幕間の物語 ~トイフェルスドレックの過去~
今からおよそ四百年前、トイフェルスドレックは後に魔王戦役と呼ばれる戦いの決戦の地に立っていた。
戦いの終盤、亡国アルヴァニアの王子アルバートに率いられた人類大同盟は多くの戦場で勝利を重ね、今や、旧王都オブシディアンから深淵の牢獄に居城を移した魔王を討伐するばかりとなっていた。
そして決戦のために組織された総勢十二人からなる魔王討伐隊の中に、トイフェルスドレックはいた。
討伐隊が深淵の牢獄の最深層を進む中、討伐隊の指揮官であるアルバートが、興奮を抑えきれないようにトイフェルスドレックに語り掛ける。
「叔父上、決戦の時は間もなくですね」
「ああ。だが油断するなよ。魔王がここに来て、わざわざ封印の地深淵の牢獄に居城を移したのには、なにか考えがあるからに違いない」
「はい」
アルバートが未熟さの残る、屈託のない笑顔で答える。
特別な聖霊の加護によって、討伐隊屈指の実力を有する戦士とは言え、アルバートはまだ十七歳である。
その未熟さを知恵と経験によって支えるのが叔父であり副官である自分の役割であることをトイフェルスドレックは自覚していた。
「ウィリアムが付いていれば大丈夫よ。きっと何もかも上手く行くわ」
トイフェルスドレックの傍らに立つ妻ブルーミネが、慈愛に満ちた声でアルバートに告げた。
ブルーミネという名にふさわしく可憐な一輪の花を思わせる美しい妻の言葉を、トイフェルスドレックは微笑ましく聞いていた。
「はい。叔母上。承知しています」
アルバートは、やはり屈託なく答えた。
ところで、ブルーミネはトイフェルスドレックのことをウィリアムと呼んだ。
ウィリアム・アルヴァニア・トーマス三世、またの名をウィリアム・エロール・メルキオル、それがその時代のトイフェルスドレックの名であった。
ウィリアム=トイフェルスドレックは、先のオプシディアン陥落に際して戦死したアルバートの父親であるアルヴァニア王エドワードの四番目の弟であり、神聖王国エロールの現国王でもあった。
すなわち、トイフェルスドレックというのは、魔王戦役終結後、彼が用いている偽名であって、六英雄の一人のうちに数えられる大賢者メルキオルこそトイフェルスドレックの正体なのである。
悲劇は、それから間もなく起こった。
魔王の親衛隊と思しき上位魔族の群れとの戦闘中、討伐隊の一人が倒れた。
巨大な盾と突撃槍を軽々と扱うカシームという名の人懐こい性格の若い聖騎士であった。
カシームが一体の獣人型の魔族に止めを刺し、次の一体に対峙しようとしたとき、ブルーミネが数体の魔族に取り囲まれているのが目に入った。
そこで助太刀に入ろうとしたところを、背後から襲われたのである。
襲ったのは、巨大な鎌を操る人型の魔族であった。
頑丈な聖騎士の鎧に覆われたカシームの身体が、まるで古い襤褸切れのように脆くも斬り裂かれた。
ウィリアム=トイフェルスドレックは、その一部始終を目撃していた。
その直後、冷静さを失ったブルーミネが、これまでも使用したことのない超高度の神聖魔法を発動した。
「神霊召喚!」
それは、神聖王国エロールの王族の間にだけ、半ば神話のように語り継がれて来た究極の神聖魔法であり、原初の戦い以来、この世界から姿を消してしまった神々を時空の彼方にある神界から呼び寄せ、使役することができると言われていた。
しかし、たとえ一時的にせよ神々を使役することの代償は大きく、それはある時には術者の命であり、ある時には一国の存亡を左右するほどの天災を招くことさえあったという。
いずれにせよ、それらはすべて古い言い伝えのようなものであり、その魔法が使用されるのを目撃したことのある者など、その時代には一人も存在しなかった。
ウィリアム=トイフェルスドレックとブルーミネは、この決戦に臨むにあたって、万が一に備えて、その術式を二人で確認はしていたが、現実に用いることは無いだろうと話し合っていた。
それがまさか、このような形で使用されることになろうとは思ってもみないことであった。
かくして、神々は降臨した。
とは言え、その瞬間にはトイフェルスドレックにも、咄嗟には何が起こっているのかさえ理解することができなかった。
すべては後になって、あれは恐らくこういうことであったのだろうと、トイフェルスドレックが記憶を整理した内容である。
ブルーミネの頭上に展開した時空の門から、三柱の荒ぶる神々が現れた。
神々はその凄まじい能力で、文字通り、一瞬にしてその場にいる魔族たちを殲滅してしまった。
するとその直後、そのうちの一柱の神が放心状態のブルーミネに目を止めて、トイフェルスドレックにも理解できる言葉でこう言った。
「女よ。願いは叶えてやった。代償はおまえ自身ということにしよう。おまえはこれから我が妃として、永遠に神界で生きるのだ」
言い終わるや否や、その一柱の神はブルーミネを抱きかかえ、二柱の神々を従えて時空の門に飛び込み、時空の門はそのまま閉じてしまった。
残された討伐隊のメンバーのうち、誰一人として言葉を発することもできない数秒間が過ぎると、やがてアルバートが静かに口を開いた。
「叔父上。取り返しのつかない犠牲が出てしまいましたが、我々にはなさねばならないことがあります」
「わかっている」
ウィリアム=トイフェルスドレックは静かに答えると、深淵の牢獄の最深層を再び進み始めた。
アルバートがそれに並び、その後に生き残った討伐隊のメンバーが沈痛な面持ちで続いた。




