案件2 Mad Dog 13
「一瞬流れ込んできた、あのオバハンの感情。壮絶な憎しみがこもっとった。あんなどす黒い感情には、あんまりお目にかかったことないわ」
東大寺はそう言って、嫌なものを見たと続けた。愛美はそれに沈黙するしかない。東大寺は愛美とは違った、普通の人間に見えないものが視える。
「ただ単に、犬に対して何か大変な恨みがあるだけかも知らん。全員に当たってから、誰が飼い主かは決めよ」
その次に向かったのは、体育教官室の石塚弘孝の元だった。教官室の扉をノックして入ると、好都合なことに石塚一人だった。
愛美と東大寺という取り合わせを、不思議そうに眺めている。東大寺は、先ほど福永教諭に使ったのと同じ手でいくつもりらしい。
唐突に、犬を飼わないかと持ちかけた。
突然のことに、石塚は驚いた顔をした。愛美はどんな顔色の変化も見逃すまいと目を凝らす。
「彼女の家の犬が子供産むんで、貰い手探してるんです。確かゴールデンなんとかとか言う血統書付きの犬」
すっかり綾瀬の飼犬のクラディスは、だしに使われてしまっている。
石塚は、その言葉に状況を理解したらしくパッと目を輝かせた。
「ゴールデンレトリバーか。いいな、先生昔から大きな犬を飼うのが夢でな。でも今住んでる所はペット禁止だからな。いいな、欲しいな」
しきりに感嘆の溜め息を洩らし、石塚は羨ましそうな顔で愛美を見ている。東大寺は鎌をかけているのか、ただ話を合わせただけなのか、
「教職員用の独身寮はペット禁止やけど、妻帯者用はOKなんやろ?」
と愛美に話をふった。
愛美は慌てて頷くが「そうだ」と石塚は大きな声を上げた。家を移ればいいんだ、と続ける。
東大寺が石塚をからかった。
「先生。そしたらその前に嫁さん貰わな」
石塚は、これは一本取られたというように頭を掻いた。東大寺の関西弁が移ったのか、ほんまやなと呟いている。
「石塚は白や」
体育教官室を後にした東大寺は、思った通りそう言った。愛美は今度こそ読み取れたのかとは聞かなかったが、東大寺はきっぱりと言い切った。
「犬好きな人間に悪い奴はおらん」
呆れて愛美は何も言えない。犬好きだからこそ、人間を襲うマッドドッグですら飼い続けられるのではないかと、愛美は勘繰ってしまう方だ。
残るは長谷部一人だ。職員室に姿がないことを確かめて、愛美と東大寺は生物室に行った。
一度も会ったことのない東大寺を、生物部に入って間もない愛美が連れてきても、長谷部は何も聞かなかった。




