案件1 そして誰かがいなくなる 39
「次の依頼がくるまでは好きにしていい。それを提出するもしないも自由だ」
綾瀬は顎で愛美の鞄を指し示した。退学届の始末は自分でつけろということらしい。
仕事とは別に通わなければならない学校のある東大寺とは違い、愛美には行くべき学校もするべきこともない。
無駄に時間を過ごすよりは、何かをしている方がましな気もする。
「じゃあ私、これから寝に帰りますんで。バイバイ、クラディス」
コートに袖を通すと、ソファの横で伸びていた犬の頭を撫でて愛美は部屋を出た。
愛美の顔はその日の空のように爽やかで、全部終わったという達成感に輝いていた。クラディスが大きな欠伸をして立ち上がると、椅子に腰掛けた綾瀬の膝に頭を擦り寄せた。
突然鳴り響いた電話にビクリと震えたクラディスを優しく撫でてやりながら、綾瀬は受話器を耳に当てる。
――もしもし、先ほどお電話差し上げた綾瀬です。……十一人全員を無事救出したのですからそれ相応は戴きませんと……そうですね、テロリストや誘拐犯に払う金額を考えれば安いものでしょう……一億、でどうでしょうかね……。
綾瀬は薄い笑いを浮かべながら、足をゆっくり組みかえた。
*
万里江が掃除当番を終えて校門に行った時には、もう朋子と芽久の二人は待っていた。
少し太り気味でダイエットを敢行しなければと考えている万里江に、思った通り朋子が少し痩せた方がいいよと笑う。
芽久はそれに何も言わずに、ただ微笑んでいる。緊張しているのか、いつになく無口だ。
万里江は、今日は本当は美術部があったのだがサボった。この三人のメンバーで行動するのは、あの事件が終わって二週間目にして初めてのことになる。
あの事件。
万里江も被害者の一人なのだが、事件に巻き込まれたというのがどうもピンとこない。最後の被害者であり、万里江が行方不明になっていたのは半日ほどなので、他の被害にあった者よりも自覚に乏しいのだ。
だから万里江は、他の人達が見たという夢や、自分とそっくりなもう一人の自分にも会っていない。自分に何が起こったのか、誘拐されたのかどうかも分からない。
それは誰もが同じで、集団幻覚かと警察には勘違いされた。
事件は有耶無耶のまま葬り去られ、ニュース番組で取り上げられることもなかった。




