パンデモニウム入城
「では皆さん、行きましょうか」
そう言ってバキエルは、万魔殿の開かれた門へと歩を進めた。
バキエルは魔族の大幹部であるから、当然のことと言えば当然のことであるが、その足取りには全く緊張は見られず、むしろ、我が家の門を潜るような気楽さであった。
チグリスとユーフラテスがその後に続く。
この作戦の指揮者を自任しつつも、自分の想像をはるかに超える事態に戸惑いつつ、しかし、戦闘者としての自分の実力に絶対的な自負を持つカルラが、真剣な表情で、その後ろに続く。
それに続いて、カルラとザムジードを先頭に渡鴉、ヒューゴたち一行は殿を務める。
それは事前に打ち合わせたことではなく、各々が自分の置かれた立場を理解した上で、自然にとった隊列であった。
バキエルの指摘通り、万魔殿内の様子は、以前ヒューゴたちが訪れた時とは様変わりしていた。
以前はただ大広間に続く一本道であったのが、今は多くの曲道と扉を持つ、複雑な迷宮であった。
その迷宮を、バキエルは迷いのない足取りで進み、一行を先導して行く。
だが万魔殿全体が生き物のように脈動しているのは、以前と変わらなかった。
その印象をヒューゴがバキエルに伝えようとしたところ、バキエルの方が先に口を開いた。
「この万魔殿はリロイが生み出した、疑似生命体なんです。周囲の瘴気を吸収して、結界の中に閉じ込め、その大部分は地下にある地獄の門を維持するエネルギーとして利用しています。そしてその残りのエネルギーを使って、リロイやゴーモトは様々な研究を行っていますが、そのおもな目的は魔王軍の増強、ということに表向きはなっています」
「表向きはってことは、裏ではそれ以外の研究をしているってこと?」
ヒューゴが訪ねる。
「ええ。彼らの目的はもっと原始的な、本能的なものです」
「勿体ぶらずに、早く教えてください」
ディオゲネスが、急かすようにではなく、むしろ、そのやり取り自体を楽しむように言った。
「進化、だな」
しかし、その答えはバキエルが口にしたものではなく、一行の最後尾を歩むトイフェルスドレックの口から発せられたものだった。
渡鴉を除く一行の目が、トイフェルスドレックに向けられる。
「さすがは遍歴の大魔導士殿、ご存知でしたか」
バキエルが口元に美しい微笑を湛えながら答えた。
一行は、人知を超えた両者の口から、次はどんな言葉が飛び出すだろうかと期待して待った。
「ああ。私も魔物どもの相手をして長いからな。彼を知り己を知れば百戦殆うからず、という賢人の言葉がある」
トイフェルスドレックが答えた。
「それで、その進化というのは、具体的にはどういうものなの?」
ヒューゴがバキエルに尋ねた。
「さあ。それは僕にもわかりません。そういうことには、あまり関心がいなので。遍歴の大魔導士殿は何かご存知ですか?」
「進化というのは、かなりあいまいな概念でな、狭義には、或る生命体が、更に高度な存在へ飛躍することを指している。そしてある者たちは、それが錬金術と深い関わりがあると考えている」
「確か、巨匠ヴォルカスもそのうちの一人でしたね」
ディオゲネスが思い出したように言った。
「そうだ」
トイフェルスドレックが、呑み込みの早い生徒に関心するように、嬉しそうに答えた。
「ああ、そう言えば、リロイやゴーモトの奴も、確か錬金術にのめり込んでいたよ。妖精の指輪やゴグとマゴグも、その錬金術によって生み出されたんだ」
バキエルもまた、思い出したように口を開いた。
「そうですか。それは興味深いですね。錬金術については、賢者の学院では禁断の学問として、ほとんど取り上げられていませんでしたからね」
ディオゲネスが、そう言いながらトイフェルスドレックの方を見た。
ディオゲネスが知る限り、トイフェルスドレックは賢者の学院の初代総長であったからだ。
「ああ。そうだな。賢者の学院における錬金術の研究を禁止したのは私だ。その理由はいろいろとあるが、第一に、賢者の学院の目的は研究者ではなく冒険者を育成することにある。そして、優れた冒険者は放っておいても、いずれ錬金術と向き合い、関わり方を自分で決定することになるものだからな」
「それで、あなたはどのように関わっているのですか?その錬金術と」
ディオゲネスが重ねてトイフェルスドレックに尋ねた。
「私か?もちろん、究めるつもりだ。時間は十分にあるからな」
