案件1 そして誰かがいなくなる 22
小学校の頃に読んだ〈不思議の国のアリス〉の続編の〈鏡の国のアリス〉を、ふと朋子は思い出した。
ごっこ遊びをしていたアリスは、鏡の中を通り抜けられるつもりになって、鏡の向こうの世界に行ってしまうのだ。朋子はその話を読んだ日、怖くて夜眠れなかった覚えがある。
鏡の国なんてまっぴらだ。
波紋を浮かべて朋子を飲み込もうとする鏡から、必死で逃れようと暴れた。
「誰か、助けて」
不意に、朋子を強く引きずり戻そうとする力が感じられた。朋子の腰に回された誰かの腕が、踊り場へと繋ぎ止めている。
――後・一人・逃・ガ・ス・モ・ノ・カ
後一人逃がすものか。声はそう聞こえた。
『天清浄地清浄内外清浄 六根清浄と祓給う』
鈴の音のような心地好い声と、辺りを震わせる手を打つ鋭い音が二回。
ふっと鏡の中に引きずり込もうとしていた力が消え、必然的に朋子は後ろに倒れた。何か訳の分からないものの上に、座り込んでしまう。
「格好ええなあ、愛美ちゃん。今のが陰陽師の使う呪文か」
調子のいい関西弁のこの声の持ち主は、朋子は首を後ろにねじった。
すぐ目の前にあった東大寺の顔に、朋子は思わず変態という言葉を浴びせかける。朋子は東大寺を下敷きにする形で、少年の身体の上に座っていたのだ。
「誰が変態や。人の上に乗っかいといていう台詞か。助けてんから、礼ぐらい言わんか」
相変わらず遠慮のかけらもない東大寺の言葉に、朋子は慌てて立ち上がろうとして、踊り場にもう一人いることに気付いた。
真新しいブレザー姿の、ポニーテールの美少女。
昨日二年C組に転校してきたばかりの、近藤愛美だ。不平を洩らしながら立ち上がった東大寺のズボンの後ろを、さりげなく近藤愛美は払ってやっている。
どうしてこんな早朝に近藤愛美が、しかも東大寺と一緒にいるのだろう。
「あんた、こんな所で何やってるの?」
何か言おうとした東大寺を、愛美は制止する。




