邪妖忍軍②
黒ずくめの集団が激突を繰り返していた。
一方は黒い金属の鎧で全身を覆い、他方は黒い布製の装束で全身を覆っているが、どちらも奈落の闇をそのまま切り出して来たかのように、黒以外の色彩を一切持っていなかった。
冒険者ギルド最強の空戦部隊と呼ばれる渡鴉と邪妖忍たちの激戦であった。
双方の戦力は拮抗しており、どちらも相手に致命的なダメージを与えることが出来ずにいた。
ただ、十三人の渡鴉たちの中で、ふたりの黒騎士だけは特に卓越した戦闘能力を発揮していることにグィードを含め、数人の冒険者たちは気づいていた。
ザムジードとスカーレットである。
これまでは、敵の強さが明らかな格下であったために、二人の卓越性は隠されていた。
しかし、今彼らが相手にしているのは、決して格下と見做すことの出来ない難敵であった。
もちろん、単独の戦闘能力ではザムジードとスカーレットは、一体一体の邪妖忍のそれを遥かに上回っているはずであった。
だが数で上回る邪妖忍たちは、特に手強いと見た二人を取り囲み、また、二人の必殺の斬撃は邪妖忍たちの回避技能に阻まれて、致命傷を与えることが出来ずにいた。
その黒い集団の中に鮮やかな翡翠色の鎧をまとった騎士が一人、異彩を放っていた。
冒険者ギルドの最高師範、カルラである。
カルラは疾風という二つ名にふさわしく、戦場を縦横無尽に翔けていた。
カルラの飛翔技能、疾風飛翔走駆はカルラに飛翔と神速の効果をもたらすことで、地上戦においても低空を翔ける亜空戦術を可能にした。
とは言え、それだけであれば、それはその場にいる冒険者たち全員に可能なことあった。
カルラは戦いながら、迷っていた。
邪妖忍たちは手強かった。
通常の戦闘方法では、正直なところ最高師範である自分の手にも余る。
ヒューゴたちや渡鴉と同様、邪妖忍たちに致命傷を与えることが出来ずにいた。
しかし、カルラにはまだ余裕があった。
彼女には奥の手があったからである。
カルラはその奥の手を、今使うべきであるかどうかを迷っていた。
なぜならそれは、ヒューゴたち一行とその中にいる精霊たちがギルドや自分に敵対する意思を示した時、彼らに対抗するための切り札であるとカルラは考えていたからである。
だからカルラは、今彼らの前でその切り札を使うことを躊躇っていたのだ。
また、今やともにギルドから派遣された渡鴉に対しても、カルラは疑念を抱いていた。
カルラはその時、自分の師であり、同じ最高師範の称号を持つ聖騎士カーライルの言葉を思い出していた。
「部隊の指揮官は、その全軍を完全に掌握し、または単独で制圧する能力を有していなければならない」
当代最強の最高師範と称され、王都の騎士団長も務めるカーライルが、かつてカルラに語った言葉であった。
果たして自分にそれが出来るだろうか。
そう自問した次の瞬間、カルラの脳裏にパンデモニウム侵入直前のヒューゴとグィードのやり取りが思い起こされた。
「ねえ、一つだけ確認してもいい?」
「なんだ?」
「この作戦が終わるまでは、カルラも渡鴉も、みんな俺たちの仲間だよね?」
ヒューゴの質問を受けて、グィードは一瞬答えに困った様子であったが、少し考えてから力強く答えた。
「ああ」
「わかった。じゃあ俺は、カルラやザムジードたちのためにも、命を懸けて戦うよ」
ヒューゴが快活に答えた。
その瞬間、カルラの心から迷いは消えた。
カルラが決意したのはディオゲネスが新魔法、時よ止まれ、汝は如何にも美しいを発動したのとほとんど同時であった。
最高師範はその任官に当たって、その称号だけでなく聖霊からの特別な加護を与えられる。
それは最高司祭級の司祭、つまりは創造主教会の最高司祭と、王国の祭儀の一切を司る宮廷司祭長だけに許された秘儀によって授与されるもので、通常のギルド登録によって冒険者にもたらされる聖霊の加護とは比較にならないほどの圧倒的な力を被術者にもたらす。
そして、その加護の力があまりにも凄まじいために、最高師範たちは日頃、その加護の効力を、加護と共に伝授される秘術によって自ら封印しているのである。
その封印を解く行為、及び加護の封印が解かれた状態を神聖交唱と呼ぶが、その存在自体が一部の王族や例外を除いて最高師範以外の者には隠されているのである。
当然、グィードもザムジードも、その存在さえ知らないはずであった。
三体の邪妖忍に囲まれ、剣戟を交えながら、誰にも聞こえないほどの小声でカルラが古代語の詠唱を開始する。
「神聖交唱!」
その最後の言葉も、はっきりと聞き取れた者はその場には一人もいなかった。
ただ、次の瞬間に起こった変化は、その場にいる誰の目にも明らかであった。
カルラの全身から爆発的な闘気が青い光として放たれ、次の瞬間には三体の邪妖忍を殲滅していた。
