アガレスとトイフェルスドレック
「さあ、トイフェルスドレック。これから俺たちはどうしたらいい。狡賢いおまえのことだ、ザムジードが魔王の依代だってことも織り込み済みなんだろ?」
「まあな」
トイフェルスドレックはそう答えると数秒の間をおいて、それから目に見えない相手に呼びかけるように口を開いた。
「居るんだろ?アガレス、そろそろ姿を見せたらどうだ」
それを聞いてザムジードは、やはりこの遍歴の大魔導士にはすべてがお見通しなのだと思った。
そして、数時間前であれば、それを脅威に感じるはずであったのに、今は頼もしく感じている自分に気づいた。
数秒の沈黙の後、ザムジードの腰の剣から白い煙のようなものが流れ出て、それがそのまま白い人の形を取った。
それは髪も瞳も雪のように白い美しい人型、しかしそれが人間ではないことは、その場にいる全員に理解できた。
「久しぶりだな。人間の大賢者よ」
白く美しい人型、アガレスがトイフェルスドレックに微笑みかけた。
それは息をのむほどに美しく、また妖しい微笑みであった。
「精霊だな」
グィードがトイフェルスドレックに確認するように口にした。
「左様。偉大なる魔王様の友にして第一位の精霊アガレスだ。人間の勇者よ。以後お見知りおきを」
そう言うと精霊アガレスはグィードに対して恭しく礼をした。
それを見てヒューゴが口を開いた。
「ウァサゴそっくりだね」
髪や瞳の色が異なるために、一行はすぐには気が付かなかったが、そう言われてみるとアガレスは、目鼻立ちはもちろん、身長や体型もすべてウァサゴそっくりであった。
すると一行の背後から唐突に声が発せられた。
「そうですか?私の方がはるかにイケてると思うのですが」
一同が声のした方に振り返る。
それはウァサゴであった。
ウァサゴはスカーレットに歩み寄り、小さい子どもにでもするように両腕を広げて抱擁に招いた。
「私の可愛いスカーレット、やっと再会出来ましたね。さあ、遠慮なく私の胸に飛び込んで来てください」
しかしスカーレットは招きには応じず、呆れたようにこう言った。
「そういうところ、全然変わってないわね」
ウァサゴが心から残念そうにうなだれる。
するとアガレスが、やはり美しい微笑を湛えながらウァサゴに声を掛ける。
「久しぶりだな、ウァサゴ」
「お元気そうで何よりです。相変わらずご苦労をされているようですね」
ウァサゴもまた、負けず劣らずに美しい笑顔で答えた。
「なに、創造主の御心に従っているだけのこと」
アガレスが答えた。
「さて、話の腰が折れてしまったが、これからのことを相談したい」
そう言って、アガレスとウァサゴの間に割って入ったのはトイフェルスドレックであった。
「そうだな」
アガレスが答える。
ウァサゴは少し不本意そうに沈黙した。
その時、再び口を開いたのはグィードであった。
「ちょっと待て、なんで敵である魔王の精霊とおまえがそんなに親しそうなんだ?」
トイフェルスドレックが、面倒くさそうな顔をグィードに向けて答える。
「話せば長くなる。だから今は黙って私に任せろ。さっきも言っただろう。何が起こっても私を信頼してくれと」
グィードは一瞬考え、それから不本意そうではあったが「分かった」と短く答えた。
気を取り直したようにアガレスが話を進める。
「それではまずザムジードに尋ねたいのだが、おまえはガムビエルの元を離れて、人間たちと共に行きたいと考えるか?」
その問いがあまりにも意外であったために、ザムジードはすぐに答えることが出来なかったが、数秒の間を置いて、何とか次のように答えた。
「そんなことが許されるのか?」
「そうだな。だからと言って、おまえが魔王様の依代であるという事実は変わらん。私の目的は唯一つ、魔王様の復活であってガムビエルはその協力者の一人であるに過ぎん」
