「愛」をかかげる男
石田三成シリーズ第三弾。
今回は趣向を変えて、三成さんの独白という形で。
豊臣政権による天下統一後のお話です。
私の作品にしては改行・空行が少ないほう。読みにくかったら縦書き表示でどうぞ。
石田治部少輔三成が語る。――
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直江山城守兼続は食えぬ男だ。俺は太閤殿下より豊臣・上杉間の取り次ぎの任を負っているため、上杉家執政のこの男とはしぜん交流を持たねばならぬ。この男は越後の竜と呼ばれた関東管領上杉謙信の存命中よりその養子景勝に仕え、謙信死後は主とともに上杉の本城春日山城へ入り、もうひとりの跡目候補であった謙信の養子景虎との争いへ臨んだ。こののち次第に家中において重用されるようになり、ついには筆頭家老の地位にまでのぼりつめたということだが、この越後守上杉景勝の懐刀ともいうべき直江山城守は、合戦時に着用する兜の前立に「愛」という一文字をかかげていた。
「愛」とはなにか。愛とは愛染、すなわち欲望への執着のことだ。とりわけ男女間の愛欲をしめす。日本は御仏の国であるからこれを煩悩のひとつとして忌みきらうが、天下の衆生にこれを持たぬものはなく、他の煩悩にくらべ断ちきることが困難だ。それもそのはず、愛とはなくてはならぬもの、これをなくして人の世が存続してゆける理屈などあるわけがない。執着というと聞こえは悪いが、なければ人は大地を手離し早々に世から滅し去る。俺は法華経ゆえ極楽を信じておらぬ、ゆえに万民がこの天が下で豊かなる時を享受すべきだとかたく信じている。
煩悩とされる「愛染」を悟りへと変える存在がある。すなわち愛染明王だ。怒りの形相をあらわし軍神としてもあがめられるこの明王は、その名のとおり人を欲望への執着から救い、悟りへとみちびく。それもこのおそるべき煩悩を排せんとするのでなく、これに寄り添い悟りへ変えてしまうという、理に適ったやり方で衆生を救う明王なのだ。
あるいは山城守はおのれを愛染明王になぞらえ、天下万民の和平を望む熱き心の持ち主なのではあるまいかと俺は想像した。しかしながらこの男、なかなか人当たりの悪いところもあり、才気走った皮肉屋のように思えることもあるのだ。殿下にたいしてもその豪胆な態度は変わらなかったが、もとより殿下はこのような人物を好まれる。思えば山城守の人を見定めるような冷たい光を宿す両の眼は、この男が殿下と同様の気質を有するゆえかもしれぬ。
陸奥の大名伊達越前守政宗などはこの山城守の気質をこころよく思っておらず、つねづね愚痴をこぼしている。先ごろも俺をつかまえて、伏見城の廊下ですれ違ったあの男の尊大な顔つきが気に食わぬと文句を言った。「山城どのは好かんのです。どでかい図体も相まって、ますます私を見くだしておるようで」なぜそのようなことを、わざわざ上杉と結びつきのある俺に言うのだ、古くから当家と交流のある浅野弾正少弼にでも話せばよかろうと言うと、越前守は血相を変えてこう返す。「直江山城はともかくも、この政宗の耳あるところで二度とその名を発するな」なるほど越前守はそうとう 、伊達と豊臣の取り次ぎ役、浅野弾正少弼が好かぬらしい。怒りをおさめた越前守は俺を怒鳴った無礼を詫びて、別れ際、こうつけたした。「治部どのが私のおおやけの取り次ぎでなくてうれしい。治部どの、以後も政宗めを、よろしくお頼みもうします」これはいかにとるべきか、ひとまず虚仮にされたととらえ、俺は越前守を見送った。
さて、こう言いながらも俺としては、直江山城守を買っている。かの明王のごとくやわらかなる心を内に秘めた男だと信じている。山城守は俺に言う、お前は人を信じるなと。「先のわからぬ浮き世において、だれが天下をかえりみる。お前のその眼は残念だから、人を信じたその先に戦禍の闇が見えぬのだ。……現に私の頭には、天下万民への興味はない。ただ上杉とその民の栄えあらんと願うのみだ」
「愛」とはなにかと俺は思う。もしこの俺が、かかげるのだとしたら……
欲にまみれた人の心、裏切り絶えぬこの浮き世……みな、そうなのだ。一人の人として、そうしてしぜんに生きている。俺はやはり、この身にあまる巨大なものを背負ってしまったのかもしれないのだ。
さて、思ったよりも人物が多く出てきたので、主な人物をまとめときます。
・上杉家 …… 上杉景勝(越後守)
直江兼続(山城守、上杉家臣)
・石田家 …… 石田三成(治部少輔、豊臣・上杉間の取り次ぎ)
・伊達家 …… 伊達政宗(越前守)
・浅野家 …… 浅野長吉(弾正少弼、豊臣・伊達間の取り次ぎ)
ちなみに、上杉、石田、伊達、浅野は豊臣秀吉の直接的な家来(=直臣)となるわけですが、直江兼続のみ上杉家を通した豊臣家臣(又家来)ということで、陪臣という扱いになります。作中の伊達政宗は、この自分よりも格下の相手の大きな態度が鼻持ちならなかったのですね。
浅野長吉は晩年に「長政」と名を改めます。彼は政宗が豊臣家に臣従を示す以前から、伊達家と豊臣家の交渉の窓口を担っていましたが、政宗の彼にたいする不満は朝鮮出兵のころから募っていくことになります。まあ、興味があれば調べてね、ってことで。
それでは、今後とも石田三成をよろしくお願いいたします。
檸檬 絵郎