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第四十五話 ばいばい②

 どん、と腰の当りを突き飛ばされて尻もちをつく。


「え?え?」


 濡れた地面に座ったせいで、着ていた短パンに水が染み込んでいく。

 下着まで濡れた。

 気持ち悪い。


 立ち上がって聞いてみる。


「ゆうちゃん?」


──おねえちゃんがおかあさんなかした


「いや、違うよ!いやそうなのかな」


 子供の声はゆうちゃんだったらしい。

 想像していたよりもハッキリとした声だった。


 ゆうちゃんは私がみかこさんを泣かせたと思っている。


 ゆうちゃんに突き飛ばされてしまった。

 悲しい。

 目の前にゆうちゃんに渡したシナモンのコインケースが浮いていた。


 立ち上がって弁明する。


「いじめてないよ。何もしてない。ゆうちゃんに会わせたくて連れてきたの」


──おかあさんないてる


 雨が激しくなる。

 目を開けているのが辛い。

 瞬きを何度かすると、目の前にみかこさんとゆうちゃんが現れた。

 

 ずっとそこに居たんだから、現れた、はおかしいかな。

 みかこさんはゆうちゃんを抱きしめたまま泣いていた。


「大丈夫ですか?」


 二人に向かって手を伸ばす。


 触れることはできないようだ。

 手は二人の体を素通りした。


──死んだ人間に大丈夫も何もないでしょう!


 みかこさんが激昂した。

 その通りだ。

 生きている私が何を言っても、死んでしまった二人を慰めることはできない。


──おかあさん、いたい?


 ゆうちゃんが心配そうにみかこさんの頭を撫でた。

 それを見てまたみかこさんが泣き出した。


──ごめんね、ゆう


──なんで?


──海で死んじゃったでしょう。お母さんのせいで


──いいよ


──まだ小さいのに


──ゆうちっちゃくないよ


──お姉ちゃんだもんね


 みかこさんとゆうちゃんが穏やかに話している。


 私はぼうっとそれを眺めていた。


──ねえ、ももかさん


 ふいにみかこさんが私のことを呼んだ。


「はいっ」


 びっくりして上ずった声で返事をする。

 

──あなたにお願いがあるの


 みかこさんのお願いは、生前住んでいた家に連れて行ってほしいというものだった。

 みかこさんは、そこには旦那さんと、ゆうちゃんの妹に当たるもう一人の娘が住んでいるはずだと言った。


「いいですよ。住所を教えてください」


──○○市▽▽町3-4-7


 スマホの地図アプリに入力をする。

 隣町だ。

 自転車だと一時間くらい、と経路が表示された。


 雨はまだ降り続いてるし、いつもならこんな雨の中自転車は走らせない。

 でも、雨が止んだらみかこさんとゆうちゃんの姿が見えなくなるかもしれない。


 乗り掛かった舟だ。

 今から行ってしまおう。


「ちょっと用意するんで、待っててください」


 そう言って一度部屋に行き、水を通さないビニールのポーチに財布とスマホをいれて、私は再び家の外に出た。  


「行きましょうか」


 自転車に跨って告げた。


 ◇


 みかこさんとゆうちゃんは自転車の荷台に横座りをしている。

 重さはない。

 一人で自転車に乗っているのと変わらない。


 どうせずぶぬれだからと諦めて、かっぱも身に着けずに走っている。

 傘も持ってきていない。

 雨の中を自転車で走るのは妙な高揚感がある。


 路面の摩擦が少ないせいで、乾いた地面を走るよりもスピードが出るけれど、速く漕ぎすぎないように注意しながらゆっくりと進む。


 前に一度、雨の中を自転車で走ったときにスピードを出しすぎて、曲がり切れずに転んだことがあった。

 

──あはは!


 後ろでみかこさんに抱えられているゆうちゃんが笑っている。


「落とされないようにね」


──重くない?


 みかこさんに聞かれた。

 重さはないって言ったら、また傷つけちゃうかな。


「軽いです!」


 嘘は言っていない。


 途中でスマホで位置を確認しながら、暗い道を進む。

 街灯はほとんどない。

 自転車の灯りだけが頼りだ。


 大きな道路とは外れている歩道もない道だから、この時間にすれ違う車や人は居ない。


 他にこの道を通っている人もそう思っているのだろう、たまに会う車にヒヤッとさせられた。


 みかこさんの道案内もあり、順調に進んだ。

 経路案内の通り、ぴったり一時間後、私たちはみかこさんとゆうちゃんが住んでいたマンションに来ていた。


「着きましたね」


──ありがとう


「いえいえ」


 そう言って、マンションのエレベーターに向かう。

 ずぶぬれだから、あんまり他の人には会いたくないな。

 気休めにポーチから取り出したタオルで髪と顔を拭いた。


 でもみかこさん達は一緒に居ないと移動できないみたいだし。


──三〇一号室よ


「分かりました」


 服から水が滴り落ちなくはなった。


 みかこさんに告げられた部屋の前に行くと、石橋、と表札が書かれていた。

 ここだ。

 

インターホンを押す。


『はい』


 男の人の声がした。


「石橋さんのお宅ですか?」


『そうですけど』


 なんて言おう。

 みかこさんとゆうちゃんの幽霊を連れてきましたなんて、頭のおかしい人だ。

 迷っていると、ゆうちゃんが言った。


──おとうさん!


『え?』


 ガチャリとドアが開く音がした。


 私は咄嗟に逃げた。

 マンションの階段の踊り場までいって、そこから様子をうかがう。


 みかこさんとゆうちゃんが開いたドアから家の中に入っていった。

 男性は気づいていないようだ。


「うわ、濡れてる」


 ドアを開けた男性がつぶやいてドアを閉めた。

 ドアの前には濡れた私の足跡がついていた。


 知らない人から見たら怪奇現象だな。

 ピンポンダッシュをしてしまったことに罪悪感と、目的が達成できた嬉しさで何とも言えない気持ちになる。


「会っても説明できないし」


 しょうがないよね、と自分を納得させて、また自転車に乗って家に帰った。

 帰り道は雨が上がっていた。


 ◇


 次の日の朝、ユラリに会いに岬に来ていた。

 昨日起こったことをユラリに話す。


「そんなことがあったんですか」


「なんて声を掛けたらいいか分からなかったんです」


「私も分かりませんよ」


「みかこさんに言われるまま連れて行ったのは、大丈夫でしょうか」


「私たちが何かするより、家族と過ごす方が落ち着くと思いますよ」


 ユラリはそう言って笑った。

 連れて行ってから、一人で家で悩んでいたのだ。

 家族を道連れに、なんてみかこさんが思ったらどうしようかと。


「みんながみんな、幽霊になれるとは限らないので、もし旦那さんとゆうちゃんの妹さんを殺しても、会うのは難しいと思います」


「そうなんですか?」


「はい、みかこさん達は結構特殊なケースです」


 死んだことに気づいていなかったみかこさんと、幽霊になったみかこさんに会いたがっていたゆうちゃん。

 海の中で死んだから幽霊になれたのだろうとユラリは言った。


「普通は、自分が死んだことに気づかないってこと、あんまりないですしね」


 死んだことが分かると、よっぽどこの世に未練がない限り、早く無になりたくなるのだそうだ。


「成仏できてたらいいです」


「大丈夫だと思いますよ」


 ◇


 ユラリとそんな会話を交わした一週間後、岬に行くと、ユラリがみかこさんとゆうちゃんと話していた。

 雨が降っていないのに、二人の姿がはっきりと見える。


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