③
クラウスの怒りを買ってから、私はそれまで以上に魔女の修行に明け暮れた。どうにかして優秀な魔女になれば、あの日の約束どおり、クラウスの契約の魔女になれるのだと信じたかったからだ。
私が十二歳、クラウスが十三歳になった頃のことだった。その日、私は読みたい本があって、ひとりで王宮の図書館に行った。探していた本をみつけたは良いけれど、その本は随分と高いところにあって、私が困っていると、偶然その場に居合わせたギュンターさんが気を利かせて声を掛けてくれたのだ。事情を説明すると、ギュンターさんはご親切にも私の代わりにハシゴを登って本を取ってきてくれた。
私はお礼を言って、目的の本を受け取った。ギュンターさんは既に用事を済ませていたけれど、母や父に世話になっているからと言って、私とひとことふたこと世間話をした。私が魔女になるために修行中の身なのだと知ると、「それなら是非」と、まだ調薬技術も拙かった私に傷薬の調薬を依頼してくれた。
私にとっては初めての依頼だった。だから、ギュンターさんが図書館を出て行ったあとも、私はしばらくのあいだ浮かれていた。
早速部屋に戻って調薬に取り掛かろうと、私ははやる思いで本の貸し出しの手続きをはじめた。すると、どこからともなくクラウスが現れて、カウンターに置いてあった、私がたった今借りたばかりのその本を取り上げてしまったのだ。
「返して!」
「やだね」
まるで子供の喧嘩だった。きっといつもの私なら、無邪気に笑ってあしらっていたのだと思う。けれど、そのときの私は少しでも早く部屋に戻って調薬をはじめたくて、本を取り戻そうとムキになってクラウスに掴みかかったのだ。
おそらく、クラウスは何らかの理由で虫の居所が悪かったのだと思う。私が何を言っても彼は不機嫌な仏頂面で、一向に本を返してくれなかった。そのうち私たちは揉み合いになって、ふたりそろって床の上にひっくり返ってしまった。私はぎゅっと目を瞑って、身体が床に叩きつけられるのを覚悟した。
けれど、私の身体は床に叩きつけられなかった。私を庇ったのか、偶然そうなっただけなのか、クラウスが私の下敷きになっていたからだ。
私を抱き止めるようにして床に片腕をついていたクラウスは、ぴくりと眉を顰めると、私の肩をとんと小突いて、「どけよ」とぶっきらぼうに言い捨てて、床についた腕を庇うようにして立ち上がった。
「待って、クラウス」
私は慌てて彼を呼び止めた。仏頂面で振り返った彼の腕に、自然と手を伸ばした。
だって、そのときの私には、それが当たり前だったのだ。彼の傷は、痛みは、私がすべて肩代わりするものなのだと、そう思っていたのだから。
「それ、痛いの?」
私の指が彼の腕に触れる、その前に、彼は酷く不機嫌な顔になって、吐き捨てるように私に言った。
「うるせぇ、俺に触るな」
ああ、そうか。
私はそのとき初めて、自分が彼に嫌われてしまっていたことに気が付いたのだった。
*
あれから時は過ぎて、私は十六歳になった。魔女が扱う初歩的なおまじないは使えるようになったけれど、未だに私は未熟な魔女見習いのままだ。若い頃の母がそうしていたように、ギュンターさんをはじめとする騎士団の面々や階下の使用人のみんなを相手に、薬を処方したりおまじないをしたりしながら地道に経験を積んでいる真っ最中だ。
十八歳の誕生日を間近に控えたクラウスは、最近ではあちこちの夜会に積極的に顔を出して、国の要人との関係を強固なものにしているらしい。顔立ちが整っていてすらりと背の高い彼は、王太子という身分も相俟って、国中の若い女の子の憧れの的なのだという噂も聞く。私の前ではあんな調子だけど、きっと彼に相応しい身分のご令嬢の前では、礼儀正しく紳士的に振舞っているのだと思う。
王侯貴族が集う華やかな舞台の中心にいる彼と、王宮の片隅で魔術書を片手に薬を拵えるだけの私とでは、もはや住む世界が違いすぎる。彼がどこかしらの夜会でお綺麗なご令嬢達と戯れているあいだ、私は魔女らしく人目から隠れて陰気な研究に心血を注ぐ。
私たちの道は、いつのまにか完全に別たれてしまっていた。




