魔人誕生
万魔殿の玉座の間において、ヒューゴたち一行と偉大なるネズミの王率いる不死隊の戦闘が続いていた。
ヒューゴたちは正式に戦闘パーティーに加わったトイフェルスドレックの魔法支援によって、かつてないほどの戦闘能力を発揮して、圧倒的に数で勝る不死隊と互角以上に渡り合っていた。
しかし、戦闘が長期化するにしたがってザムジード以外の渡鴉たちの力不足が歴然となり、一行の足を引っ張りだした。
特に、今や美しい人間の容貌を具えた偉大なるネズミの王が発動した強化魔法によって、不死隊の戦闘能力が飛躍的に向上して以降は、ヒューゴたち一行は、あたかも渡鴉の護衛役であるかのような防衛戦に終始する形となった。
その激しい戦闘の中で、偉大なるネズミの王がディオゲネスに勝る強力な魔術師であることが明らかになった。
トイフェルスドレックの解析魔法によって偉大なるネズミの王の冒険者としての職業は暗黒卿であるが判明した。
暗黒卿とは最上級職以上の魔術師が堕落した際に極稀に発現する固有職であり、百年に一人発現するかどうかという超希少職業である。
しかも、暗黒卿の発現は冒険者ギルドの規定によれば、天災級の緊急事態であり、最高師範を中心とした討伐隊が組織される事象である。
こうして、これまで偉大なるネズミの王としてヒューゴたちに認識されていたものは、これ以降暗黒卿リロイ・ブラウンとして認識されるようになった。
トイフェルスドレックの考察によれば、不死隊たちのうちには、過去の英雄クラスの冒険者たちの魂がほぼ完全に注ぎ込まれており、その容姿や職業や能力をかなりの精度で複製しているはずであったが、それは素体であるグレーターデーモンが、ほとんど個体差を持たない、単なる魂の器であるためであった。
しかし、もともと魔族であり、強烈な個性を有していた偉大なるネズミの王の場合には、それとは異なる変異をしている可能性が高い。
すなわち、暗黒卿リロイ・ブラウンは、歴史上に存在した英雄の単なる複製以上の存在であろうと、トイフェルスドレックは考察した。
そして、恐らくそれはコボルトの王やゴブリンの王とオークの王についても、同じように当てはまることであろう。
そのような存在をいったい何と呼ぶべきであるか。
トイフェルスドレックが汎用遠距離攻撃魔法でパーティーを支援しながら、そのような考察を続けていると、頭上から声がした。
「バキエル様は先ほど、『やっと人間になれたのか』の仰いましたが」
それはいつの間にか飛翔魔法によって、見上げるほどに高い、その部屋の天井ぎりぎりの高さにまで浮上した暗黒卿リロイ・ブラウンの声であった。
トイフェルスドレックが上空の暗黒卿リロイ・ブラウンの顔を見上げる。
バキエルやその他の冒険者たちも、目の前の敵に意識を手中しながらも暗黒卿リロイ・ブラウンの言葉に耳を傾ける。
「正しくは、人間になったのではなく、人間の魂を得て、人間を超える存在となったのです」
トイフェルスドレックは、そう語る暗黒卿リロイ・ブラウンのうちに、これまでにない魔力の高まりを感じ取った。
「我は魔物にして魔物にあらず、人間にして人間にあらず。言わば魔人。わが名はリロイ・ブラウン、新たなる種、魔人種の創造者にして真祖である」
そう言いながら暗黒卿リロイ・ブラウンは両手を世話しなく動かして空中に何か複雑な図形のようなものを描き始めていた。
「不味い!超高位魔法が来るぞ!」
トイフェルスドレックは、その言葉をカルラやザムジードにも聞こえるように、はっきりと叫んで警告した。同時に、自身も極大結界魔法の詠唱を始める。
ディオゲネスの絶対防壁だけでは、パーティーの外にいるカルラや渡鴉を守ることができないからである。
今や暗黒卿リロイ・ブラウンの正面には、巨大な立体魔法陣が完成していた。
「愚かな人間どもよ!我が前にひれ伏せ!鮮血を呼ぶ黒い雨!!」
暗黒卿リロイ・ブラウンが両手を立体魔法陣に向けて突き出し、そう叫ぶと同時に、立体魔法陣から無数の暗黒色の魔法矢が戦場に降り注いだ。
同時にトイフェルスドレックが発動した極大結界が辛うじて、その攻撃を防いだ。
しかし、暗黒色の魔法矢は一瞬のことではなく、継続して振り続けていた。
その攻撃を防ぎ続けるために、トイフェルスドレックは結界の維持に集中せざるを得なかった。
