邪妖忍軍①
「これが忍者か」
戦いながらヒューゴは、かつてない高揚を覚えていた。
純粋な戦闘能力においては、現在相手にしている忍者型たち一体一体の実力は、ヒューゴやカルラたちの足元にも及ばないことは明らかであった。
せいぜいが渡鴉のメンバー一人ひとりと同等か、それ以下の実力であろうとヒューゴは判断していた。
それはグィードに言わせれば、ギルドの評価基準でランクAとランクSの中間程度である。
しかし実際の戦闘は、単純な戦闘能力の差によって決まるものではないことが、ヒューゴには今、はっきりと分かっていた。
というのは、戦闘が開始して数分が経過していたが、ヒューゴたちパーティーのうち誰も、忍者型たちに致命傷を与えることが出来ていなかったからである。
そもそも忍者とは、侍と同じくフダラクにルーツを持つ盗賊系の稀少職業であり、またその稀少度は侍をさらに上回る。
その理由は、忍者になるための条件の高さにある。
第一に、忍者になるためには盗賊系の上級職に加えて、格闘家系の上級職を一つ以上所持している必要がある。
第二に、忍者になるためにはフダラクに総本山を置く宗家から、森羅万象に通じると言われる忍道の奥義伝承を受ける必要がある。
そして大陸に存在する宗家は、代々王国に仕える情報機関、半蔵ただ一つであるから、現在ギルドに登録されている忍者の数は百人に満たないと言われている。
だから今、ヒューゴたちの目の前に出現した忍者の軍勢は現実には存在しない、いわば幻の軍勢であると言って良い。
しかも、その素体となっているのは、ゴブリンやオーク、コボルトと言った邪妖精たちなのである。
そのような事情を踏まえて、後にグィードはこの邪妖精たちからなる忍者型の冒険者もどきを邪妖忍、またその軍勢を邪妖忍軍と呼ぶようになった。
驚くべきことに、邪妖忍たちの戦闘速度は、神速を付与されたヒューゴたちと同等であった。
そして、英雄波動共振のテレパシーによって共有されたグィードの知識によれば、それは瞬歩と呼ばれる忍者特有の技能によるものであり、飛翔こそ伴わないが、その代わりに壁や天井などを地上とまったく変わらずに疾駆することを可能にするものであるらしかった。
また、それ以上にヒューゴたちが苦戦したのは、邪妖忍たちの使う様々な回避技能であった。
邪妖忍たちは、ヒューゴたちの攻撃が直撃したかと思われる瞬間、ある時には残像を残して消え、またある時には、致命傷を負って倒れたかに見えるのであるが、一瞬後にはある種の呪符のようなものをその場に残して、本体は目の前から消えているのであった。
そしてその直後に、死角から襲い掛かる。
また、邪妖忍たちの一部は、棒状や風車型の手裏剣と呼ばれる数種の暗器を自由自在に用いて、ある時は投擲、ある時は刺突用の武器として、変幻自在の攻撃を仕掛けて来た。
そのような暗器の他に、侍たちが用いる刀よりもやや小型の忍者刀と呼ばれる刀や、やはりフダラクにルーツを持つ鎖鎌と呼ばれる鎌と分銅を鎖でつないだ特殊な武器を用いる邪妖忍たちもいた。
そして、彼らの殆どの攻撃は、直接急所を狙ったものであった。
そこで、当初は果敢に攻勢に出ていたヒューゴたち一行は、今や防戦を余儀なくされていた。
その状況を打開すべく、最初に行動したのはトイフェルスドレックであった。
とは言え、その行動とは今や師弟の間柄とも言えるディオゲネスにヒントを与えることだけでったのだが。
そもそもトイフェルスドレックは、戦闘が開始した時には一行から離れて行動をしていたはずであった。
そして現在も、戦闘には加わっておらず、最後列から一行の戦いを傍観していた。
当然、邪妖忍たちはトイフェルスドレックに襲い掛かるのであるが、彼の周囲に張られた強力な結界に阻まれて、傷一つ付けることが出来なかった。
「この手の敵には、直接攻撃ではなく弱体化や行動抑制系の魔法を用いるのが常道なんだがな」
その言葉は、英雄波動共振によるのではなく、ディオゲネスにだけ向けられたテレパシーであった。
そのことであれば、ディオゲネスも当然、承知していた。
そこでディオゲネスは、捕縛用の極小結界である監禁者を用いて、先ほどから邪妖忍たちを足止めしようと試みていたが、瞬歩や回避技能によって阻まれていた。
