4-1
「?」
学校帰りにアルバイトのためお店に直行した瑞希がドアを潜ろうとした時、視界の端に何か白い物が映った。
最初は気にせずそのまま通り過ぎようとしたが、ドアノブに手を当てたところでハタと気付いて硬直する。
「……え?」
硬直した理由は、その物体にデジャヴュを覚えたからだ。
バッと勢いよくそちらに振り向った瑞希に見えたもの、それはドアの横に掛けられたボードに画鋲で留められた一枚の紙だった。
「これって……」
それはいつぞやも見たものと同じ、ドルチェ弦楽器店のアルバイト募集の貼り紙だった。
♪ ♪ ♪
「……あの、店長?」
「? なんですか、瑞希さん?」
アルバイト中におずおずと店長に話し掛けようとした瑞希だが、あまりにも普段通りの態度を取る彼の姿に言葉に詰まり、切り出せなくなってしまった。
「いえ、その……なんでもないです。すみません」
「?」
明らかに「なんでもある」態度の彼女の姿に店長は首を傾げるが、幸か不幸かその場でそれ以上突っ込んで来ることは無かった。
お店の入口でアルバイト募集の貼り紙を見付けた瑞希は、店長の意図を図りかねていた。
勿論、このお店のアルバイト募集なのであれば、あれを貼ったのは間違いなく彼だろう。
しかし、どう考えてもこのお店の規模や売り上げでは、もう一人アルバイトを雇う必要も無ければ余地も無い。
それはこのお店で働いてきた瑞希自身がよく分かっている。
加えて、アルバイト募集の紙に書かれていた仕事内容は、現在瑞希が従事しているものと全く一緒だった。
ならば何故、店長はアルバイト募集の貼り紙を出したのだろうか。
普通に考えれば、それは瑞希の代わりに別の人間を雇おうとしているとしか思えない。
その場合、瑞希はどうなるのかと考えれば、どうしても最悪の想像が頭に浮かぶ。
(もしかして、クビ?
私、何か失敗したりしたっけ……?)
瑞希は解雇されてしまうような大きなミスをしてしまったかと振り返ってみるが、どうしても思い当たることが無かった。
勿論、アルバイトに雇われてからこれまで一度もミスが無かったと言うわけではないが、それも慣れない最初のうちくらいの話で最近では特に大きなミスをした記憶もない。
まさか、既に大分時が経っている雇われた直後の些細なミスで今更解雇ということもないだろう。
しかし、そうするとますます以って解雇の理由が分からなくなり、瑞希は内心で頭を抱えるしかなかった。
(でも、そんな雰囲気でもないのよね)
チラリと店長の方に視線を向けてみるが、やはりいつも通りの様子で穏やかな笑みを浮かべている。
特に怒ったり機嫌を悪くしたりしているわけでもなく、とても彼女にクビを言い渡すような雰囲気には見えない。
こうなっては最早直接意図を確認するぐらいしか手立てがないのだが、先程からそれで何度も話し掛けようとしては躊躇してしまって結果に結び付いていない。
仮に尋ねた結果、実はずっと前から嫌いだったとか答えられたら、きっと彼女は立ち直れないだろう。
結局、瑞希はアルバイトの時間が終わるまでに話を切り出すことが出来ず、心ここに在らずと言った風情のまま悶々とした時間を過ごすのだった。
そんな余裕のない彼女だから気付かなかったのだろう。
「………………」
いつも通りの穏やかな笑みを浮かべている店長の目に、僅かに寂しそうな光が宿っていることに。
♪ ♪ ♪
「………………はぁ」
「一体どうしたの? さっきから何度も溜息吐いたりして」
夕食の場で落ち込んだような表情を見せる瑞希に、母親が半ば呆れたように理由を聞いてきた。
今日は父親が帰ってくるのが遅いそうなので、この場に居るのは二人だけだ。
元気の無いままに夕飯のカツを一口齧って咀嚼すると、瑞希はテーブルに凭れ掛るように肘を突いたまま答えた。
行儀の悪い姿勢だが、あまりの落ち込みように母親も注意は後回しにしたようだ。
「バイト、クビになっちゃうかも」
「は?」
ポツリと呟かれた言葉に、母親はポカンと口を開けた。
彼女が唖然とするのも無理はない。何せ、昨晩まではアルバイト先で起きた事などを楽しそうに話していた娘が突然クビになるなどと告げたのだから。
当然、それを聞いた母親は彼女が何か大きな失敗を仕出かしたのではないかと思った。
「どういうこと? 何か失敗でもしたの?」
「そんなことないと思うんだけど……」
瑞希が自信なさげにしながらも心当たりが無いことを答えると、母親は首を傾げた。
何か失敗したわけでもないのにクビになる理由が、彼女にはサッパリ分からなかった。
「よく分からないわ。どうして失敗したわけでもないのにクビになるなんて言うの?
ちょっと最初から詳しく話してみて」
「うん……」
気が進まないながらもここまで話した以上は隠しても仕方ないと思い、瑞希は母親へと今日の出来事を話すことにした。
アルバイトに行ったらお店の入口にアルバイト募集の紙が貼られていたこと。
アルバイト募集のことを店長に聞こうとしたこと。
しかし、怖くなって結局尋ねられなかったことなどだ。
話しているうちに段々と母親の表情が笑いを堪えるようなものになってゆく。
「ちょっと、お母さん?
私がクビになるかどうかの瀬戸際なのに、何を笑ってるの?」
「ふふ、ごめんなさい」
ふくれっ面を見せる瑞希だが、母親はなおも表情を変えない。それどころか、ハッキリと笑っている。
それを見てますます膨れる瑞希に、彼女は優しく慰めるように告げた。
「大丈夫よ」
「?」
「貴女はクビになるようなことはしてないんだから、変な心配せずに堂々としてればいいの」
「う、うん……」
何かを確信するような母親の言葉に内心首を傾げながら、瑞希は素直に頷いた。