トイフェルスドレックの分析によれば、鮮血を呼ぶ黒い雨の攻撃性質はディオゲネスやトイフェルスドレックが用いるライトニング・アローとよく似たものであった。
つまり、乱戦の中でも正確に敵の上にだけ降り注ぐ、誘導式の攻撃魔法であった。
しかもその殺傷能力と貫通力は、ライトニング・アローに数十倍勝るものであったので、トイフェルスドレックが僅かでも気を緩めると、結界が破壊されてしまう恐れがあった。
そこでトイフェルスドレックは今、苦々しい表情で右手を天に掲げたまま、結界に魔力を供給し続けている。
暗黒卿リロイ・ブラウンの狙いは、まさにそこにあった。
今やトイフェルスドレックの行動は、まったく封じられてしまったのである。
しかも一行はこれから、トイフェルスドレックを集中して護衛しなければならなくなった。
なぜならば、もしトイフェルスドレックの結界が一瞬でも破られれば、それはそのままザムジードを除いた渡鴉の全滅に繋がることを、一行は理解していたからである。
今や邪悪な雰囲気を放つ魔法戦士の姿を取ったコボルトの王の指揮によって、不死隊のおよそ半数の攻撃がトイフェルスドレックに集中し、残りの半数が渡鴉に向けられる。
その時、ディオゲネスの解析魔法によってコボルトの王の冒険者としての職業は魔導剣士であることが判明した。
同時に、その背に負われた大剣が魂喰らいと呼ばれる魔剣であることが、ヒューゴたちの集合意識に共有された。
また、その魔剣は、コボルトの王が現在のような冒険者の姿を有する以前、通常の人間を遥かに上回る巨体を有していた時には、腰の鞘に納められていたことを、かつて深淵の暗い森にあるコボルトの王の居城で、至近でそれを目撃したことのあるグィードとウァサゴは記憶していた。
現在のコボルトの王はアルフォンスと同程度の身長を有した、アルフォンスよりはやや細身の青白い顔の中年の容貌を持ち、見るからに魔力を持つと思われる異形の装飾の施された軽装の鎧を身につけていた。
こうして、これまでコボルトの王としてヒューゴたちに認識されていたものは、これ以降魔導剣士ゴーモトとして認識されるようになった。
トイフェルスドレックに向かう部隊の先頭には、今や巨大な斬馬刀を持った巨躯の戦士の姿を持つゴブリンの王がいた。
ディオゲネスの解析魔法によれば、その職業は蛮族の勇者であった。
こうして、これまでゴブリンの王としてヒューゴたちに認識されていたものは、これ以降蛮族の勇者ゴグとして認識されるようになった。
身長は冒険者の姿を取ってなお、アルフォンスよりも頭一つ高く、上半身には何も身につけておらず、鍛え上げられた筋骨が露わになっている。
蛮族の勇者ゴグの斬馬刀が、今にもトイフェルスドレックに届こうとしたとき、グィードが立ちはだかり、愛剣黒い虹で斬馬刀を受けた。
その体格差と得物の重量差から、通常であればグィードは軽々と吹き飛ばされてしまうはずであったが、グィードはそれを正面から受け、踏みとどまった。
グィードがニヤリと笑う。
それに答えるように、蛮族の勇者ゴグもまたニヤリと笑う。
そこには、奇妙な友情が成立しているかのようであった。
「人間の勇者よ。お前と渡り合うのはこれで何度目であったか」
先にそう口を開いたのは蛮族の勇者ゴグであった。
「さあな。おまえはすっかり姿が変わっちまったからな」
グィードが答える。
両者は得物を合わせたまま、なお会話を交わ続ける。
「そうだな。思えば奇妙なものだ。こうして人間の姿でおまえと剣を交えることになろうとはな」
蛮族の勇者ゴグが口元に微笑を湛えたまま、感慨深そうに言った。
「なかなかの男前になったじゃねぇか」
「ふっ。戦士が美醜を気にするのか?」
蛮族の勇者ゴグがそう口にする。
グィードはそれを聞いて、まるで武人のようだと思った。
それがもともとのゴブリンの王の性質であったのか、それとも注がれた冒険者の魂に影響をされたのかグィードには分からなかったが、グィードはその短いやり取りの中で蛮族の勇者ゴグに好感を抱いていた。
「これで決着がついてしまうのが勿体ないな」
グィードが本心から、そう口にした。
「ぬかせ!」
短く、そう答えるが早いか蛮族の勇者ゴグは渾身の力を込めて、斬馬刀でグィードの剣を打ち上げた。
グィードは軽く後ろに跳躍して、それをいなす。
グィードとゴグが、互いの間合いを探るように対峙する。
その周囲では、ヒューゴたちパーティーと不死隊の死闘がなお続いていた。




