幕間の物語 ~黎明~
バキエルとガムビエルの確執の始まりは、現代の歴史家たちによって黎明と呼ばれる時代にまで遡る。
その日、バキエルの住まいである輝きの森はガムビエル率いる上位邪妖精すなわち、ホブコボルト、ホブゴブリン、ハイオークという主要三種の他にトロール、レプラコーン、バンシー、ピクシー、インキュバス、サキュバスと言った希少種たち、またその他の夥しい数の魔物の群れに取り囲まれていた。
その頃、神話時代の戦いに敗れた魔王とその眷属たちは、深淵に復活し、その勢力を拡大していた。
やがて深淵の支配が確立すると、魔王はその主戦力を率いて、地上制覇に向けて挙兵したが、同時に深淵の支配をその十一番目の子ガムビエルに委ねた。
その頃深淵には、魔王の眷属の他に、神話時代の戦いにおいて魔王の側にも神々の側にも着かずに中立を保ったものたちも多く暮らしていた。
また、それら中立者たちの中には魔王の血を引く者たち、すなわち、今は魔族と呼ばれる神話時代の人間たちも僅かに含まれていた。
そこで魔王はガムビエルに、そのような中立者たちをまとめ上げた後、地上制覇の戦いに加わるようにと命じたのである。
そして、魔王の十二番目の子であるバキエルもまた、そのような中立者たちの一人であった。
すなわち、バキエルは神々との戦いには加わらなかったのであるが、魔王の実子であるために、神々から魔族と見做され深淵に封じられていたのである。
とは言えバキエルは、そのような自分の立場にまったく不満を持ってはいなかった。
バキエルにしてみれば、深淵と地上に大きな違いはなく、そこは等しく母無き世界であり、永遠の孤独の世界であったからである。
一方ガムビエルは、百体のグレーターデーモンによって組織された親衛隊、不死隊を率いて、深淵で平和に暮らしていた多くの魔物たちを次々に狩り出し、その勢力に加えて行った。
そのような中で、一部の上位邪妖精たちが庇護を求めてバキエルの元に集まり始めた。
バキエルもまた、彼らを拒まず、実際には大きな関心を示さず、自分の領地に住むことを許していた。
そんなある日、バキエルの元にガムビエルの使者として宝瓶宮の精霊グラがやって来た。
バキエルはその日も、輝きの森の東屋でチグリス、ユーフラテスと共に寛いでいた。
「バキエル様、お久しゅうございます」
グラは東屋の数メートル手前に立ち止まると、恭しく挨拶をした。
「ああ、君は確か」
バキエルが記憶を探るように口を開くと、グラが言葉を継いだ。
「ガムビエル様に仕える精霊グラでございます」
チグリスとユーフラテスは黙って二人のやり取りを見守っている。
「そうか。それでそのグラが僕に何の用だい?」
「はい。最近バキエル様の元に身を寄せている者たちのことでございます」
「ああ、あの邪妖精たちがどうかしたのかい?」
「はい。わが主ガムビエル様は魔王より、深淵の残存戦力を取りまとめよとの勅令を受けておりますので、彼の者たちもまたガムビエル様の配下に加えさせて頂きたく、そのご許可を頂きにまいりました」
「ふうん、そうか。だが彼らはそれを望んでいないのじゃないかな。だから僕の元に身を寄せているんだ。違うかい?」
バキエルが面白がってグラを試すように尋ねた。
「さて。あのような下賤の者たちの考えは私には分かりかねます。私はただガムビエル様のご意志に従っておりますだけですので」
「そうか。では僕の答えはこうだ。あの邪妖精たちの運命には僕も関心はない。だが、彼らが進んで僕の領地に住んでいるからには僕の領民だ。その領民を寄こせと言うからには、僕はそれなりの対価を要求する」
グラが一瞬の間をおいてバキエルに尋ねる。
「ではその対価とは?」
「それはガムビエルに自分で考えて貰ってよ。僕が言いたいのはそれだけ、それじゃあガムビエルによろしく」
バキエルはそれだけ言うと、グラの存在を忘れてしまったかのようにチグリスに語り掛けた。
「さあ、ではまた森へ散歩にでも出かけようか」
バキエルはそう言って立ち上がると、東屋を出て、すたすたと森に向って歩き出した。
チグリスとユーフラテスがそれに従う。
「ガムビエル様とバキエル様は水と油。やはり争いは避けられぬか」
その場に一人で取り残されたグラがつぶやくように言った。
翌日、ガムビエルは不死隊に加えて、一万もの魔物の軍勢を率いてバキエルの領地に攻め入った。
輝きの森の東屋でチグリスからその報告を受けたバキエルは、チグリスと自分の左側に控えるユーフラテスの顔を交互に眺めながら、太平楽に口を開いた。
「まあ、ガムビエルであれば、そうするだろとは思っていたよ」
そして、しばらく思案した後に、再び口を開いた。
「ちょうど新しい魔神兵装の性能を試してみたいと思っていたところだし、ガムビエルには申し訳ないけど、実験台になって貰おうかな」
そう言ったバキエルの表情は、新しい玩具を手にした子どものように輝いていた。
そしてバキエルは、改めてチグリスとユーフラテスの顔を交互に眺めてこう言った。
「君たちも一緒に出るかい?」
「「はい。喜んで」」
チグリスとユーフラテスが異口同音に答える。
こうして数分後、バキエルとチグリスとユーフラテスは、それぞれルシフェル、アバドン、アスタロトと名付けられた魔神兵装を駆って、ガムビエルの軍勢と戦闘を繰り広げていた。
