0日目〜貴い時の陽だまり3
上へと繋がるコンクリート製の階段を登り、4軒あるうちの一番奥にある心太の部屋の前にたどり着く。換気扇も動いている様子はない。
「とりあえずもう1回押して見るね」
そう言って麻友がインターホンに手を伸ばしてボタンを押した。しばしの沈黙の中で電子音が鳴り響く。
しかし反応はまったくない。
少ししてもう1度試してみたが同じ結果だ。
「おーい心太。いる?」
麻友がドアをノックして呼びかけるが応答がない。
やはり中はもぬけの殻なのか。
「うーん、どうするの」
麻友が後ろを振り向き苦笑いを見せる。まあもとより、1回確認して出なかったんだからさほど期待してはなかったんだが。となるとやはりあれを使うことになる。
「合鍵を使って一応、中を確認するしかないな」
俺達は麻友の家以外の3人の部屋の合鍵を持っている。はじめは朝寝坊の多い俺を強制連行するためにノリでつくられたのだが、案外便利なことに皆が気付いて他男衆2人の合鍵もつくられた。
もっとも、だいたい使用されるのは、雑でバイトが多い俺か悠の部屋ばかりで、心太の部屋では指折り数える程しか使った試しがないのだが。
意を決して、俺はポケットからキーケースを取り出して合鍵を鍵穴へと入れた。
ガチャリ、という音と共に鍵は回る。そのままの流れでドアノブに手をかけそして引いた。
玄関はいつものままだった。
几帳面な心太らしく靴を靴箱に収め綺麗に整頓されている。
廊下の脇に見える台所も荒らされたような形跡はない。
「心太。いるか?」
声を中へと投げかけてみるがやはり反応はない。
「すまん入るぞ」
そう言って俺は靴を脱いで中へと入った。悠と麻友も続く。
ワンルームの部屋へと繋がる廊下を進み、6畳の洋間とを隔てるドアを引いて中を覗く。
その時、ドクンと全身が脈を打った。
鈍い俺でも分かるくらいの圧力が体を突き抜ける感覚だった。
俺は思わず反射的に後ろを向いた。
しかし悠も麻友も先程までと同じ様子で別段変わりない。
「どないしたんや」
悠が急に振り向いた俺に訪ねる。
「まさか、心太何かあったんか!?」
悠の言葉に麻友の顔も曇らせる。
「いや、まだ見てないから。ちょっと心の準備をしてただけだ」
俺は慌てて訂正する。
実際中はまだ確認してないし、たじろいだの事実だしな。
これ以上不安になる訳にはいかない。そう思って洋間の中へ入った。
結論から言うと中には誰もいなかった。
心太が寝込んでいる訳でもなければ、不安視していた誰かが中に潜んでいたわけでもない。綺麗に掃除が行き届いているいつも通りの心太の部屋そのままだった。
部屋に入って少しの間、しこりのように残っていた先程の感覚もすぐに忘れて気の所為だと言うことにした。
その後、ユニットバスも確認してみたがもちろん誰もいなかった。
いつもと違うのは麻友からの連絡が数件来ていた携帯が確かに充電器に繋がっていたことだった。
「どこに行ったんだろうね。心太」
「せやな。部屋荒らされとるちゅうわけやあらへんし、空き巣に誘拐されたってのはないやろな」
確かに、空き巣の類ならばここまでいつも通りなのは不自然な気がする。複数人で入った場合であれ何かしらの抵抗はするだろう。
「なら、学校へ向かう途中に何かしらの理由によって消息不明になったか」
そう考えるのが自然だろう。何かの事件に巻き込まれたか、とにかくそういったところ。
「まあ、それが妥当やろな。せやけど調べた感じじゃそんな大事起こってなさそうやけどなあ」
携帯を使って調べているのか、画面とにらめっこしながら悠が応える。
「ただ、人は忘れ物するとは言え携帯を、ましてや心太が忘れるとは思えないんだけど」
