03 巨人と不思議くん
森の上空で緩やかに停止した。流石にここから完全に自分の力だけで学園に戻るのはガス欠になること必至だ。それに、仮にそんなことを凌駕する魔力の持ち主であっても、ほとんど無重力状態の俺とセドリックの「風」の魔力は相性が悪い。大人しく歩いて帰るのが吉だろう。
ぐるりと辺りを見渡し、太陽と学園の方向を確認する。森に道らしい道はないらしいが、方向さえ間違っていなければ辿り着くと思う。多分。
ふわり、と森の中の芝生に着地する。案外背の高い雑草は生えておらず、精々足首までの高さの草しか生えていない。これは歩きやすいだろう。山ではないから斜面もほとんどないだろうし、どうしても歩いて行けなさそうならガス欠覚悟で飛んで行けばまあどうにかなる。楽観的に行こう。
よし、と胸を張って歩き出そうとしたところ、背後から声をかけられた。
「わあ、驚いた。天使かと思ったよ」
周囲の物を持ち上げて威嚇しようとしたところ、歯の浮くようなセリフでそんな気が失せた。
半目で振り返り、声の主の顔を確認する。
「君小さいねえ。どこの子だい?」
巨人だった。
それは決して比喩などではなく、ましてや俺の背が低いから起きる錯覚でもない。異様に背が高く、ひょろひょろとした手足を持て余すように組んだり広げたりしているその人影は、女性用の喪服を身に纏い、男のような低い声で話す。顔は密度の高い黒いレースに阻まれ、見ることは叶わない。かろうじて見える口元には、青紫色の紅が引かれている。
「もしかして迷子になってしまったのかな。私と出口を探そうか」
腕同様、ほっそりとした指を顎に当て、婀娜っぽく微笑んだ巨人は、完全に俺を子供扱いしている。ふと、この森が曰く付きと言われる所以を思い出した。
ーーあの森には悪魔が住んでるんだって。
ーー悪魔は小さな子供が大好きなんだって。
ーー子供を見つけたら、攫って頭から食べちゃうんだって。
そんな子供染みた噂話を思い出す。
しかし、もし俺のことを子供だと認識しちまってるなら、まずい。頭からばりばり喰われるかもしれない。復讐してねえのに食われてる暇なんてどこにも無い。
「い、いや。方角わかるんで……」
「方角なんてこの森では役に立たないよ」
「え? いや、そんな……」
「この森で信頼できるのはカンテラだけさ」
ほら、とどこからか取り出したカンテラを掲げてぽ、と光を灯す。魔粒子と呼ばれる微細な物質が巨人の手に集まり、光り輝き、カンテラの炎を更に美しく輝かせる。あの、見たものすべてを燃やし尽くしてしまいそうな黄金の炎とは段違いの美しさだ。
薄く紅が引かれた口元が緩く弧を描き、俺の身長に合わせるためかしゃがみこんだ巨人がカンテラを俺の手に持たせる。じんわりとした暖かさが伝わってきた。怒りや荒んだ感情ばかりだった胸中がしゅるしゅるとしぼんでいく。
「私が怖いなら、カンテラを持ってお行き。きっと君を導いてくれるはずさ」
俺の思考を読んだかのように、言葉を紡ぐ巨人。なんだか暖かい。もしかして、ただ背が高いだけのいい人なのかもしれない。喪服なんて妙ちきりん格好はしてるし、女性的なのに声は低いけど、悪魔ではないと思う。思ってしまう。
「……ありがとうございます。お借りいたしますわ」
「うん。きっとそれがいい。返さなくても、構わないよ」
小さく頷き、すっくと立ち上がった巨人は淑女然として微笑んだ後、す、と彼方を指差した。
「あちらに進むと良い。あとは、カンテラが導くままに」
そう言われ、指された方を向いた後、もう一度振り返れば巨人はいなくなっていた。
きらきらと未だにきらめくカンテラの火と、僅かに残る魔粒子の名残。じんわりと手から伝わる暖かさに、気分が少しだけ軽くなる。
「……うしっ」