それはこれまで、ザムジードが想像もしていなかったことであった。
「そうか。それでは俺はグィードたちと行きたい。私は今や、ガムビエル様にとっては裏切り者なのだから」
「分かった。では私もこれからおまえたちと共に行くことにするが、その前にこの城の地下にある魔王様の遺物を回収しなければならない」
「遺物?」
興味津々にそう尋ねたのはヒューゴであった。
「ああ、ガムビエルはザムジードを依代に魔王様が復活された暁には、その遺物を献上して、ご機嫌取りをしようと考えているようだが、あれはもともと魔王様のものだからな」
「それでその遺物って具体的にはどういうものなの?」
ヒューゴが興奮気味に、重ねて尋ねる。
「あの時の剣か?」
出し抜けにそう言ったのはグィードであった。
「覇剣・神聖喜劇、ガムビエル様はそう呼んでいた」
そう口にしたのはザムジードであった。
「そうだ。昔おまえが深淵の牢獄から持ち帰ったあの剣だ」
アガレスがそう答えた。
「そう言えば、あの時にはおまえと、確かそちらの女も一緒だったな」
アガレスがグィードとスカーレットの顔を交互に眺めながら続けた。
ザムジードとグィード、そしてスカーレットの脳裏に若かりし日、共に深淵の牢獄を探索した日々の記憶が蘇った。
同時にあと二人、共に冒険をした者たちのことも思い出された。
宮廷道化師見習いのファルークと宮廷司祭のバルサラ、二人はその後、それぞれ正式な宮廷道化師と宮廷司祭長となり、王宮に仕えているはずであった。
「すべてはあの時から始まっていたのね」
スカーレットがつぶやくように口にした。
「いや、すべてはファールーシ滅亡の日から始まっていたのだ」
ザムジードが苦々しく口にした。
そしてその時ザムジードは自分の心に、祖国ファールーシを滅亡に追いやったガムビエルに対する復讐心が、大蛇のように首をもたげるのを感じた。
「そうね。あなたはそれから長く辛い日々を過ごしてきたのだものね」
スカーレットはザムジードに同情するようにそう言った。
スカーレットもまたザムジード同様、祖国をガムビエルに奪われたのであるが、幸か不幸か、その細かい記憶は失われていた。
スカーレットの記憶は、ウァサゴとの出会いから始まっているのである。
だから当初、ザムジードからユリアナという本当の名前を告げられた時にも、なんの感慨もわかなかった。
ただ自分は、ウァサゴに拾われ育てられたことが幸いであったと考えていた。
一度は誤解があり、グィードと共にウァサゴを封印したスカーレットであったが、ザムジードの精神支配の元にありながらもグィードやヒューゴと共に戦うウァサゴの姿を見て、すべてを理解していた。
つまりウァサゴは今でも、自分の守護者であることを。
「すまないが、積る話は後回しにして、早速行動に移るとしよう」
そう言って、一同を促したのはトイフェルスドレックであった。
「そうだな。ではまずは装備を回収しよう。私に着いて来てくれ」
ザムジードは意を決するようにそう言うと、一同を誘導するように地下牢の扉を潜り、通路へと出た。
「装備を回収するのに全員で動く必要はない。渡鴉とカルラはここに残って待っていてくれ」
グィードがそう指示を出した。
「承知した」
カルラは短く答え、渡鴉の面々は無言で頷いた。
アガレスは、とりあえずの自分の役割が果たされたことを知ると姿を消した。
ザムジードの剣に戻ったのであろう。
「折角ですから私は、このままご一緒しましょう」
そう言ってスカーレットのすぐ横を歩き始めたウァサゴを見て、グィードはそれを邪魔するようにその間に割って入った。
その様子を見てレーナが隣を歩くヒューゴの耳に囁く。
「あの二人、仲がいいわね」
「なんと言っても家族だからね」
ヒューゴが笑いながらそう答える。
ヒューゴがごく自然に「家族だから」という言葉を使ったのを聞いて、レーナはそれを心から羨んだ。
