0日目〜貴い時の陽だまり4
終電の到着を告げるチャイムがホームに鳴り響く。
それと同時に伏見区行きの電車が目の前へと滑り込んでくる。
次の瞬間には、ドアが開いて列が一斉に崩れ車内へなだれ込んだ。
迷っている時間はなかった。
硬直した頭よりも体が先に動いた。ホームで列を成している人の波をくぐり抜け、反対側へと繋がる連絡橋の階段を駆け登る。
発車いたしますというアナウンスが流れ、再び鳴るチャイム。
もう間に合わないかもしれない。
それでも、止まれない。
階段を物凄い勢いで下り、1番近くの車両へと飛び込む。
間一髪だった。
俺の後ろからドアの閉まる音が聞こえ、終電は発車した。
車内にいる乗客は怪奇な顔でこちらを見て、ホームにいた駅員さん達は苛立った様子だったが、今の俺はまったく気にしない。
ぐるりと今いる車両を見回す。
どうやらあの3人は居ないようだ。
俺は、そのまま進行方向の車両へと移動した。
車内に入れたことがあって安心したせいか、だんだんと俺の思考が復活していく。
そもそも取り乱してしまったが、心太とあの2人が一緒にいる可能性は、決して0ではない。
悠と麻友がまだ心太を探していて、京都駅構内にてたまたま見つけたのかもしれない。
まあその場合、俺に連絡をよこさないのは少し寂しいが、今回は目を瞑ろう。
おかしいのは、もう引き返すことの出来ない終電のこの時間に、どうして3人揃ってこの路線に乗ったのかという事だ。
この路線の沿線には、俺を含めて誰の家もないし、実家もない。
賑わいを求めて飲みに出るのであれば、普通は北上して烏丸辺りに向かう。
ならばどうしてこの路線なのか。
思案の最中、先頭車両にたどり着いたと同時に1つ目の駅へとたどり着く。
一応ドアから顔を出して、降りていないかを確認するがあの3人は見当たらない。
ドアがゆっくり締まり、また電車が動き出す。
先頭車両までにいないということは、自分が入った車両よりも後方車両にいることになる。
ほんと今日は、散々な日だな。
俺は進行方向逆の車両に進み出す。
携帯を使って麻友と、悠に何度か連絡を送ってみたが、返信どころか既読もつかない。
本当に一体どうしたんだよ。
最後方の車両に到達する前に、電車は減速をして次の駅に停車する。
車両間を隔てるドアの向こう側、ガラス越しから下車していく人が見えた。
今度は心太、麻友、悠もその列にいた。
3人が降りるのを確認して、俺も下車する。
普段よりも足を速め、3人の背中を捉えた。
「何してんだよお前ら」
割と大きな音量で呼びかけるが、なんの応答もない。
やめろよ、結構恥ずかしいだろうが。
「おい、悠」
今度は、悠の肩を何度か叩いてみる。しかし、目もくれずただただ改札へと歩く。
「もしもし、皆さん…?」
追い越して、3人と対面する。
顔はいつも通りなのだが、なんだろうか。
鉄仮面のような無表情に、どこか遠くを見据えているような目。
とにかく俺のことは眼中になどなかった。
柱をかわすかのように、するりと俺を通り過ぎる3人。
何故だか体の力が抜けている。
今の俺は、きっと間抜けな顔をしているんだろうな。
大学入学して間もない時に悠に言われたことがある。
どうやら俺は、時々死んだ魚のような目をするらしい。
みんなと一緒にいるのに、どこか目の前から視線を外す。そんな目。
別に、意識なんてした事なかった。あの頃は基本冷めていたから。
それでもあいつらは絶えず声をかけてくれた。
何故か諦めなかった。
そう思えば、今あいつらに1回シカトされただけで抜け殻になりかけてる俺はなんだ。
両腕に少し力を入れる。
足を動かす。
少し遠くに行った3人の背中を追いかけた。
改札から出てすぐ気がついた。
ここは2駅目、稲荷駅。
降り立った人が家路に着くため左右の道へと散っていく。
だがこの稲荷駅にはもう1つ、ある意味で最も使われている道がある。
「伏見神社…」
真正面。
石で固められた鳥居の奥には、本命と言える有名な伏見神社がある。
高名なお狐様が祀られていて、どこまでも続く鳥居の道。
ここから本殿はまだまだ先だが、厳かな佇まいはまるで異世界に来たのかのよう。
休日には人がごった返し、前回俺が行った時は途中で引き返したほどだった。
そんな伏見神社も、深夜になると流石に閑散としている。
だからこそか。余計に中へと歩を進める3人の背中が目立った。
こんな夜中に、神社で一体何をするのだろうか。
あいつらが定期的に、ここに3人で集まって何かをしてたなんて話は聞いてないが、もしそうならなんだ。
あまりその手には詳しくないが、この神社の境内で何か模様しものをしているのか。
それにしては人手が少ない気がする。
はたまた少し早いが、丑の刻参りでもしているのか。
あいつらが?