その剣速は、じつに光速を超えていた。
だからカルラの斬撃を目撃した者は、その場には誰もいなかった。
ただ縦横斜めに両断された三体の邪妖忍の身体が雲散霧消する様子を冒険者たちは目撃した。
バキエルはチグリスとユーフラテスと共に、それぞれ両手に小型拳銃、優しい悪魔を持って、グィードによってGUN駆ⅡΩと名付けられた格闘銃術を駆使して、邪妖忍たちと戦っていた。
しかし、一見命中したかに見える魔弾はすべて、邪妖忍たちの回避技能に躱されてしまっていた。
じつを言えば、バキエルには、その他にも戦い方はいくらでもあった。
だがバキエルは、その場で自分だけが突出した戦闘能力を発揮することを好まなかった。
自分はあくまでもヒューゴたち冒険者のパーティーの同伴者であって、物語の主人公ではないことを自覚していたからである。
また、自分の特別な助けなど無くともヒューゴたちが自力でこの難局を乗り切るであろうことを、バキエルは確信してもいた。
ウァサゴとグレモリーもまた、これまでの戦闘で発揮した以上の能力は、敢えて発揮していなかった。
彼らは自分の契約者たちがそれを望まないことを、暗黙の裡に理解していたからである。
その戦局が大きく変化したのは、ディオゲネスが時よ止まれ、汝は如何にも美しいを発動し、カルラが神聖交唱を発動した直後からであった。
バキエルは英雄波動共振のテレパシーによって、ディオゲネスが編み出した時よ止まれ、汝は如何にも美しいの術式を理解していた。
そして、バキエルの魔力と魔術に関する知識をもってすれば、それを即座に模倣することは容易いことであった。
それはディオゲネス自身が編み出したオリジナルの魔法であるから、それを自分が模倣して冒険者たちの戦いをサポートすることは、彼らの能力を極端に逸脱することにはならない。
それがバキエルの判断であった。
「時よ止まれ、汝は如何にも美しい!」
その時ディオゲネスは、バキエルがあまりにも簡単に自分の新魔法を模倣したことに一瞬驚いたが、相手がバキエルでは致し方ないとあっさり納得して、むしろ痛快な感情さえ抱いていた。
バキエルが発動した時よ止まれ、汝は如何にも美しいによって時間を停止させられた数体の邪妖忍たちは、アルフォンスとグィード、そして有り余る戯言によって四人に分身したムスターファらによって即座に斬り伏せられた。
アーシェラが用いる精霊魔法とディオゲネスがおもに用いる古代魔術とは、理論が根本的に異なるため、アーシェラには時よ止まれ、汝は如何にも美しいの術式を理解することはできなかったが、敵の時間だけを止めるというコンセプトは理解できた。
同時に、以前の自分であれば到底試す気にもなれないような、ある冒険のアイデアが思い浮かび、アーシェラは心が湧きたつのを感じた。
次の瞬間、アーシェラは風精霊たちに命じて、邪妖忍たちを自分から引き離し、目を閉じて精神を集中する。
「偉大なる時の支配者よ、契約に基づき我が前に姿を現わせ、我が名はアーシェラ。時の精霊よ!」
その召喚に応じて出現した時の精霊は、以前、偉大なるネズミの王の洞窟で現れた老人の姿ではなく、レーナやヒューゴたちよりもさらに年若い、幼さとあどけなささえ残す少年の姿をしていた。
精霊の形態は、その時々の召喚者のイメージを具現化したものとなるのである。
「まさか、このような姿で儂を呼び出すとはな」
少年の姿をした時の精霊が少年の声で、老人のような話し方をした。
「時の精霊よ。アーシェラの名において命じる!戦場を翔け、我が敵の時間を止めよ!」
「よかろう。汝の望みをかなえて見せようぞ!」
そう答えると時の精霊は直ちにアーシェラの命令を実行に移した。
少年の姿をした時の精霊が戦場を翔け、次々に邪妖忍たちのからだの一部に触れていく。
すると触れられた邪妖忍たちは凍り付いたように、その場で動けなくなる。
それはまるで大陸の子どもたちが好んで遊ぶ「こおり鬼」を見ているようであった。
奇妙なことに、跳躍している最中に触れられたものは、そのまま空中に固定された。
その様子を見てアーシェラは満足する。
最古にして最上位の一角を占める精霊である時の精霊に、そのような命令を実行させるためには膨大な魔力が必要であった。
だからアーシェラもこの時までは、そんなことは想像もしていなかったのである。
だがヒューゴに与えらえたウァサゴの加護、名も無き英雄たちの効力によって飛躍的に成長し、さらに妖精の指輪によって魔力をさらに増大されている現在のアーシェラには、それが可能であった。
ところで、このアイデアの優れた点は英雄波動共振のテレパシーによらなくても時間を止められた敵個体が明らかなことにあった。
すなわち、これまで苦戦を強いられていた渡鴉たちにも、邪妖忍の撃破が可能になったのである。




