案件1 そして誰かがいなくなる 34
手首のスナップだけで、鏡を投げる。
流石はスポーツ少年。コントロールは抜群で、鏡はすっぽりと愛美の手の中に納まった。
瞬間、力尽きたように東大寺の身体が弛緩した。
愛美は鏡を頭上に掲げた。一筋の太陽光線が、銅鏡に反射して眩しい光を放つ。
『天清浄地清浄内外清浄 六根清浄と祓給う』
「お前のいる場所はここよ。戻りなさい。去ね」
鏡が発した爆発したような光の渦に、愛美は一瞬網膜が焼き切れたかと思った。
愛美が次に気付いた時には、辺りには静寂だけが満ちていた。
愛美の前に銅鏡が、鈍い光を映して落ちている。自分の顔を映してみようとは、流石に思わなかった。
菊池信雄と落合朋子は互いに身体をもたせかけるようにして、気絶している。
愛美は最後に残った姿見に、怖々と手を伸ばした。
鏡は鏡だ。
手を触れても何も起こらない。
そう言えば東大寺はどうなったのだろう。愛美は身体を起こすと、階段を上がって倒れている東大寺の元に駆け寄った。
「東大寺さ・・・ん」
愛美は東大寺の頭を腕に抱える。呼びかけても、東大寺は反応しない。東大寺の首に、赤い手形がくっきりと残っていた。
「チューしてくれたら生き返るで」
泣き出しそうになっていた愛美に、東大寺が薄目を開けてそう言った。愛美は心臓が止まるかと思うほど驚いたが、それでも東大寺が無事で安心した。
「東大寺さんの馬鹿」
起き上がった東大寺に、愛美はしがみついた。東大寺がソッと抱いた愛美の肩が、震えていた。
本当は怖かったのだろう。
鏡の中に閉じ込められたまま、二度と戻ってこられなかったかもしれないのだ。
愛美は幼い子供のように東大寺に抱きついていたが、救急車とパトカーの鳴らすサイレンに驚いたように身体を離す。
「鏡を割った所為と違うよな。と言うことは・・・?」
愛美は東大寺の側を離れると、階段を下りて銅鏡に近付いた。愛美は手を伸ばしかけ、またハッと手を引っ込めた。
銅鏡が割れている。
愛美が落とした所為だろうか。鏡は真っ二つになっていた。鏡の表面は、乳白色に曇っている。愛美は制服の袖で鏡をこすったが、曇りは晴れなかった。
もう光を反射することもない。
「どうなったんやろ。もう終わったんかな?」
東大寺がいつの間にか側にきていた。愛美は分からないと首を振る。
「私も何がどうなったのか、さっぱり分かりません。でも、奴はここにはいないみたい。もう何の気配も感じないから。多分、事件は終わったんだと思います」




