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紐解き人と原初の怪  作者: 渡摘千歳
プロローグ
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プロローグ

 僕は誰かを探していた。


 周囲に見えるものは何もなく、ただただ空間が広がる場所に1人ポツンと取り残されている。何もしないという選択肢はなかった。変わらない景色の中を僕は1歩ずつ足を進める。

 もうかれこれどのくらいこうしているのだろう。昔はきっと律儀に時間を数えたりしたものだろうが、いつの間にか面倒になってやめてしまった。少なくとも気の遠くなるくらいなんて言葉が生温さを感じる程度は、この苦行は冷たさと痛みを僕に与え続けている。そもそも今となっては探している相手が誰なのかさえ思い出せない。それでも探し続けているのはやはりそれだけ僕にとって大事な人だったのだろうと思うからだ。もう消えてしまいそうなそんな思いの灯火をエネルギーにして僕はひたすら歩いた。

 それからどれだけの時間がたったのかなんて分からない。うつむき加減に歩いていた僕が、ふと気まぐれに顔を上げた。遥か遠くに何かが見える。何もないこの空間の中においてそれはとても異質なものだった。見間違いかと思ったが、もう1度前を向いてもそれはそこにあった。視界にしっかりとそれを捉えた僕は一目散にそこへと向かった。走らずにはいられなかった。胸の奥底から活力という波が溢れ出す。その波に乗った心は自然と体を動かす力となって僕をはやし立てる。最初は石ころであっても構わないとさえ思っていた。何の役にも立ちそうにない棒切れや、埃だって、いつ以来か分からない僕にとっての大切な他者であり、探している誰かへの手がかりだった。次第に近づいてくる何かが鮮明に見えはじめ、その全貌が明らかになるにつれて僕の心はさらにはねる。大きないくつかの柱に、それらを補強する壁。支えられつつも全てを包み込む屋根。そしてその中央には客人を招く荘厳な扉。久しく見ていなかったから、思い出すのに幾分か時間がかかったが、目の前のそれを僕はこう形容した。

 洋館。洋館が僕の前に現れている。

 扉の前へと足を進め、はやる気持ちを落ち着かせようと試みる。もし、この洋館が僕が気の狂って生まれたただの幻想ならば、僕はまたあのアテのない人探しを続けることになる。一度知った幸福の味はその逆の絶望をも深くする。しかし、もしかしたらこの扉の向こうに探し求めていた誰かがいるかもしれない。そんな期待を持たずにはやはりいられなかった。

 そっとノブに手をかける。手のひらに伝わる金属製の硬い感触。これは嘘偽りのない本物だった。引いてみると扉はゆっくりと開いていき、洋館は招き入れる客人に対してその姿をあらわにする。自然と落ち着く、そんな匂いが僕の鼻へとやってきた。その匂いと共に僕は中へと足をふみ入れる。

 瞬間。目の前に広がる光景に僕は圧倒された。今まで見てきた殺風景な空間とは全く違う。無数の情報が一気に目を通して頭へ流れ込んでくる。そこには天井近くまで続く本棚と、それに納められた本が屋内を支配していた。自分が今いる場所は玄関口に当たる場所であるため少し広めのスペースがあるが、ここ以外は狭い通路と本棚が所狭しと並んでいる。一度奥まで進むと帰ってこられそうにないとさえ思えるここは、さながら書の迷路だった。

 僕は、手近なところにある本を手に取ってみた。皮の表紙に、スピンが付けられていて、なかなか分厚い。開くとパラッという紙と紙の擦れる音が耳に届く。この音。この手触り。この匂い。全てがどこか懐かしい気持ちに僕をさせた。

「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」

 この感動に浸っていて誰かが近づいていることに僕はまったく気がつかなかった。その声のした方をあわてて振り向いてみる。

 コツコツという音を床で鳴らしている黒いブーツに、すねまであるロングスカート、ベージュ色のニットのセーターを身につけ、眼鏡をかけた、茶色のウェーブのかかった髪の女性がそこに立っていた。本当にいつ以来か分からない他者との邂逅だった。頭のあちらこちらで色んな感情が生まれるのにどう言葉にすればいいのか分からない。滅多にない機会なのに僕はただただ彼女を見ていた。それしか出来なかった。

「あの、どうかされましたか?」

 彼女は困ったように首を傾げている。それはそうだ。見知らぬ人がそこにいて声をかけたらずっと自分を凝視してくる。普通に考えたらどうしたらいいか分からないし、悪ければ怒る人がいてもおかしくない。それでも僕は勝手に建物に入ったことへの謝罪よりも、ずっと凝視していた奇行の言い訳よりも、言いたかった言葉があった。

「ここは一体?」

「ここは図書館です。本ならばなんでも置いてある名も無き図書館」

「図書館…」

 頓珍漢な僕の問いにもさほど気にならなかった様子で、彼女は笑顔をつくって返す。確かにこの本の量は図書館と呼ぶに相応しいものだが、僕の知っている図書館とは比べ物にならないくらいの大きなものだった。