そして、自分もいつかはその家族の仲間入りをする日が来るのだろうかと夢想して、幸福感を味わった。
一行の装備が置かれている部屋の前には二人の見張りが立っていた。
一行は通路の死角となる位置からその様子を窺っていた。
見るところそれは人間の戦士のような出で立ちであったが、その瞳が赤光を宿した魔物のそれであることから、それが冒険者もどきであることが一行には分かった。
見張りが不死隊のような精鋭ではないことから、それが慣例的な見張りであって、敵の警戒心は薄いことを一行は知った。
二体の冒険者もどき程度であれば、装備を持たない一行にとっても戦力的にはまったく問題にならないレベルであった。
重要なことは速やかに、誰にも気づかれずにそこを突破することであった。
「導師、ここは私にお任せください」
そう申し出たのはディオゲネスであった。
トイフェルスドレックと行動を共にして以来、ディオゲネスは賢者の学院の学生時代に戻ったように、導師トイフェルスドレックとの関係を楽しんでいた。
もともと向上心の塊のようなディオゲネスであるから、この際トイフェルスドレックから出来るだけ多くを学ぼうと考えていたのである。
「よし任せよう」
トイフェルスドレックが許可を与えると、ディゲネスは短く詠唱を始めた。
「心地よい眠りの風よ。我が敵に深き眠りを与えよ」
ディゲネスが詠唱を終えるか終えないかのうちに、冒険者もどきたちの身体は床に崩れ落ち、深い眠りについたようであった。
それは賢者の学院で魔術師の卵たちが最初に学ぶ基礎魔術の初歩中の初歩、睡眠付与であった。
しかし、このような時には、下手な攻撃魔法よりもよほど役に立つ魔法であることを誰もが認めた。
「適切な判断だ」
トイフェルスドレックがディオゲネスに告げる。
「では、お次は俺の番だな」
そう口にしたかと思うと、グィードは音もなく部屋の扉に近づき、懐から取り出した針のような道具で鍵穴を探り、あっという間に扉を開けて見せた。
これもまた盗賊技能の初歩中の初歩であったが、グィードの腕が一流であることは誰の目にも明らかであった。
それからグィードは辺りを見回して、周囲に他の見張りがいないことを確認すると一行を招き寄せる合図をした。
部屋の中には、一行や渡鴉たちの装備品の他に、様々な拘束具や拷問器具などが所狭しと並んでいた。
中には用途の知れない不気味な装置も置かれていて、レーナは見ていて気分が悪くなってしまった。
そのことにいち早く気付いたスカーレットはレーナに寄り添い、静かにその肩を抱いた。
アーシェラもまた二人の様子に気が付き、装備品だけを回収して速やかに退出しようと一同に呼びかけた。
一行は自分たちの装備品を身に着けると、手分けしてカルラや渡鴉たちの装備品を持って、速やかに地下牢に帰還した。
それから数分で全員が装備を身に着け終えると、カルラとアルフォンス、アーシェラ、ディオゲネス、そしてムスターファは、渡鴉たちを連れて先に脱出すること、残りの者は遺物を回収してから脱出し、オーデンセの冒険者ギルドで落ち合おうという相談がまとめられた。
ヒューゴとレーナはバキエルの救出も計画に含めるように提案したが、大人たちはバキエルが自力でどうにかするだろうと言い含めて、二人を納得させた。
実際のところ、そこまでの余裕はなかったことも大きかったが、ヒューゴやレーナも含めて、皆がバキエルの力を信頼していたこともまた事実であった。
何しろバキエルは、ガムビエルの弟で魔王の実子の一人であるのだから。
それにバキエルは一人ではなく、黄道十二宮の精霊、双魚宮のチグリスとユーフラテスも一緒であるのだから何の心配もいらないだろうと一行は結論したのであった。
そうして一行は二手に分かれて行動を開始した。




