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「瑞希さん、今度の土曜日の閉店後に少し時間を貰えますか?
お話したいことがあるんです」
「え? あ……は、はい!」
閉店後に店長から話し掛けられた時、瑞希は来るべきものがついに来たと思った。
お店の入口にアルバイト募集の紙が貼られているのを見付けてから数日、何とか翌日以降はなるべく自然な態度で店長と接するように心掛けていたが、内心ではずっと気に掛かっていたのだ。
今日は木曜日なので、店長が予告した土曜日まではあと二日ある。
おそらくその間、彼女は緊張で夜もまともに寝れないことだろう。
早く土曜日になってほしいと思う反面、このままずっと土曜日が来なければいいとも思う複雑な心境の中、運命の日は訪れた。
♪ ♪ ♪
「え? もう閉店ですか?」
「はい、ちょっと用事があるので今日は早目に閉めたいと思います。
少し前から入口に掲示してた筈なのですが」
普段の閉店時間よりも一時間程早く閉店を告げられ、驚く瑞希に店長は首を傾げながらそう答えた。
瑞希は店長の答えにグッと言葉に詰まって何も言えなくなってしまう。
アルバイト募集の紙が貼られているところを見たくないため、あまり入口を注視していなかったのだ。
店長が言っている「用事」というのは瑞希への話のことだろう。
不意打ち気味に予定よりも一時間早く訪れた運命の時に、心の準備が出来て居なかった彼女は慌てた。
尤も、一時間後だったら心の準備が整ったかと問われたら、それも難しかっただろう。
「それでは、ちょっと場所を変えましょう」
「え?」
しかし、続く店長の言葉に呆気に取られることとなった。
解雇の宣告をするだけならスタッフルームで十分なのにも関わらず、一体何処に行くと言うのだろうか。
疑問に思った瑞希は、そのまま店長に尋ねてみることにした。
「場所を変えるって、何処に行くんですか?」
「すぐそこのレストランですよ」
なるほど、と瑞希は納得した。
おそらく店長も面と向かって解雇を告げるのに気が引けるため、夕食を食べながら話を切り出そうということなのだろうと推測したのだ。
「分かりました。
バッグを取ってくるので少し待っていてください」
「ええ」
一言断ると、瑞希はスタッフルームに入って置いていた自分のバッグを手に取った。
ふと周りを見回すと、一年近く通っていた部屋が視界に映る。
もう此処に来ることも無いのかと考えると思わず目頭が熱くなり掛けたが、首を振ってその想いを振り払った。
泣きながら姿を見せたら、流石の店長も驚いてしまうだろう。
気持ちを落ち付けると、瑞希はスタッフルームから外に出た。
「お待たせしました」
「いえ……それでは、行きましょう」
店長に先導されて着いたのは、彼の言った通りドルチェ弦楽器店から徒歩数分のところにあるレストランだった。
小じんまりとした隠れ家的なお店で、瑞希もここに来たことはない。と言うより、こんなところにお店があること自体知らなかった。
「あれ?
店長、本日貸切ってなってますよ?」
「ええ、そうですけど?」
「? 貸切だと入れないんじゃないですか?」
「え? ああ、大丈夫ですよ。
貸切にしてるのは私ですから」
「は?」
思わぬ店長の言葉に、瑞希は首を傾げた。
小さなお店とはいえ、夕食をとるのにわざわざ貸切にする必要はない筈だ。
疑問に思いながらも、店長に促されるままに瑞希はレストランのドアを開けた。
ドアを開けてお店の中に入った直後──破裂音が鳴り響いた。
「きゃっ!?」
思わず短い悲鳴を上げた瑞希だが、視界を覆った紙吹雪でそれがクラッカーの音だったことに気付いた。
音がした方に目を向けると、そこには見知った数人の人物が立っていた。
「お父さんとお母さん? それに、お店の常連さん達……?」
そう、そこに居たのは瑞希の両親とドルチェ弦楽器店の常連客だ。
「あの、店長?