麻友が言うことも、もっともな気もする。それだけ式峰心太というやつは、几帳面なやつだ。
「まあ確かに、トラブルがあって怖いヤツらにでも連れていかれたのか」
自分で口に出してみるが心太にトラブルがあったという話はまったく聞いていない。
要するに八方塞がりだ。
陰陽師でも警察でもない俺たち素人が考えつけることなんて所詮この程度だった。
重い空気が3人を包み込んだ。
俺は充電器に繋がれたままの心太の携帯を見つめる。
本当にどこへ行ったんだよ。心太。
「もういっこ可能性があるっちゃあるで」
その重苦しい空気を破るように、悠が口を開いた。俺と、麻友が揃って悠の方を向く。
今から悠が何を言うかは分かっていた。ただ、誰も『あえて』それに触れなかっただけだ。
「神隠し。怪異や」
怪異に心太が巻き込まれたということだ。
馬鹿馬鹿しい事のように思える。先程考えた案の方がいくらかマシなはずだ。だから、俺も麻友も、もちろん発言した悠も含めて誰も本気ではない。
この京都で確かに起きてはいるけど、どこか他人事の怪異。そんな殺人事件と同じ感覚のものがいきなり降っかかてくるなんてのは想像できないし現実味がない。
「神隠し、何かや誰かが底知れずいなくなる」
「狐につままれたような気分やな。まったく」
麻友が小さく呟き、悠が珍しく苛立ちを示した。
狐というワードにふと、朝の大講義室における河佐白百合とのやり取りを思い出した。
お狐様に祟られぬよう。
その言葉が、しばしの間俺の頭に響き続けていた。
神隠しの伝承なんてものは、確かに色々ある。それこそ娘巫女のような人や物から一国すら消し去った話もある。その中に狐の話があったことを思い出した。
化け狐は姿形を真似るため相手をさらい、徹底的にその要素を集めまくるらしい。そして狐は、相手に化けることができ、逆に化けられた相手は要素を保てなくなり結果消える。
狐の祟りの話。
いつもなら、吐いて捨てる与太話。
しかしそれを頭から消すことは、なぜだか俺には出来なかった。
数十分待ってはみたがやはり心太は帰って来なかった。
麻友に5限目があったことと、俺のバイトの時間も差し迫ったのもあってひとまず俺たちは心太の部屋から出た。
友人の行方不明。誘拐。怪異。色々な可能性が渦を巻いて俺たちの心に溶け込む。
それを中和させるには、いささか俺たちは若すぎた。
明日になっても何も進展なければ警察に届けるということにした俺たちはアパートの前のバス停にて解散となった。
「なにか分かれば連絡してね」
そう言ってバイクに乗って去っていった麻友の顔はヘルメットで伺いしれなかったが、確かに気持ちが落ちているようだった。
それは俺も、悠も同じで、帰りのバスでは行きとは打って変わって静かだった。
交わした言葉は分かれた地下鉄の駅での別れのやり取りのみで、馬鹿話も出来るような気じゃなかった。
「四ノ宮君どうかしたの」
「え?」
そのままのテンションを引きずったままバイトをしていた時、ふと先輩である小烏久音が心配そうに声をかけてきた。
「ビールこぼれてるけど」
「うぉ!」
俺は慌ててビールマシーンを止めた。
ジョッキから溢れ出るビール。濡れた床。やらかした。
「なんかあった?」
俺があたふたしている間に久音さんは雑巾と布巾を用意し、後始末を手伝ってくれた。
苦笑いを浮かべながらも軽口叩くかのように聞いてくる。
「いやいや、なんもないっすよ。あはは」
「そう?いやいつも淡々とこなすのに、今日は淡々度合いが違うなと思ったからさ」
「淡々度合いって、なんすかそれ」
「うーん、熱の入らないさの無気力メーター的なやつかな」
「無気力って…」
久音さんの爽やかな外見から繰り出される、クセの強い言葉ももう慣れたものだ。
