案件2 Mad Dog 33
一族全体が呪いを受けた場合、代々跡継ぎが生まれなかったり女は石女になったり、早死にが多く出たりする。
「呪いは現代まで生きている。村は他村との交流で血も薄められてきたが、時々呪われた血を濃く受け継いで生まれる者もあった。それが僕だ」
愛美は萩原朔太郎の『猫町』という作品を思い出した。
詩人である朔太郎が書いた短編で、病的で幻覚的な虚無感溢れる作品だ。隠れ里に迷い込んだ男が見たのは、猫だけが住む猫の町だった。同じような話が、水木しげるのマンガにもある。
犬神の呪いを受けて、犬になる運命の集落に生きる人々。
そんなことがある訳がない。昔の愛美なら嘲笑ったことだろう。今、その話は重く愛美の胸にのしかかっている。
「少しずつ犬になる時間が増えてきた。遠くない未来、僕は完全に人間の人格を失うだろう。犬になっている時の自分は、人間の善悪の概念も思想も持っていないから」
長谷部はそこまで言うと、下を向いた。この人が、マッドドッグ……。
「山の古臭い因習が嫌で都会に逃げてきたけど、自分の運命からは逃げられなかった」
長谷部にどんな少年時代があったのだろう。どんな過去を生きてきたのだろう。どれほど自分に科せられた運命を恨み、自分の血を呪ったことだろう。
何百年と時が隔たってなお消えない誰かの怨念に、今を生きている彼は縛られている。
(呪われた血……か)
「どうして人を襲うの?」
犬の本能か、呪いに組み込まれたプログラムか。人でありながら犬である長谷部は、矛盾と欺瞞に苦しんだことだろう。
愛美はまるでそれが自分の痛みのように胸が痛んだ。しかし、
「僕をいじめ蔑んできた奴らに復讐する為。獣の牙にかかれば、人間なんて玩具同然だから」
顔を上げた長谷部は、頬に引き攣ったような笑いを浮かべていた。愛美の中の何かが崩れた。
(信じていたのに。信じられるものに出合えたと思っていたのに)
全ては幻影だったのか。信じれば裏切られる。それが真実なのか。
「何で竹内君を襲ったの。あなたの恩師みたいな教師になりたいって、それは嘘なの。私を騙したの。誰かの心の支えになりたかったんでしょ」
長谷部は一瞬悲しそうな目をした。思わず、手を伸ばしてその不安を取り除いてあげたくなるような寂しい表情だった。しかし、信じたいと思う愛美の心を、長谷部はまたしても踏みにじった。