これってどういうことですか?」
「見ての通り、瑞希さんのお祝いに集まって貰ったんですよ」
その言葉に改めて店内を見渡すと、確かに小さいながらパーティの準備が為されているように見えた。
しかし、彼女にはお祝いされる心当たりがない。
別に、今日が誕生日というわけでもないし、他に祝って貰うようなことも思い当らなかった。
「店長さん、瑞希は何のことか分かってないみたいですよ?」
「そうですね。それでは、予定を繰り上げて最初に渡してしまいましょうか」
母親が首を傾げている瑞希の様子を見て店長に話し掛けると、彼は頬を掻きながら答えてお店の奥の方へと歩いていった。
そこに置かれていた何かを持ち上げると、瑞希の正面に立ってそれを差し出してくる。
「瑞希さん、今までお疲れ様でした」
「え? これって……」
店長が差し出したものを反射的に受け取った瑞希がそれに目を落とす。
それは、一台のヴァイオリンケースだった。
「これ、もしかして……」
「開けてみてください」
瑞希の中で色々なことが線で結ばれてゆく。
店長に促されるままにケースを近くのテーブルに置き、留め金を外して蓋を開けた。
そこには、一台のヴァイオリンが収まっている、
これまで何度も見ていた瑞希には、そのヴァイオリンが彼女が欲しがっていたものだと分かった。
「でも、どうして……」
「今日で丁度瑞希さんのアルバイト代がこの楽器の値段に届いたんです」
ケースはサービスです、と告げる店長に瑞希は呆けたような表情を向けた。
アルバイトを始めた最初の内はあとどれくらい働けば目標に届くと毎日のように確認していたが、最近はアルバイト自体が自然なことになっていたため細かい確認をしていなかったのだ。
しかし、考えてみれば確かに最初に試算して考えていた時期になっている。
「それじゃあ」
「ええ、この楽器はもう瑞希さんのものです。
今までお疲れ様でした」
「あ……」
漸く理解が追い付いてきたのか感動で涙目になりながら、瑞希はコクンと頷いた。
「さて、それでは折角集まってくださった人達も居ますし、乾杯しましょうか」
その言葉を待っていたかのように、店員さんがその場に集まった参加者達にグラスを配り始めた。
店長は店内を見渡して各人に飲み物が行き渡ったのを確認すると、一つ咳払いをする。
「それでは、瑞希さんの目標達成を祝って……乾杯!」
「乾杯!」
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
「お疲れ様!」
♪ ♪ ♪
美味しい料理を食べたり、これまでお店で何度もお話した常連の人達とお話をしたりと楽しい時間を過ごしていた瑞希だが、流石に立ちっぱなしに疲れたため端の方に置いてある椅子へと座って小休止することにした。
「お疲れ様です、瑞希さん」
瑞希が休んでいるのに気付いたのか、彼女の両親と話していた店長がやってくると隣に座った。
「今日はありがとうございました、店長」
「いえいえ、私にはこれくらいしか出来ませんから」
自分のお祝いのために色々動いてセッティングしてくれたであろう店長にお礼を言うと、彼は照れくさそうに頭を掻いた。
「そう言えば、ご両親に伺ったのですけど、クビになると誤解させてしまっていたみたいですね。
すみませんでした」
「あ、いえいえ……私が勝手に誤解していただけですから」
代わりのアルバイトが募集されていることで解雇宣告を受けると戦々恐々としていた瑞希だが、実際に蓋を開けてみれば最初に約束していた期間が到来しただけの話で、それを忘れて一人で勝手に慌てていただけだった。
そのことに改めて気付き、瑞希は顔を赤く染める。
「ところで、アルバイト募集の方は人は来たんですか?」
「いえ、これがサッパリでして……」
気になっていたことを尋ねると、店長は顔を曇らせた。
どうやら、アルバイトの募集状況は芳しくないようだ。
「このまま応募が来なかったら、どうするんですか?」
「どうすると言われても……。
瑞希さんが入ってくれる前と同じようにだましだましやってくしかないですね」
元々瑞希がアルバイトの応募をするまでは店長一人でお店を回していたのだから、不可能ではないのだろう。
しかし、その場合彼が以前言っていた楽器製作の方は滞りがちになるのは間違いない。
「私が居なくなると困りますか?」
「それは勿論です。
……って、瑞希さん?」
店長の言葉にちょっと嬉しくなった瑞希は笑顔を浮かべながら、このお祝いが始まってから考えていたことを口にした。
「店長、ちょっと物は相談なんですけど……」




