0日目〜貴い時の陽だまり6
白百合は、左手に御札を持ち、不敵な笑みを浮かべている。
その堂々とした佇まいは、落ち着きの上に美しい、桜の木を彷彿とさせた。
「なんや四ノ宮はん。一発かましはりませんのえ?」
拍子抜けしたような顔をして白百合が滑るように言葉を紡ぐ。
この言葉は俺は呆気に取られた。
いや、確かに今なら、一発どころか何発もこの化け狐を殴れそうだが、つい先程まで燃え上がっていた戦慄はすっかり鎮火してしまったよ。
そんな事より、白百合は一体どうやってこいつを止めたんだ。
「お前、どうやってこいつを…」
その思考の間に、白百合に近づく人影が見える。
心太だ。
心太の動きは止まっていない。
「やめろ!心太!」
主が停止してもなお動き続ける心太が後ろから白百合に向けて突っ込む。
白百合は動く素振りを見せず、完全に死角。
しかし、心太の特攻は白百合に届かなかった。
ピタリと、心太の動きが止まる。
暴走を続けていた心太は糸が切れたかのようにその場で崩れさり、涼しい顔の白百合の傍に倒れた。
「心太!」
「大丈夫。へたって、眠ってはるだけやから」
その言葉に俺は安堵する。
心太が、倒れたことで一応全員を止めることが出来た。
これで結果として、全員の無力化。
件の問題は解決だろう。
思わず張っていた気を緩める。
しかし、結果的助かったとは言え、白百合は一体この状況で、どうして顔色1つ変えられずいるのか。
確かに、いつもどこか浮世離れした雰囲気ではあったが、ここまでくると人間離れしてるぞ。
「四ノ宮はん」
そんな思案から我に戻したのは、白百合の声だった。
「そろそろのかんと、しょうもないことになりますえ?」
「え?」
白百合の目が鋭く変わる。
それは決して俺に向けられたものじゃない。
明らかに別のものへと向けられていた。
俺はその目線の先にある物を見る。
化け狐の髭がピクリと動いた。
「うわ」
仰天の声と共に、反射的にその場を離れる努力をしたが、限界ギリギリにきていた体では少し遅かった。
圧が再び俺を襲う。
多少飛び退いたため、今までよりもダメージは少ないが、それでも数メートル飛ばされる。
やっぱり、一発かましとけば良かった。
俺は、おみくじの小屋の壁を背にしてもたれかかる。
どこかから何が折れた音が聞こえた。
今度こそだめだ。
体はうんともすんともいわなかった。
何故か途切れない意識の中、俺の視界にうつるのは、標的を変えた化け狐と、凛とした佇まいに薄ら笑いを浮かべる河佐白百合だった。
「ようこそおいでやす。似非狐はん。京めぐりはどないやったろか?」
白百合が啖呵を切る。
いつもの彼女から想像もつかないほど饒舌だ。
「喜んでもろうて、何よりやわあ。そうや。そろそろうちのぶぶ漬けでもどうどす?」
白百合の言葉は相変わらずゆったりしているが、心做しか棘が増す。化け狐も人語を理解しているのか、空気が一気に物々しくなる。
一触即発。
どちらかが動けば正しく開戦するであろうそんな
中でも白百合は止まらなかった。
しばしの沈黙の後、彼女は口元を緩めこう言い放った。
「うちのぶぶ漬け。みな美味しゅう言うてくれはるんよ。どうぞ、食べておくれやす」
瞬間。
思わず耳を塞ぎたくなるような轟音と共に、強烈な衝撃が暴風となって吹き荒れる。
何が起こっていたのか認知することさえ俺にはかなわない。
まさに桁違いの攻防がそこにあった。
一瞬の間を経て、俺の視界は鮮明になる。
そこへ映っていたのは先ほどまでと変わらない。
両者の睨み合い。
しかし、以前と決定的に違う点があった。
黄金に輝いていた化け狐の毛がくすみ、黄土色へと変色している。
「なんだ、これ」
俺が驚いているのを知ってか、知らずか、白百合が艶やかに微笑む。
「残念やったなあ。うちやなかったら、こうならんかったやろうに」
化け狐を相手にしても態度1つを崩さない。
そんな白百合を見て、俺は確信した。
こいつは、この状況に慣れている。
それなりの場数を踏んでいる。
怪異に対抗し得る人外がそこにいた。
先ほどの一言がよほどカンに触ったのだろうか。
化け狐が白百合へと真っ直ぐ飛びかかる。
「ん?待てよ。向かっている?見える?」
白百合はうふふと笑って御札を構える。
刹那。白百合の目の前からどこから湧いたとも分からぬ水が噴水のように溢れ出す。
そして、それは次第に凝縮し、化け狐の体を起点に青い球体の牢屋が出来上がった。
もがき苦しむ化け狐に、表情1つ変えない白百合。
あの一瞬の攻防でもこんな感じだったのだろう。
現に白百合は汗ひとつかいていない。
それでも化け狐もやはり凶暴で強力だ、暴れた末に球体から顔を出し、白百合と目と鼻の先まで肉薄する。
「あらあら」
しかし、白百合の後ろより流れ出た水流に押し戻された。
化け狐の体が宙を舞って叩きつけられる。
今まで、その場を決して動かなかった化け狐が動き、そして飛ばされている。
傍から見れば、そうゆうものだろう。
俺だってそうだった。
しかし、一種の違和感が頭をよぎる。
そもそも、どうして最初に止まった時、俺の右隣に化け狐はいたのか。
あいつは動いていなかったのか。
本当は動いていたんじゃなかったのか。
いつも、動かない化け狐。
目には見えない。
右側で止まる。
くすんでしまった毛。
それら全てのピースをはめ込み、違和感の正体にたどり着いた。
凄まじい速度で動き回っていた化け狐が、目で追えるようになっている。
「すんまへんなあ。なんべんやっても、無駄や」
飛ばされた化け狐が何度も白百合を狙い襲いかかるが、どこからともなく現れる強烈な水流によって触れることさえ出来ない。
化け狐のどんどん速度は落ちていく。
おそらくこれが最後の力だろう。
化け狐が必死に飛びかかる。
しかし、悲しいかな。今の化け狐の速度では、水流を出す必要もなかった。
白百合はその場から踊るように数歩左へと跳ぶ。
「うちは、未だ(いまだ)」
化け狐の着地点にはもう既に誰もいない。
「せやから、どんだけ速うても、うちを捕まえることは出来まへん」
白百合は、バランスを崩すことなく今までとは逆の手に御札を持つ。
「そして、うちは才を穿つ」
化け狐が着地したと同時に水が湧き上がり、そして瞬時に凍てつく。
「どんな才能持っとっても、それ自体無くなってしもうたら。意味、ないどすえ」
白百合の着地と同時に、氷の結晶は砕け散る。
これにて怪異、神隠しの化け狐は見事に退治された。






