ハゲ『10万人の命を生贄にしかみを目覚めさせる』
髪を欲した。
狂信者が神の声を望む様に髪が再び生えることを望んだ。
だが、悲しいかな。現実は常に非常であり、髪は元に戻らない。
一毛の希望に手を伸ばせど、髪は伸びず不毛なる努力だけが積み重なっていく。
それでも男は諦めなかった。家を売り、家族を捨ててでも育毛に挑み続けた。植毛という悪魔の誘惑に屈しそうになったこともあったが、男はあくまでも自らの自然なる頭髪を戻そうとした。そこにあったのは自らの生えなくなった髪への異常なる執着。
そう。彼は髪の狂信者であった。
髪の復活を求め、髪の創造を望んだイカれた育毛者である。
初めからハゲであればこれ程までに狂うことはなかっただろう。
しかし、頭髪の温かさと重みを知っている男は喪失に耐えられなかった。
いや、髪の喪失を認められなかったというのが正しいだろう。
だからこそ、男は植毛やカツラを否定し、育毛を求道し続けたのだから。
自らの髪は命を失ったのではなく、ただ休んでいるだけだと自らを騙し続けた。
ああ、なんと誇り高く物悲しい姿だろうか。
男の心は決して折れぬ強さを持っていながらも、事実から逃げ続けていた。
例え、勝負がすでに決まっていたとしても、自らは負けていないと吠え続ける。
男を強き育毛戦士と呼ぶか、滑稽なハゲピエロと呼ぶかは人によるだろう。
しかし、男が生きている間は誰もが男をハゲと言って罵っていた。
同じハゲですら、ハゲを認めろと植毛の道を進めていたほどだ。
それでも男はハゲの否定を止めず、己の毛根を信じて育毛を行い続けた。
自らの命が尽きる最後の瞬間まで、ずっと……。
―――髪を欲するか?
その姿勢に神は感動し、男にチャンスを与えることにした。
まさに捨てる髪あれば拾う神ありということだろう。
いや、男からすれば自らは髪に捨てられたのではなく、試練を与えられているだけだと言うだろうが。
何はともあれ、神は男を呼び出し2つの選択肢を提示した。
このまま全ての記憶を失って転生し、何もごともなく新たな髪を得るか。
それとも今のハゲのままに異世界へと転移し、育毛を続けるかと。
神の問いかけに男は即答した。当然、育毛の道を突き進むと。
神は男の瞳を見つめた。その瞳は狂ったような情熱を宿し怪しく光り輝いている。
まるで禿げあがった頭に反射した太陽のようだと神は思わず総毛立った。
まあ、神にも髪は一本もないのだが。
ともかく、神は異世界へと転移させる前に最後の覚悟を問うこととした。
自らの髪と世界を天秤にかけるならばどちらを取るかと。
男は考えるまでもなく言い放った。
―――育毛に邪魔な世界など滅んでしまえ、と。
「魔王だ! 魔王が現れたぞッ!?」
「全員逃げろぉおおおッ!!」
剣と鎧を身につけた兵士達が、恥も外聞もなく背を向けて逃げていく。
そして、そんな兵士達が背を向ける先には1人の男が立っていた。
竜を模した兜を被り、憎悪を溶かしたような黒の鎧で身を包んだその男は魔王と呼ばれている。
『……虫けら如きが逃げられると思うな』
男が逃げまどう兵士達の方に手をかざすと地面一帯が影に包まれる。
「な、なんだこれ…?」
『喰らえ』
「か、体が影の中に飲み込まれてい――ギャァアアッ!?」
影から亡者の手が伸びていき兵士達を奈落の底へと引きずり込んでいく。
その姿は見る者が見れば男が欲してやまない髪の毛に見えるだろう。
それほどに男の髪を欲する渇望は強いものなのだ。
『……今回の贄は少ないが、仕方ない』
男は断末魔の悲鳴を上げて消えていった兵士達など、初めからいなかったかのような無関心さでその場から去っていこうとする。だが、そこに待ったをかけるように1人の少年が斬りかかってくる。
「待ちな、魔王!」
『……また貴様か、勇者』
勇者の剣を魔力の波動で楽々と跳ね返しながらも、男は兜の下で顔を歪める。
男はそもそも育毛以外のことには興味を示さない。
故に、誰であれ育毛の邪魔をされると不機嫌になるのだ。
「兵士達を皆殺しにして一体何をするつもりだ!?」
『フン、奴らには髪へと奉げる供物となってもらったに過ぎん』
「神への供物だと…?」
男の言葉に勇者は盛大に勘違いをする。いや、勘違いをするなと言うのは余りにも酷だろう。
この世界には古くから邪神の伝承が伝わっており、しかも勇者はその邪神を打倒し封印した勇者の子孫なのだ。どう考えても勘違いする。
そもそも一体どこの誰が髪の毛のために、人間を供物に奉げるなどと言うと思うかという話だ。
「おい、まさかそいつは眠りについている神を呼び覚ますためじゃねえだろうな!?」
『ほう…ガキにしては中々に見る目があるようではないか』