カンテラを掲げ、指し示された方へと歩き出す。
ーー背後でほくそ笑む悪魔の存在に気付かずに。
ーーーーーー
「お、すげえ。ほんとに着いた」
がさ、とベタに茂みから顔を出せば、そこはさっきの裏庭。見た限り人影はない。それを十分に確認してから茂みから出る。立ち上がって初めて分かったが、酷い焦げ跡がある。あの炎だろう。浄化の炎とは、よく言ったものだ。
「あ、ラトナいたー」
ふと、間延びした声が響く。
声のした方に振り返れば、俺の幼馴染で数少ない俺の本当に性別を知っている人物。シュバルツ=M=ジェッカーが立っていた。陰気な見た目とマイペースな性格から友達が少ないらしく、こうやって突発的に俺を探す習性がある。ほとんど野生動物みたいなやつだ。
「なーにしてたのー? 森で昆虫採取ー?」
「残念。森で迷子になりかけてたんだよ」
「へー、おれ、てっきりいじめられたのかと思ってたー」
ぴくり、と片眉が跳ね上がったのが自分でも分かった。それを見てえへへー、とシュバルツは照れ臭そうに笑った。
「おれ、よく知ってるでしょー? 教えてもらったんだー」
時々、こいつはこうやって教えてもらったと言う時がある。誰に教えてもらったのかと聞けば笑ってはぐらかされ、学園内でもプライベートでも、こいつと話をする奴は皆無だ。正直ちょっと気味が悪い。
「ルナトルとー、ローズワルドだっけー? 特にローズワルドが怖かったねえ」
ルナトルとは、セドリックのファミリーネームだ。仮にも自分よりも格上の家柄のやつを呼び捨てにするとは、肝の座った奴である。
まるで自分もそこに居合わせてたかのように話をするシュバルツに、ふう、と溜息を一つついていつもの事だ、と自分を納得させる。これで助けてくれれば良かったのに、なんて言えば助けて欲しかったの? と面倒くさい問いが返ってくるに決まってる。一度聞いたらしつこいんだ。こいつ。
「あははー。やっぱこのお話ししても変な顔しないのラトナだけだー。すきー」
べたー、と腰にひっついてくるシュバルツ。いつもの事だし、こいつは俺が男である事も知ってるから適当にあしらう。よしよしと軽く頭でも撫でておけば時期に飽きるはずだ。気分的には時々やってきてはゴロゴロと体を擦り寄せてくる野良猫に懐かれてる感じだ。嫌いじゃない。
「校舎に戻ろー。先生にはおれが付き合わせたって言うしー」
「変な噂立てられても面倒だし着くまでには離れとけよ」
「はあい」
ふと、何気なく持ったままだったカンテラの火がいつの間にか消えているのに気がついた。とても綺麗だったから少し残念だ。
「……なにそれ」
「ん? 森で会った巨人に貰った」
「巨人……?」
「教えてもらわなかったのか?」
にた、と嫌味っぽく笑ってシュバルツの顔を覗き込む。しかし、その顔は決していつもの能天気そうなぽよぽよとした表情ではなかった。固く、重く、どことなく緊張した顔だった。
「……それ捨てた方がいいよ。ヤな予感する」
徐に呟いた言葉に、思わずシュバルツの顔とカンテラを見比べる。こいつがこんな風に言うのなんて始めてだ。間延びした声も今はすっかりなりを潜めている。
貰い物を捨てるのは気が引けるが、こいつがこんなに真面目な顔をして言うなんてよっぽどなのだろう。
……すまん。巨人さん。許してくれ。
森の入り口の一際大きくよく目立つ木の枝に、カンテラをかける。ぺこり、と申し訳程度に頭を下げ、もうひっつくのをやめたシュバルツを連れて校舎へと戻った。
どこかホッとしたような顔をしたシュバルツが、久しぶりに遊びに行きたいなーなんて、世間話を始めた。
完全に意識がそちら側に向き、予定立てを検討し始める頃、背後のカンテラがかたりと音を立てたが、俺が気付くことは無かった。