す。
しかし次の瞬間、アルフォンスの口から出た言葉は次のような言葉だった。
「解りました。伝説の冒険者、死の天使と共に迷宮の秘密とやらを、ぶっ潰して遣りましょう」
ディオゲネスとアーシェラは、アルフォンスの言葉を聞いて互いに顔を見合わせる。
アルフォンスは、感情やその場の雰囲気で動くタイプではない。
そのことは、これまでに何度か共に旅をした経験から、二人ともよく知っていた。
またアルフォンスは、自分自身のことはともかく、仲間を危険にさらすことを可能な限り避ける性質であった。その性質が買われて、これまでもギルドの多くの依頼でパーティーリーダーを任され、高く評価されてもいた。
しかし、ディオゲネスとアーシェラは、今のアルフォンスの方が、さらに好ましいと感じていた。
なぜなら二人とも、アルフォンスと同じ気持ちであったからだ。
後にディオゲネスは、グィードを評して「天性の人たらし」と語っているが、彼もまたこの時から、グィードの天性の魅力に惹きつけられた一人なのであった。