400年を生きる大魔導士は、当然のように答えた。
その時、カルラが口を開いた。
「総員、戦闘準備だ。魔物の気配が近づいてくる」
「やれやれ、今度はどんな厄介なやつが現れるんだろうな」
グィードが言葉とは裏腹に、ワクワクするように言いながら愛剣、黒い虹を構えた。
一同も各々武器を構え、臨戦態勢を取る。
グレモリーが呪文のようなものを短く唱えると、グレモリーの足元から輝ける者が表れた。
室内であるためか、先ほどの空中戦の時よりはだいぶ小さいが、それでもアルフォンスよりも頭一つ以上背が高く、巨人としての威容を誇っている。
それとほとんど同時に、アーシェラは3体の風精霊を召喚していた。
一同に、過度の緊張は見られない。
先ほどの空中での戦闘やこれまでのやり取りを通して、一行は一つのパーティーとして成長していた。
それは、様々な疑惑を残しつつも、渡鴉を含めてのことであった。
そしてそれを可能にしたのは、先ほどの「俺は、カルラやザムジードたちのためにも、命を懸けて戦うよ」というヒューゴの一言であることを、グィードは知っていた。
「いつの間にか、本当の英雄になっちまいやがって。いくら何でも早すぎるだろうが」
グィードが自慢の美髯を撫でながら、誰にも聞こえないように呟いた。
今やバキエルを追い越し、一行の先頭に立つカルラは、奥の通路から現れた敵の群れの姿を見て、わが目を疑った。
「どういうことだ、なぜ人間の軍隊がここにいるんだ?」
その叫びは誰に向けられたものであるのか、カルラ自身にも解らなかった。
カルラが目にしたのは、およそ1000人にも及ぶ人間の軍勢であった。
「あれは、冒険者もどきか?」
グィードが誰にともなく、叫ぶように尋ねた。
「恐らく、ですが、以前よりもはるかに人間に近づいています」
答えたのはディオゲネスであった。
実際、目の前の敵は、その獣染みた、赤光を宿した瞳以外には、ほとんど人間と見分けがつかなかった。
「あれも魔物なのか?」
カルラが確認するようにディオゲネスに尋ねた。
「ええ。恐らくは邪妖精が進化したものです」
「気を付けろ!奴らは冒険者と同じ魔法や戦技を使うぞ!」
グィードがディオゲネスの横から言葉を継ぐ。
と、グィードが言い終わらないうちに、数十人からなる魔導士と思われる冒険者もどきの群れの先頭に立つ数名が同時に詠唱するのが聞こえた。
「「「「光よ、我が敵を貫け!ライトニング・アロー!」」」」
「この魔法は!」
ヒューゴが思わず驚きの声を上げる。
それはディオゲネスが得意とする光属性の汎用攻撃魔法であった。
無数の光の矢が、一行の頭上から降り注ぐ。
「絶対防壁!」
両手を頭上に掲げながらディオゲネスが絶対防御魔法を発動する。
冒険者もどきが発動したライトニング・アローが不可視の結界によって弾かれる。
その瞬間に、一行は攻撃に転じていた。
「疾風飛翔走駆!」
カルラが長剣を構えたまま、呪文詠唱後の隙だらけとなった魔導士型の群れに向って疾走する。
その手前には騎士型の冒険者もどきの群れが、ドラゴンの鱗を思わせる金属の盾を構えて展開していたが、疾風飛翔走駆によって神速と飛翔能力を備えたカルラは、その群れの頭上を軽々と飛び越えた。
カルラと魔導士型たちの距離は一瞬のうちに縮まり、あっという間に数十人からなる魔導士型の群れの半数を殲滅していた。
魔導士型たちは、自分たちが魔物であることを証明するかのように、瘴気を撒き散らして雲散霧消した。
それを見届け、カルラは安堵する。
渡鴉もまた、ザムジードを先頭に敵の群れに突入した。
「飛翔する悪夢!」
その向かった先は軍勢の先頭に展開する騎士型の群れであった。
騎士型の数は魔導士型の3から4倍と推察された。
渡鴉の戦闘法も、基本的にはカルラと同じ飛翔闘法であった。
すなわち、重力から解放された神速による戦闘である。
当然、渡鴉一人ひとりの戦力はカルラに到底及ぶものではないが、部隊として完成された連携攻撃の威力は、カルラ一人の戦力を上回っている。
騎士型たちの武器は長剣、槍、連接棍と様々であった。
そして各自が、冒険者ギルドの基準に当てはめれば、中級から上級の実力を有していた。
それは、王国の騎士団の一個中隊に匹敵する戦力であると言える。
しかし、ザムジードに指揮された13人の渡鴉は、早くも騎士型たちを制圧しつつあった。




