案件2 Mad Dog 32
「愛美ちゃん。そいつから離れるんや。マッドドッグは長谷部や」
愛美は驚いて、椅子を蹴立てて立ち上がった。
(嘘……。嘘でしょう)
長谷部は、少女の目に不審感が表れるのをありありと認めた。長谷部は伸ばしかけていた手を下ろす。
愛美の目が、不安に揺れる。
長谷部は愛美との間に距離をとった。沈んだ表情をしている。
「あなたが竹内君を食い殺したなんて、嘘よね。そんな筈ないわよね」
愛美は長谷部の白衣の腕を掴もうとしたが、長谷部は身を翻して壁際まで後退した。
「君達は一体何者なのか?」
長谷部は相変わらず無表情な顔で、声も落ち着いていた。
どうしてそんなに落ち着いていられるんだろう。そんな馬鹿な話があるかと、普通の人間なら怒鳴りそうなものだ。
東大寺は生物室にツカツカと入ってくると、愛美の前に立ちはだかった。
「セントガーディアンズ。闇を狩る者」
St.Guardians.聖なる守護者。SGAには、そう言う意味が込められていたのか。
長谷部は爬虫類のような目で東大寺と愛美を見る。
「僕を殺すのかい?」
諦めにも似た響きがあった。
「お前こそ一体何者や。マッドドッグと呼ばれ、人間を食い殺すお前は」
愛美は東大寺の制止を振り切り、長谷部に駆け寄ると今度は逃げられないように、胸にしがみついた。長谷部の目が一瞬悲しげに光ったのは、東大寺の気の所為だろうか。
「先生。嘘。違うって言ってよ。竹内君の為に涙を流すあなたがマッドドッグだなんて。どうして」
長谷部は優しく愛美の肩に手を置くと、それでも有無を言わせず愛美の身体を自分から遠ざけた。触れられることを殊更嫌がっている。
長谷部は愛美にも東大寺にも距離を取って、静かに話を始めた。まるで授業を進めているような淡々とした話ぶりだ。
「僕が生まれた東北の山間部の集落には、犬神の伝説がある。大昔、飢饉に困った村人は、犬神に人身御供を差し出すと約束した。飢饉から救われた村人は、村の乙女を生け贄に出すのを嫌がり、徳の高い坊さんに犬神を退治させた。以来村は犬神に呪われて、村の娘が生む子供はみな犬になった」
犬神の祟り。
神域などの禁忌とされる土地に踏み込んだり、人に在らざる者との約束を破った場合、往々にして祟りという形で代償が人間に返ってくる。
昔話の呪いの形態としては不作や天変地異が続いたり、禁忌を破った者が動物に姿を変えられてしまったりもする。




