我が家に犬(?)がやってきた!
Side???
ソレはもう何日この森をさまよっているのか、もはや憶えていない。今確かに分かっているのは、己の側には誰もいないことだけである。孤独に打ちひしがれる……となるその前に、ソレには切実な問題があった。
――腹が減った、腹が減った、とにかく腹が減った。
小さな己の身では、口にすることが出来る食料などたかが知れている。
草をむしゃむしゃと咀嚼しては苦くて吐き出し、鳥を捕ろうとすれば、馬鹿にしたようにフンを落とされる。幸い水場を見つけたものの、魚を捕ろうにも泳げない。何事もチャレンジ精神だと、決意して飛び込んだら溺れかける始末。
――なんという体たらくだろうか。
そもそもソレが何故このような事態になったかというと、海よりもふかーい訳がある。
ソレはそもそも誇り高き竜の一族である。ソレの一族は群れて暮らし、たまに住処を変える。その一族の引越しの途中、ソレは飛んでいる親の背中から落ちてしまった。
これはソレがちゃんと捕まっていなかったなどという理由ではなく、ソレを背中に乗せていることを忘れて、アクロバット飛行などしやがった親が悪い。途中何度も親の背中に吐いてやったので、さぞ背中が臭っていることだろう。
しかも落ちたことに一族親兄弟の誰も気付かない。「薄情者~!」と空に向かって叫ぼうとも、「キュ~」という声にしかならず。いくら待てども、誰も引き返しては来なかった。
――この恨み、いつか晴らさでおくべきか!
そんなこんなで、空から落ちても傷一つ負わなかった頑丈なソレだが、全ての生き物に共通する生理的現象、空腹というものには敵うべくもなく。
水辺でべちゃっとつぶれたまま、腹の虫を鳴らしているのであった。
Sideコニー
コニーはその日、自宅の裏山を散歩していた。
「ふんふんふ~ん♪」
まだ十歳のコニーは、いつもならば裏山には兄と遊びに来ていた。しかし今日は口うるさい兄もいないので、コニーはご機嫌である。
天気が良かったので、調子に乗って結構奥深くまで入った頃には、日は真上にあった。
「お腹空いちゃった」
そろそろ昼ごはんの時間だと、母親に作ってもらった弁当を食べる場所を探すことにする。
適当に進んでいると、ひらけた場所に出た。
「こんなとこに泉があったんだ。知らなかったー」
日の光が泉に反射してキラキラしている。ここで弁当を食べようと決めて、よいしょっと腰を下ろした時。
「あれっ?」
コニーの視線の先に、なにかこんもりとした灰色の物体があった。
「誰かの忘れ物かな? ひょっとしてとーちゃんのかも!」
コニーは近くまで行ってみる。それは荷物かと思いきや、毛玉だった。なんだかばっちい、と思ったコニーは、拾った枝でつんつんとつついてみる。
「あ、ちょっと動いた」
ということは生き物か。両手で持ち上げると、頭らしきものがあった。やっぱり生き物だ。
「……犬」
その生き物はたぶん犬だろう。だって犬っぽい。うん、犬だ。
「犬ー、へんな犬ー。あ、弁当」
コニーは当初の目的を思い出すと、泉の水で手を洗い(やっぱりばっちかった)、弁当をもくもくと食べた。その弁当の匂いに釣られてぴくぴくと動く灰色の毛玉、もとい犬っぽいものをさっくりと無視して。
コニーは裏山から降りる際、犬っぽい生き物を持って降りて来た。そう、つい拾ってしまったのだ。
コニーは家の前にいた兄のピートに、灰色の毛玉を見せた。
「にーちゃん、犬拾ったぁ!」
「お帰りコニー。犬って、それ?」
コニーの六つ年上のピートが、不思議そうに首を傾げるものの、コニーは大きく頷く。
「うん、犬!」
ちょっと首が長いかもしれないが、ちょっと耳の形がこんなのだったかと思わなくもないが、背中に羽っぽいなにかがついているが。四足の動物で、猫には見えないから犬だろうとコニーは思った。
だって犬を飼いたいのだ。このあいだ遊びに行ったときに見た、隣村の友達が飼っていた犬が羨ましかったのだ。だから犬がいいのだ。
「犬かなあ……」
はしゃぐコニーに対して、ピートは困っていた。
犬にしては姿が多少違う気がするし、たとえ本当に犬だったとしても、その扱いはどうだろうか。両手でがしっと首根っこを力いっぱい締め上げている持ち方は、どう見てもトドメをさしているように見える。だらんと四肢をゆらしているそれの息の根が止まっていないか。
「コニー、獲物じゃないんだから。生きた動物は首をしめてはいけないよ」
「うん、わかったー」
にっこり笑顔でまた頷き、コニーは毛玉のお腹の辺りを持った。
「グエッ」
毛玉がうめいた。またまた力いっぱい両手でお腹を締め上げている。コニーは他人よりちょっぴり力持ちなので、力加減が難しかったりする。
「コニー、それを地面に降ろしておあげ」
ピートの慈悲により、灰色の毛玉はようやく苦痛から開放されたのであった。
Side???
