01 復讐の誓い
前世というものをご存知だろうか。
ああ、怪しい宗教勧誘ではないので悪しからず。ご理解のほどを求めよう。
前世で私はとあるブラック企業で働く冴えないサラリーマンだった。齢二十代にして決して感情が籠らないレイプ目と消えない隈との死闘を日々繰り広げていた。お友達はパソコンと机と椅子。親友は栄養ドリンクMON◯TERだ。
あれは5徹明けの深夜だった。朝ではない。危うく6徹に突入するところだった日だ。
ふらふらの満身創痍の状態で無人の駅のホームに俺はいた。当時は冬で、その日は殊更寒く、風が強かったのを覚えている。ぼろぼろのくたびれて裾が擦り切れたコートをきつく抱きしめるようにして縮こまっていた。
ホームに女性の声が響く。車線案内だ。これに乗れば家に帰れると思い、思わず心が浮き立つ。
一際強い風が吹き、電車の車輪の音が聞こえてくる。強風に目を閉じ、体を硬ばらせると、どん、と衝撃。
前のめりになり、腕を組んでいたからか手が咄嗟に出ず、足を突き出して踏ん張る。すると、小さな舌打ちが聞こえ、さらにもう一度どん、と背中を押された。ひどい鈍痛が背中に走り、思わず一瞬体の筋肉が緩んだ。
そのまま駅から放り出され、線路に無様にどさりと落ちた。落ちた衝撃と背中の鈍痛で息ができず、その場から動き出すことができなかった。顔を上げれば、目の前に迫り来る電車。真っ白なライトに眩む視界の中、ホームに消火器を持ったまま立ち尽くす人影。
俺が覚えているのはこれが最後だ。
厳密に言えば、その後四肢が引きちぎれ、体の中のものが根こそぎ外に押し出される激痛を味わったが、できれば思い出したくないので割愛させていただく。
これが俺の前世である。別に伝説の残る勇者でもなかったし、数多の男に求められた美女でもなかった。ただの冴えないボロボロリーマンだったんだ。
それが、なぜ。
「おかえりなさいませ。お嬢様」
こんなブルジョワになったのやら。
ーーーーーー
時は遡ること約16年。暗闇の中からおんぎゃあとこんにちはした俺は、何が何だか分からず、俺をホームから突き落とした奴への怒りを現実逃避のように喚いた。その怒りは言葉にはならず、泣き叫んだだけだったが。
するとどうだ。周りにいる訳のわからない言葉を喋る巨人にあれよあれよと言う間に風呂に入れられ、服を着せられ、とある女性の腕にパスされた。バスケットボールの気持ちを味わった。
それからは微睡みと怒りの生活だった。
巨人、後に母と認識する女性からお乳を飲まされ、微睡み、起きればあんちくしょうめ絶対に許さねえからなと泣き叫び、また様々な玩具や子守唄を駆使されて微睡み、起きればケツが不快だったりあの消火器野郎への怒りだったりでそりゃあもう喉が痛くなるほど泣き喚いた。
そんな乳児期を経て、夜泣きの酷い子と烙印を押され、幼児期前半に突入。クソまずい離乳食は遠慮なく撥ね付けた。体に悪い味がしたんだからしょうがない。
そうしてわがままの烙印を上乗せされ、幼児期後半に全速力で突っ込んだ。
そこで異変が起きた。
自分で立つことができるようになったころ、自分でも不思議なほどに赤ん坊になっていたことを自然に受け入れていた上で、自分の股間に前世と同じ感覚がある事に安堵した記憶。その記憶が少し黄ばみ始めたころ、母が俺にふりふりの可愛いドレスを着せ始めた。
最初はそれほど頻繁では無かったが、段々エスカレートしていき、今では俺のクロゼットに男物の服などゼロだ。
始めてドレスを着せられた日はあまりの衝撃に固まり、抵抗ができなかった。それがいけなかったのだろう。「どうもこの子はドレスを嫌がらないらしい」と判断した母はそれ以降どんなに俺が抵抗しようが意地でも俺を可愛く着飾った。鏡に映る自分は己でもドン引きするほどの変わりようで、正直可愛らしかった。