自分の髪はまだ死んでおらず、眠っているだけだと信じている男は勇者の言葉に満足毛に笑う。
勇者の目から見ても自身の髪は眠っているだけに見えるのだと勘違いして。
もちろん、勇者が言っているのは神であり、間違っても髪ではない。
そもそも男は自分が兜で頭皮を隠していることを完全に忘れている。
『そう。私の目的は髪を眠りから覚まし、育毛を果たすことだ』
「神を目覚めさせることと、兵士達の命…いや、今まで殺してきた人達に何の関係があんだ?」
『フ、ここまで語っておきながら説明しないと分からないか? まあ、いいだろう。今の私は機嫌がいい。光栄に思うが良い』
自らの毛根の生存が肯定されたと思い込んでいる男は上機嫌に笑う。
逆に勇者は急に上機嫌になった男の姿に不気味さを抱く。
だというのに、お互いに勘違いに気づかないのだからおかしなものだ。
『まず、髪を眠りから覚ます術は(髪の毛の数だけ)生贄を捧げることだ』
「神への生贄を…それで戦士達を殺したのか!」
『その通り。因みに生贄に必要な数は10万人。残りは4万6794人だな』
「10万…人…だと?」
余りの数の多さに愕然とする勇者。その姿に男はかつて自身が再生させねばならない髪の毛が、10万本であると言われた時の絶望を思い出す。1本すら眠りから目覚めぬというのに10万だ。流石の男も心が折れそうになったものだ。だが、今は違う。男の心は不毛の大地を相手にしても折れることはない。
「てめえ、この国を滅ぼす気か!?」
『それがどうした。私は育毛のためならば国が、いや世界がどうなろうと一向に構わん。むしろ我が髪の供物となれるのなら世界も本望であろうよ』
「イカれてやがるぜ、てめえは…! 神がそんなに大切かよ!!」
『今更気づいたか? そうだ。私は髪の復活のためならばなんだってする。仲間も、家族も、国も、世界も、みな等しく育毛のための踏み台でしかない。それ以外の何に価値を見出せと?』
男の目には世界の全ては髪の養分としか映っていない。
それ程までの執着を頭髪に寄せる男の姿を見て、勇者は男が同じ人間だとは思えなかった。
いや、事実として同じ人間ではないのだ。
ハゲとフサフサには天地以上の隔たりがあるのだから。
「何でそこまで神の復活にこだわんだ!?」
『何で…だと? 笑わせる。髪の眠りを覚まし、私の頭髪を取り戻すために決まっている!!』
「全てを取り戻す…?」
男の鬼気迫った叫び声に思わず気圧されてしまう勇者。
そしてその狂気に一体どれだけ大切なものを失えば、これ程の執着を出せるのかと戦慄する。
もし、頭髪を取り戻すためだと知っていれば、思わずズッコケてしまっていただろうが。
『話してやろう。私も昔はお前のようにフサフサだった。だが、ある日を境にハゲに落ちた。貴様には分からんだろう。失った頭髪の重さに苦しみ続ける日々が、同じ境遇の者達ですら育毛することを諦めろと告げる苛立ちが、失ったことが無い者には分からないだろうよ』
先程の荒々しさとは一転して静かな口調で語っていく男。その強い悲愴感を漂わせる姿に勇者は同情してしまいそうになる。同時に、伝承で邪神は死者の蘇生すら可能としたという一説があったことを思い出し、男の目的は大切な人の蘇生だと盛大に勘違いする。男が失ったのは単なる髪の毛だというにも関わらずに。
「……神を目覚めさせれば全部返って来るっていうのかよ?」
『その通りだ。髪が目覚めれば、私の髪の毛が伸びる日々が帰ってくるのだ。ただ髪をセットする毎日が、美容室に通う時が、髪の目覚め、それさえあれば返って来るのだ!』
男は思い出す。泡を立てて頭を洗う爽快感を。ドライヤーで髪を乾かす温もりを。
タオルで髪を豪快に拭く充足感を。ワックスでガチガチに髪を固めてキメる優越感を。
失ってしまった遠き日々を思い起こす。
10万人の人間を生贄に奉げさえすればその日々が帰ってくるのだ。
なるほど、確かに男は自己中心的で最低のクズ野郎だろう。
だが、彼は誰よりも自身の欲望と真剣に向き合い続けている男だ。
その一途さだけは目の前に居る勇者をも超えるだろう。
『そのために贄が必要なのだ。髪へと奉げる贄がな』
「……失った者を取り戻すためにか。やっぱてめえとは相容れそうにねえわ」
『ハ、もとより誰かに理解されるつもりなど毛頭ないわ』
「ああ、俺も大切な者を失ったことはあるけど、てめえは理解できねえ」
『…お前も大切な頭髪を?』
馬鹿な。目の前の勇者には立派な頭髪があるではないか。
そう思って男は勇者の頭部を見つめていたが、あることに気づきハッとする。
勇者は戦闘に携わる者かつ男だというのに長い髪を蓄えていた。
それが意味することはつまり。
(あの長髪は禿げている部分を隠すためのもの。つまり勇者は―――円形脱毛…!?)