乱暴ものの人間の子供のせいで、本当に死ぬかと思った。兄らしき少年の話によると、口から泡を吹いていたとか。死ぬ一歩手前である。
――人間の子供とは、かように恐ろしい生き物なのか……。
しかしその後、生き返ったソレの腹の音を聞いた兄が、食事を用意してくれた。どれくらいぶりの食事であろうか。いつもならばもっと上品に食するのだが、まるで野生の獣のごとくがっついてしまった。他の一族の者には見せられない姿であっただろう。
――いや、あの薄情な一族になにを言われようと、知ったことではないわ!
腹が満ちたことで、怒りがぶり返すのだった。
とにかく、栄養がいきわたったことで、ようやく動けるようになったソレに、またまた事件は起こった。
「でもさぁ、この犬ちょっと、ばっちいんだよねー」
ソレの毛皮を木の枝で突きながら、弟が言った。
今少々気になる単語が出て来た気がするが、それよりも。弟の方が言うにことかいて、ソレのことを「ばっちい」などと言ったのだ。
「なんだと! 高貴なる一族の我にむかって、『ばっちい』とは何事か!」
「あ、洗ってあげればいいんだよね!」
キューキューと抗議するソレを、弟は片手でむんずとつかむと、大きなたらいに張った水に、ボシャッと力ずくで沈めた。
「ガボガボガボ……」
顔を上げて空気を取り込もうとすると、力いっぱい頭をたらいの底に押し付けられた。
――頭がつぶれる!
何秒かして引っ張り上げられ、また沈められる。泡まみれにされて目と鼻がツーンとして、涙が出るし鼻水が垂れてきた。ああ、意識が朦朧とする……。
Sideコニー
コニーは母親が干している洗濯物の横に、灰色の毛玉をぶら下げた。ピートがなにか言いたそうだったので、コニーはなんだったのか後で聞いてみようと思った。
それと新発見、毛玉は灰色じゃなかった。洗った後は真っ黒な毛玉になった。ちょっと見えた目は赤だった。今はぐったりしていて見えないが。
コニーが洗濯物と一緒に揺れている毛玉を観察していると、父親が仕事から帰ってきた。生乾きでベショっとしている毛玉を持って、父親の元へ行く。
「とーちゃん、犬拾った! 俺飼っていいでしょ!?」
コニーがまたもやお腹を力いっぱい締め付けたので、毛玉が痙攣を起こす。
「コニー、お腹を持つのはやめようね」
ピートがやんわりとコニーの手を外させる。
「ちゃんとお世話するよ! 散歩もするよ!」
おねだりをするコニーに、父親は微妙な顔をした。決して性根が悪いわけではないが、ちょっと抜けたところのある子に、動物の世話ができるのか、悩んでいるのだ。
「ねー、いいでしょ?」
食い下がるコニーを見て、ピートが父に囁いた。
「父さん、コニーの馬鹿力に耐える愛玩動物って貴重だよ」
コニーの馬鹿力は動物の間でも有名で、みんなコニーを見ると逃げていく。だから動物に障ったことがないコニーにとって、ペットを飼うというのが憧れなのだ。
「そうだなぁ、滅多にない機会と言えるか……」
父親が難しい顔で頷いた。
「飼っていいの!? やったあ!」
ピートの助言が功を奏し、無事毛玉は飼い犬となった。
「犬ではない! 我は竜だ!」
キューキューと鳴く毛玉の意見は当然無視されて。
ここで、ニコニコ笑って見守っていた母が口を挟んだ。
「あらぁ、よかったわねコニー。この子の名前は?」
「おい、それは……」
父親がなにやら焦る様子を見せたが、母親は笑顔で黙殺する。
「名前がなくちゃ、可哀想よ?」
再度 母親に尋ねられ、コニーはにっこり笑顔で答える。
「ポチ! 俺犬は絶対ポチって決めてたの!」
またもや父親が微妙な顔をした。名前を呼んだ瞬間、毛玉が光ったように思ったが、きっと気のせいだろう。
こうして、毛玉改めポチの飼い竜生活が始まったのだった。
後でピートが調べた結果、長毛種竜であることが判明した。道理で頑丈なはずである。