その様子を冷静に眺めていたトイフェルスドレックが、もう一度テレパシーを送った。
「もっと基本に忠実になれ。例えば、おまえが学院で最初に習った弱体化は何だ?」
ディオゲネスの記憶の扉が開かれる。
「遅延」
という言葉と共に、その術式がディオゲネスの頭の中に閃く。
もちろん、通常の遅延を放つだけでは、忍者のような上位の冒険者には抵抗されてしまうのが落ちであった。
しかし、現在のディオゲネスであれば抵抗不可能な遅延系の術式を、しかも、もっと強力な効果を持った魔法を、即興で編み上げることが可能であった。
ディオゲネスの周囲には、すでに十の戒めと三位一体が展開されており、邪妖忍たちを牽制していた。
実際のところディオゲネスとしては、牽制のつもりはなく、幾度となく致命傷を与えようと攻撃を仕掛けているのであるが、ことごとく失敗していたのである。
いずれにせよディオゲネスは、まずは新魔法の術式を編み上げる時間を稼ぐために、十の戒めと三位一体の操作を自動制御に切り替えた。
「無知の知!」
十三個の宝玉のようにも見える極小の結界が、それぞれ意志を持つもののように、ディオゲネスの周囲を周回し始めた。
ディオゲネスはおもむろに、ローブの懐から自作の魔導書、仕立て屋の仕立て直しを取り出し、開かれたページに右手の指先を走らせ始めた。
その指先の動きに合わせて、それまで空白であったページに光り輝く複雑な術式が書き込まれる。
一つの術式が完成すると、あたかもその術式を拭き去るように掌を滑らせる。
そのような作業が何度も繰り返されている間に、完全に無防備な状態となったディオゲネスを葬り去ろうと数体の邪妖忍が襲い掛かる。
しかし、その邪妖忍たちの攻撃を自動制御された十の戒めと三位一体が妨げる。
まずは十の戒めが邪妖忍たちの腕や得物を捉え、動きを封じる。
間隔を置かず三位一体に込められた爆裂と真空の刃と氷の槍という三種の重複魔法が邪妖忍たちに襲い掛かる。
ある者は残像を残して消え去り、またある者は一瞬、重度の火傷や重傷を負ったかのように見えるが、次の瞬間にはその場に呪符のようなものを残して姿を消す。
そのようなやり取りが数回に渡って繰り返された時、ディオゲネスは新魔法が完成したことを知った。
「時よ止まれ、汝は如何にも美しい!」
発動されたその魔法は、ディゲネスが肉眼による視界に収めているすべての敵の時間の流れを一時的に止めるという効力を発揮した。
正確には、時間を完全に止めることは時の精霊か、それ以上の存在、すなわち神でもなければ不可能である。
また、本当に時間が止まってしまえば、いつぞやアーシェラが時の精霊に命じてそうしたように、時間を止められた物体、また生物は、絶対に破壊不可能な状態になってしまう。
だから、ディオゲネスの新魔法、時よ止まれ、汝は如何にも美しいは、ディオゲネスが得意とする魔力による空間への干渉によって、人間の経験としては時間が止まっているとしか感じられないほどの極限まで、時間の流れを遅滞させるものであった。
しかしその効果は、せいぜい1秒か2秒程度に過ぎないことをディオゲネスは知っていた。
妖精の指輪の効果によって、如何に強大な魔力を手にしたディオゲネスとは言え、時の精霊の力も用いずに、外部からここまで強力に時間の流れに干渉することは、容易なことではなかったのである。
だから、邪妖忍たちを撃破するためには、その一瞬のうちに致命傷を与える攻撃を加える必要があった。
そして、ヒューゴたち一行はその時、英雄波動共振の効果によって、ディオゲネスが発動した新魔法の効果を完全に把握していた。
最初に動いたのはヒューゴであった。
時間を止められた一体の邪妖忍の背後に神速で移動し、その腹部を一刀両断に斬り裂く。
斬り裂かれた邪妖忍の身体が、瘴気を撒き散らして雲散霧消する。
その時、同時に時間を止められていた残り二体の邪妖忍を撃破したのは、ヒューゴに寄り添うように戦っていたレーナとスオウであり、どちらも神速による移動と心臓を一突きによる撃破であった。
その瞬間、ヒューゴたち一行は邪妖忍たちに致命傷を与える必殺の戦法を手に入れたのである。
しかし、英雄波動共振の効果の外にいるカルラと渡鴉にとっては、撃破不可能な敵との熾烈な戦いが、未だに続いていた。