違う。ただのオシャレだ。
『なるほど、貴様も少しは絶望の底を覗いたことがあるようだな。だが、所詮は半脱毛。全脱毛の絶望には到底及ばん』
こちらも盛大な勘違いをして、変な親近感を覚える男だったが、やはり2人は相容れない。
ちょっとの脱毛で不幸を気取るなど半端者のすることだ。
頭皮を不毛の大地に変えた者以外に真の絶望を語る資格はない。
そんな無茶苦茶な理論から男は再び余裕を取り戻す。
だが、その余裕も勇者の次の言葉で一瞬のうちに崩されることになる。
「なぁ…てめえも本当は分かってるんじゃねえのか? もう大切な者は帰ってこないってよ」
『大切な頭髪は帰ってこないだと…?』
勇者の真っすぐな瞳が男の禿げあがった頭皮を捉える。
もちろん完全なる被害妄想だ。兜を被っているのだから勇者は男の目を見ているだけだ。
しかし、そんなことは男には関係が無い。煽られたと勘違いし激高する。
『ふざけたことを言うなッ! 髪が目覚めさえすれば必ず戻ってくるのだ!!
そのような戯言で、この私が歩みを止めると思うなッ!!』
「ふざけてねえよ。幾ら大切でも一度死んだ者は蘇らねえ、いや…蘇っちゃなんねえんだ」
『…ッ! 違う、死んでなどいない。私の大切な頭髪はまだ生きている!!』
狂ったように叫び出す男に、勇者は憐憫の眼差しを向ける。勇者は思う。きっとこの男は大切な者の喪失に耐えられず、失っていない、死んでいないと自分を騙し続けている哀れな男なのだと理解する。
その考察に間違いはないのだが、最も大切な部分を誤解しているのだから救えない。
「いいか。姿あるものはいつかは必ず滅びる。それは絶対だ。
でもよ、滅んだとしても思い出は残るだろう」
『思い出…だと?』
「ああ、てめえにもあるだろ。大切な者と過ごした楽しい思い出がよ」
『大切な頭髪との思い出…?』
男の頭に髪の在りし日の記憶が思い出されていく。
初めてワックスをつけておしゃれをした日。大学デビューし様々な色に染め上げた日。
明らかに似合っていない髪型に挑んでしまった日。全てが良い思いではない。
だとしても、髪と過ごした日々は確かに―――楽しかった。
『そ、それと滅びることの何が関係があるというのだ?』
「滅びを、死を認めねえってことは、大切な者と過ごした日々の否定に繋がるんだよ」
『大切な頭髪の否定…だと…?』
男の心に初めて動揺が走る。
「そうだ。生きている以上必ず死ぬ。生まれた瞬間から滅びの運命は決まってる。
大切な者の死を認めないことはそいつの生きてきた日々の否定になる。
だからよ、神を目覚めさせて全てを取り戻すなんてことはダメなんだよ」
髪の死の否定。決して死んだのではないと認めなかった日々。
それ自体が、自らが髪と過ごしてきた日々の否定へとつながる。
そう言われた男の心に迷いが生まれる。
だが、今更、自らの髪は二度と生えてこぬと、毛根は死に絶えたと認められるか?
―――否だ。
『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇえええッ!! 死んでなどいない! 必ず元に戻るのだ!!
髪を…! 髪を眠りから覚ませば! 頭髪が元に戻ってくるのだぁッ!!』
その程度のことで諦めがつくのならば、世界を越えてまで育毛を続けはしない。
何があっても男は育毛を諦めることだけは出来ないのだ。
例え、不毛な努力だとしても。希望が毛ほども無くとも。
―――男は髪を欲することを止めない。
「……哀れな野郎だ。だが、いいぜ。俺がてめえに認めさせてやるよ。
失った者は決して返って来ないってな! そのためにも神は目覚めさせねえぞッ!!」
『邪魔をするのならば貴様も髪への供物としてくれるわぁッ!
私は例え世界を滅ぼすことになったとしても、失った頭髪を取り戻してみせるッ!!』
激突する勇者と魔王。その先にあるのは希望か絶望か。
はたまた、無慈悲なる―――かみの裁きか。
それは誰にも分からないのだった。