俺がこの居酒屋に入った時、色々教えてくれた先輩で、出勤がほぼほぼ被るためか1番仲の良い人だ。
と言うよりいつも出勤すればいるため、いつ休んでいるか分からない、社畜と化している。
「ありがとうです久音さん。おかげで助かりました」
「まあ、とりあえずオーダーとか間違えないようにしてね。今日の後藤さん(40歳独身)若干地雷臭するから」
「了解っす」
そう言って、久音さんは笑顔を振りまきつつフロアへと出ていった。
俺は自然と頭を下げていた。
年齢は俺とそう変わらない。ただ決まった定職につかずバイトで生計をたてているフリーター。
ここ以外にも掛け持ちでバイトをしてるため、何度か遊びに誘ったけど、予定が合わずここのバイト以外では会うことすらない。
それでも俺は、この人は自分より随分大人なんだと思っていた。
「お疲れ。四ノ宮君」
「お疲れっした」
夜十二時の時間で俺と久音さんはあがった。俺の声にはまったく元気はない。
「それにしてもやっぱり今日は散々だったね」
「ええ、返す言葉もないです。はい」
あの後、恐れていたオーダーミスを犯し、いつもより何故かイライラしていた社員の後藤の逆鱗に触れることになった。
俺が怒られている間、久音さんを含めて他の人が手を合わせていたとかなんとか。
「まあ、僕らからしたら避雷針が出来て万々歳だったよ」
曇りない顔をしながら久音さんが笑う。こっちはほんと散々だ。
「ん?今日もこの後別のバイトっすか?」
久音さんは今まで来てた制服をどでかい鞄にいれ、いつの間にか作業着に着替えている。
「うん。ちょっとした工事があるからね。貧乏フリーターは大変なのさ」
わざとおどけてみせるように言う久音さんに苦労の色は全然見えない。
ほんとこの人いつ寝てるんだろう。ってか社会はここまで働くのが当たり前なのかね。
着替え終わり、店の裏口に従業員出入口から俺は京都駅へと向かう。どうやら久音さんは今日は逆方向らしかった。
「じゃあお疲れ様四ノ宮君。終電逃さないように」
「お疲れ様した。久音さんも頑張ってください」
笑顔で数回手を降って久音さんは四条方面へと去っていった。
京都駅は日付けが変わったというのにまだまだ大勢の人がいた。
残業明けのサラリーマンから飲み会終わりの学生達、水商売の娼婦さんまでいる。
みんな終電待ちなのだろう。そのためホームにはもう列が出来上がっていて、俺は完全に出遅れた。
思わずため息がもれる。
帰りの電車を立って過ごすこともショックだが、心太のことが気がかりだった。
結局、バイトをしている間に誰からも連絡は来ていない。誰も手がかりはなかったという事だ。
もし、明日もこの状況が続いているのであれば、警察に届け出る。それを思うと心にずしりと重りが乗った。
ふと顔を上げる。対向するホームは反対方面、伏見区へと向かう路線だ。
休日にはよく参拝客で賑わう伏見神社があり、自分も行くのに何回か乗ったことのある。
しかし、そんなことはこの際どうでもいい。
今俺の目の前にうつっている事実が問題だ。
「どうして…お前ら、そこにいる」
俺は反射的に呟く。
線路を隔てた向かい側のホームには行方不明な探し人がいた。心太が列に並んでいる。
いつも通りの眼鏡、白のシャツにデニムのパンツ。中の剃っている部分を隠すようなツーブロック。清潔感のある格好はまさしく式峰心太だった。
彼がそこにいるだけでも頭に相当なインパクトがあるのだが、それだけで済まない。
それだけなら俺はきっと、心太の名を叫んでいたことだろう。
しかし、それが出来ない。処理が追いつかない。
口から上手く声が出てこない。
外せぬ目線のその先にいるのは、心太と、もう2人。
麻友と悠だった。