バキエルが野蛮の園から引き上げた超古代兵器をもとに作り上げた三体の魔神兵装は凄まじい戦闘能力を発揮して、瞬く間にガムビエルの軍勢を駆逐してしまった。
そしていよいよガムビエルの側の残存戦力が不死隊のみとなった時、南西の方角から数百体にも及ぶ飛竜の群れが現れた。
その群れの先頭には通常の飛竜よりも遥かに大きい、明らかに飛竜とは異なる白銀の竜種がおり、その背中にはやはり美しい白銀の髪を持つ女が立っていた。
よく見れば、数百体にも及ぶすべての飛竜の背に、完全武装した騎士が搭乗していた。
つまりそれは、竜騎士の軍勢なのであった。
その竜騎士の軍勢と、その軍勢を率いる者の名をバキエルもガムビエルも良く知っていた。
すなわち、天空の女王ハマリエルとその軍勢、天竜騎士団であった。
そしてハマリエルは魔王の六番目の子であり、つまりガムビエルとバキエルの両者にとって姉に当たる。
またハマリエルは深淵南西の果てにある禁断の山エヴァールの頂に居城を構え、天空の女王と呼ばれて、父、魔王からも一目置かれる存在でもあった。
きゅるるーーーーーん。
ハマリエルが駆る白銀竜アレクサンドラの咆哮が戦場に響き渡ると戦闘は終わった。
その咆哮には、聴く者のあらゆる精神的な異常状態を解除する癒しの力が込められていたが、この時には、ハマリエルに対する畏敬の念を引き出すと共に悪魔種である不死隊の戦意を一瞬にして消し去ってしまったのである。
宝瓶宮の精霊グラに護衛されながら、飛翔して上空から戦場を眺めていたガムビエルが、すぐさまハマリエルに近づき、恭しく礼をするとへつらうように挨拶した。
「あ、姉上。ご、御壮健で何より。して今日は軍勢を率いて、どのようなご用向きでしょうか」
「ガムビエル、あなたも元気そうで何よりだわ。それにしてもこれはなんの騒ぎなの?」
ハマリエルはそう答えて、ガムビエルに優しく微笑んだ。
ハマリエルはガムビエルもバキエルも及ばないほどに強大な魔力を持っていたが、性格は温厚で、争いを好まなかった。
しかし、一度その力を行使すれば、周囲の地形を容易に変えてしまうほどの力を持っていることをガムビエルは知っていた。
以前、深淵に迷い込んだ邪神が、運悪くハマリエルの領民を傷つけたために、巨大な氷柱に変えられた挙句、裂かれた大地の底に封じられていることを、深淵の住民であれば皆知っていた。
ガムビエルがハマリエルの問いに答えられずにいる間に、バキエルもまた魔神兵装ルシフェルの搭乗席から飛び出して、ハマリエルの元に飛翔した。
「ハマリエル姉さん、久しぶりに会えて嬉しいよ」
「バキエル、あなたも元気そうね。それより、この兄弟喧嘩の理由は何なの?」
ハマリエルは、多くの魔物たちが犠牲となったガムビエルの軍勢とバキエルの戦いを、兄弟喧嘩と言ってのけた。
ハマリエルが魔族と呼ばれるにせよ、それ以外の何と呼ばれるにせよ、凡庸な存在でないことは確かであった。
「喧嘩というわけではないんだ、ガムビエルはただ僕の気晴らしの相手になってくれただけなんだ」
バキエルのその答えを聞いた時、ガムビエルは目を剥いてバキエルを睨みつけた。
だが、明らかに自分の側の被害が甚大であったこと、というよりはバキエルとチグリス、ユーフラテスの三人はほとんど無傷の状態であったから、圧倒的な敗北であったことに加え、平和主義者であるハマリエルの手前ということもあり、一言も反論することはできなかった。
「あら、そうだったのガムビエル?それは感心なことだわ。やっぱりお兄ちゃんね」
ハマリエルは相変わらず優しい微笑みを湛えながらガムビエルに言った。
「ははは。兄として当然のことをしたまでです。それでは私はこれにて」
なんとかそう答えると、ガムビエルは宝瓶宮の精霊グラを伴って、すぐにその場を後にした。
不死隊の姿もいつの間にか消えていた。
「ハマリエル姉さんは相変わらず優しいなぁ」
ガムビエルとグラの姿が完全に視界から消え去った後、バキエルが微笑みながら言った。
バキエルは、ハマリエルがガムビエルの痛手を最小限に抑えるためにやって来たことに気付いていたのである。
「あなたは私ほど優しくないものね」
ハマリエルがバキエルに答える。
バキエルは特に残忍な性格ではなかったが、自分に敵対する者に情けを掛けるほど寛容な性格でもないことをハマリエルは知っていたのである。
「まあね。でも、あれでも同じ血を分けた兄弟だからね。命まで取るつもりは無かったんだけど」
「もちろん。永遠の存在である私たちはお互いの命を完全に奪うことはできないわ。でもあなたなら、ガムビエルの肉体を打ち砕いて、百年の死の眠りにつかせるくらいのことはしたでしょ?」
ハマリエルは凄まじいことを、相も変らぬ優しい笑顔のまま口にした。
「どうだろう。ガムビエルがもっと礼節を弁えて、非礼を詫びてさえくれれば、僕はそこまではしなかったと思うよ」
バキエルが答えた。
「ガムビエルはかわいそうな子なのよ。どういうわけか昔から魔王に冷遇されていて、それで少し性格が捻くれてしまったの」
この時だけはハマリエルの顔から笑顔が消え、代わりに憐れむような、悲しむような表情をしていた。
いずれにせよ、この日からガムビエルとバキエルは犬猿の仲となり、折あるごとにガムビエルはバキエルを目の敵にするようになったのである。