なんのために。
分からないものは仕方がない。俺は、そのまま3人の背中を追いかける。
1つ目の境内の裏手にまわり、奥へと続く鳥居の道へとたどり着く。
思わず俺は立ち止まってしまった。
一言で表すと不気味だった。
以前昼間通った鳥居の道と同じはずなのに、全然雰囲気が違う。
こんな時間でも律儀にライトアップしてくれているのだが、変に蛇行しているせいか出口が見えない。
さらに延々と同じ景色に終わり無く続くその道、1度入ると帰れなくなるんじゃないかと不安にさせた。
またあの律儀なライトアップも、むしろ道が強調されるように明るくなってしまい、周りが暗いアンバランスさは、不安の種を助長させてくる。
一呼吸おいて、俺は足を踏み入れた。
後ろをなるべく振り返らず、そのままあいつらが進んでいるあとを追いかける。
1つ目の道を抜け、また開けた場所にたどり着くも、また鳥居の道へと入っていく。
そうして本殿を目指し、どんどん奥へと進む。
いつ間に鳴り出したのか。
コン、コン、という木と木を合わせる音がきこえてくる。
それに追随するように自分の耳に、キーンという甲高い音が響く。
絶対なにかおかしなことが起きている。
普通じゃない。
少しでも緩めると気がおかしくなりそうなそんな状態で、ひたすら前だけ見据え進む。
今更帰るなんてことは出来なかった。
音が止む。
朦朧していた意識が、一瞬のうちに研ぎ澄まさせる。
どうやら最後の鳥居をくぐり抜け、本殿へとたどり着いたようだ。
目の前には追ってきた、心太、麻友、悠がちゃんといる。
均等な幅で横に並び本殿の方を向いて立っている。
とにかくあいつらに声をかけなきゃいけない。
近づこうとした瞬間だった。
時が止まったかのように思えた。
体中のあらゆる血管が、一斉に騒ぐ。
重い。苦しい。
明らかに一瞬のうちに与えられるような情報量を超えた何かが、自分の体に圧を与える。
気がつけば俺は、その場に倒れ伏していてた。
「がはっ」
何だ。
一体何が起きた。
訳の分からないままに、自分は地べたに這いつくばっている。
動こうと試みるが四肢不満足で、まったく言うことを聞いてくれない。
声にならない咆哮をあげる。
血は吹き出していないのに、おかしいくらいに疼く。
痛くないのに、全身が苦しい。
これに似たような感覚を前に味わったことがあったか?
俺は、使える頭のみをフル活用させる。
あった。ここ最近。
心太の家で感じた、あの圧だ。
今回はあれの比なんてもんじゃないが、本質的には似ている。
ということは、結果的にあれは心太の家からずっと付きまとっていたという事だ。
目の前をもう一度確認する。
あの3人は無事だった。
どうやらこの圧は、自分にしかかかってなかったらしい。
安堵したのもつかの間、もっと信じられない、信じたくない光景が目に飛び込む。
3人がこちらを振り向く。
こちらに向けて物凄い勢いで走ってくる。
そして勢いそのままにあいつらは、俺に蹴りをかました。
「おい…マジかよ」
伏していた自分の体が、少しだけ浮いたのが分かった。
どうやら1発だけで飽き足らず、俺を踏みつけてくる。
それに手加減せず、思いっきり。
これは流石にショックだ。
全身に痛みがはしる。
もう止めてくれと、心が叫ぶ。
楽になりたいそんな気持ちが、全身を駆け巡った。
上からの攻撃の中、必死になって前を見る。
本殿の前、石畳の道の上。
そこに佇む大きな獣の姿を俺は視界に捉えた。
黄金の毛に、赤い目。
大きな尻尾。模したそれは大きさのみ違えど、見慣れたものにそっくりだった。
狐。狐だ。
「お狐様…か」
祟り。これがお狐様の祟りとやらか。