「あの、それであなたは」

 そして僕は彼女の目を見て訪ねた。もしかしたらこの人が、という思いが自然と込められている。そんな僕の想いを知ってか知らずか彼女は一瞥して口を開いた。

「あ、すみません。申し遅れました。私この図書館で司書をしております。マリアージュ・オルフィエッタと申します」

「マリアージュ・オルフィエッタ…」

 僕はもう1度彼女の名を復唱してみる。そして、悟った。残念ながら僕の探している誰かは彼女ではないことを悟った。彼女はとても上品で性格もいい子ではあるのだろう。ただ、自分が求めていた者ではないと僕の心が発していた。僕は思わずため息をついてしまった。

「どうしましたか?」

 ため息をついてしまったことに僕は罪悪感を抱いた。本当に久しぶりにコミュニケーションを取るからと言っていくらなんでもこれは失礼だ。あわてて僕は訂正を入れる。

「あ、すみません。ちょっと人探しをしていたものでつい」

「はあ、人探しですか」

「それですみません。ここへは他にどなたかいらっしゃられるのですか?」

 マリアージュは少し苦笑いを浮かべて申し訳なさそうな顔をした。

「いえ、ここには私1人でして」

「そうですか…」

 期待に膨らんでいた胸がどんどんと萎んでいく。悠久とも言えるような長い間苦しみ、歩き続けてきた果てにようやく見つけた洋館にも僕の求めていたものはなかった。またここを出ると今までのようなまた冷たい日々が訪れるんだと思うと、本当に気が狂いそうになった。

 そんな僕の様子を見かねたのか、マリアージュが笑顔で手を叩いた。

「ここは、書物を通して色んな情報が集まるんですよ。きっとその人の情報も見つかりますよ」

「それは、そうかもしれませんが……」

 僕は渋った。名前も思い出せない人を文字だけで探すなんて普通出来るもんじゃない。それこそ、雲を掴むのような話な上、それも徒労に終わってしまうことだってありえる話だと思ったから。しかし、マリアージュはそんな僕を気に止めず続ける。

「私も一緒に探しますから少しだけ調べてみましょう。ここはとても広いのではじめての方は迷子になってしまうでしょうから」

「そんな、迷惑をかけられないですよ」

「大丈夫です。お客様滅多にこられないですから」

 それに―

 そう付け足してマリアージュはトーンを一つ下げて僕に囁いた。


「ここはそうゆう場所ですから、多分すぐ見つかりますよ」


 マリアージュに勧められて奥へ入っていくと予想通り迷路のように本棚が並べられていた。それどころか玄関口の書物の束がほんの一部であるかのような量の本が奥には眠ってあった。どの部屋にも無数の本棚に無数の本。これ全てを1人で管理しているマリアージュは尋常ではない者なのだと僕はこの時ばかりは思う。

 しかし、いくらそんなマリアージュと2人がかりでもここまで膨大な数の書物を漁って何か情報がないかを調べるなんてことはどう考えても時間が足りない話だ。そんな馬鹿な話は僕にはあってもマリアージュにはない。完全な無駄な時間だ。ご好意のみ受け取って立ち去ろう。そう決めて声をかけようとしたその時、前を歩いていたマリアージュがふと足を止めた。何事かと思って彼女の目線を追ってみると天井から少しだけ下の位置にある黒い背表紙の本にたどり着く。マリアージュの身長では手を伸ばしても届かないだろうし、おそらく僕でもぎりぎり届かない位置にその本はあった。

「少し待っていて下さい」

 そう言うとマリアージュはその場から離れる。きっと踏み台か梯子を持ってきてこの本を取るつもりなのだろう。僕はその場で待機する。しかしどうして彼女は急に立ち止まってあの本を取ろうとしたのだろう。そんな答えのでない考察を続けていると本当にすぐマリアージュは梯子を片手に戻ってきた。彼女は本棚にその梯子をもたれさせるようにかけて、ずんずんと登り、そして黒い本を手にするとすぐさままた降りた。

「お待たせしました」

 そう言ってマリアージュはその黒い本を僕に差し出した。

「え、マリアージュさん、どうゆうことですか」

 僕はいまいち状況が理解出来ていなかった。突然取ってきたその本をすぐには手に取ることが出来ずにいる。

「大丈夫です。手に取れば分かります」

 そんな彼女の言葉もあって半ばされるがままに僕はその本を手に取る。黒い表紙にはとても高級な皮が使われていて、少しだけと特異な模様をしていた。僕は本の表紙を開く。

 次の瞬間。その本の内容だろうか、それらは僕の頭に、目に、心に、一気に雪崩のように入りこんだ。消えかかってモヤのかかっていたビジョンがどんどん鮮明になっていくのを感じる。長い長い年月の末に劣化していたそれらがまるで逆タイマーのように巻き戻る。

 そして僕は思い出した。僕が探している人。それがどれだけ僕にとって大切な人なのか。どうして今は会えなくなってしまったのか。

 それら全てが燃え上がり、僕は自分を制御できなくなった。

 涙が僕の頬を滴り落ちていくのが分かった。きっとマリアージュはこんな情けない姿の僕を隣で見ているのだろう。それでも今は関係なかった。ただただこの人に会いたいと、それしか僕にはなかった。

「メルテ…」

 僕は探し人の名を呟いた。


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