もうそうすれば女性としてのマナーや言葉遣い、その他諸々を教え込まれ、今では立派な淑女。
そして学童期に入った頃、始めて自分の家がかなり裕福な家なのだと自覚した。
先生や友人に己のファミリーネームを言えば、全員が全員顔を一瞬引きつらせ、媚び媚びモードに転換する。非常に気持ちが悪かった。
そして今から6年前。即ち俺が10歳の時、プロポーズというものをされた。
子供同士の「しょうらいぼくのおよめさんになってね!」なんて可愛らしいものではなく、ひざまづかれ、手の甲に拙いキスを落とされ、小さいが立派な花束を手渡され、「ぼくとけっこんしてください」と割と本気でプロポーズされた。やめてくれ。
それから両親は俺が男であることなど忘れたのか、先方の親ときゃっきゃうふふと契約を進めていき、契約書にまでサインして婚約させられた。俺は齢10にしてフィアンセを持ってしまったのだ。しかも同性。
そして16歳になった今、俺は盛大な修羅場に立っていた。
「お嬢様、セドリック様とのご会食が……」
「知るか! あんな浮気者! 絶対に行かねえ!」
そう。婚約者であるセドリックが浮気しやがったのだ。
叩き込まれたマナーも言葉遣いもかなぐり捨て、現在通う学園の鞄を力任せに叩きつけて自分の部屋に引きこもる。
奇跡的にこの歳になっても第二次性徴がほとんど現れず、声も高く背も男にしては低いまま。よく言えば女装がバレないが、悪く言えば女性的魅力が皆無である。
それが原因でもあるんだろうが、あのクソ婚約者は俺の他に成績優秀、妖精顔、それに加えてボンバーボディというお前課金しすぎだろ、と言うほど完璧な転校生ちゃんとよろしくやってやがったのだ。
俺がこんなにも憤慨しているのは別にあいつが好きで浮気された嫉妬から来ているのではなく、あいつのプロポーズのせいで女装だと幼い頃にカミングアウトするチャンスを潰され、自分が進む未来をがっちり固定され、尚且ついい所のぼんぼんだったので隣に立っても恥をかかないようにカンストするまで家事スキルを磨きまくった。それら全てを無かったことにしようとしやがったのだ。あいつは。
「ぜってえ許さねえ……! 怯えてやがれクソ猿がぁ……!」
ベッドに沈み込み、怒りに打ち震える。前世で感情を押し殺してきた反動か、この世界での俺の体は殊更感情をコントロールするのが苦手だった。ぐつぐつと煮えたぎる怒りに比例するように、俺の周囲の物が浮いたり壊れたりし始める。
言い忘れていたが、ここは異世界。魔法が存在する世界だ。
この世界に生を受けた一部の人間にはとある魔力が宿り、それを制御し、行使することで社会的高位な地位に立つことができる。
俺もその魔力の恩恵を受けた身であり、それはサイコキネシス染みた、物に触れずとも自由に動かすことができるという非常にシンプルだがそこそこ強力な力だった。
現在通う学園もそれを制御する方法を訓練する学園であり、箱庭のような仕組みをしている。
そして、その箱庭にぶち込まれた秩序を乱す雑草の種。即ちかの課金厨の転校生である。
転校生に虫のように群がる男ども。稀有な魔力の恩恵にあやかろうと媚びを売る女ども。ひどく気持ちが悪かった。無論、俺は男でも女でもないような身だったし、特段興味もなかったので接点は今までなかったのだが、俺の人生を滅茶苦茶にした男を誑かし、間接的にとは言え俺の今までの努力を無駄にしようとしたあの雑草は決して許してはならない。
恐らく今回の会食で別れ話でも切り出すつもりだったのだろう。誰がさせるか。せめて俺が社会的に男に戻り、新しい恋人を見つけるまでは体裁的にもキープし続けなければならない。
絶対に許さないし、絶対に離さない。じわじわ雑草ごと除草剤で嬲り殺しにしてくれる……!
「待ってろクソ課金厨と猿……!」