第十七話 カメラ⑥
泡になったら死体は残らない。
体が動かなくなるっていうのは、死ぬってことかな。
「死んだら泡になるなんて、幻想的じゃないですか。」
自分がもし交通事故か何かで死んだとして、肉片が散らばってしまうのはやっぱり嫌だ。
家族に囲まれて布団の中で眠るように死ぬ、これが私の理想の死に方。
まだ死ぬなんて、遠い未来の話だし。
おじいちゃんもおばあちゃんも高校生の私よりも元気なんじゃないかなってくらい毎日動き回っている。
「人間も、死んだら土になるでしょう?それが遅いか早いかだけですよ」
海で死んだら泡になり、陸で死んだら土になるのかな。
土に還る、なんて表現はよく聞く。
体が全部溶けていって、自分が全部なくなる。
火葬だから灰になるのほうがいいかな。
灰も結局は土になるからおんなじか。
「人魚は土にならないんですか?」
「どちらかというと空気になります」
人魚には、お葬式がないのだそうだ。
死んで泡になった人魚は泡に戻る。
その泡と一緒にしばらく過ごして、泡が人魚だったことを忘れた時に、本当にその人魚がいなくなる、と考えられているらしい。
「死んだことを、すごく悲しんで、その泡に生きている人魚が執着しちゃうと、お化けになる、というか、人魚だったことを忘れられなくなっちゃうんです」
「人魚もお化けになるんですね」
「お化けに自分からなるくらい恨みを残して死ぬ人魚は少ないので、生きている側が死んだことを受け入れられない時にお化けが出ますね」
それは、死んだ人魚の泡が生きている側に影響されてできた残像で、生きている側の願望が形作ったものだから、やっぱり本人とは違うのだそうだ。
「人間がやるお葬式は、生きている人間がもう亡くなった人間が戻ってこないことを受け入れるための儀式なんですよ」
いきなり周りの人間が死んで、お葬式だけで受け入れられるものなんだろうか。
お葬式に参加したことはないし、想像ができない。
すごく小さい頃、ひいおばあちゃんのお葬式があったそうだけど記憶がない。
「お葬式は死んだ人も見てるので、やっぱり悼んでくれた方が嬉しいですしね」
死んでから無になるまでのタイムラグには個人差があり、大抵の人間は自分のお葬式を見ているのだそうだ。
「自分のお葬式を見るなんて、なんだか怖いですね」
まだ意識があるらしいのに火葬されるであろうことも怖い。
「死んでたら、生きている時より大分感覚が鈍るので、死ぬほど怖いってことはないと思いますよ」
もう死んでますしね、とユラリは言った。
死んで泡になったユラリを、水を入れた瓶の中に閉じ込めてしまいたいと思った。
人魚姫みたいに風の精になってしまう前に、出て行ってしまわないように、無くなってしまわないように、ずっと密封した瓶に入れて眺めておきたい。
きっと光を当てなくても光るホタルの様に私の目を楽しませてくれるだろう。
それでもユラリは死んだら消えるだろうし、そんなことをしたら怒ったユラリに何をされるかわからないから、実際にそんな状況になってもやらないのだろうけど。
「ユラリさんが死んだら、お葬式を上げてもいいですか?」
人魚がやらないお葬式を、ただ数回話しただけの私が、自分の気持ちの整理のために上げることはきっと良くないだろう。
でもこう聞いたら、ユラリが否定しないだろうと思った。




