案件4 きみにあいたい 70
「どうして、俺らだけに見えたんやろうか?」
それは愛美にも疑問だった。
あれから、星成西のバスケ部員に変事は起きていない。
犠牲者は、三人で済んだ。
泉の水を飲んだ中で、他にも近親者や大切な者を亡くした生徒はいた筈だ。なぜ見えたのは、堀田達や東大寺だったのだろう。
紫苑が考えるようにして、一つの答えを示した。
「きっと、深くその人のことを思っていたからではないでしょうか」
失って初めて気付く、本当に大切なもの。
接点のない父親、口うるさい母親、生意気な弟。
学校と家を往復するだけのつまらない毎日。かけがえのない、大切な愛しい日々。
死んだ三人は、命を代償にしたことを悔やんだだろうか。きっとそんなことはない筈だ。
たった一目でも会いたいという願いは、叶えられたのだから。
本来なら、決して叶う筈のない望みだ。
「何ですか。それじゃ、私は冷たいから見えなかったってことですか?」
「いえ、そういうつもりで言ったのではないのですが」
紫苑が慌てて否定するのを、愛美は更に重ねて聞いた。
ちょっと意地悪かなと思う。
紫苑は性格がいいので、ついつい甘えてしまいたくなる。
多分、東大寺も同じだろう。紫苑になら大丈夫だという安心感があるのだ。
「じゃあ、どういうつもりですか?」
東大寺が間に割って入る。
「見えんでええんや。それが普通や。俺らは当り前のことを、見失ってしまってたんや。常識を覆すほどの狂気に、とりつかれてたん……やろな」
東大寺が足を止めたのにならって、紫苑と愛美も足を止める。
桜の花弁が舞い散っている。
(きっとあそこの桜も満開だろう)
愛美はふと、京都に行った時のことを思い出した。季節は秋で、木々はみな裸だったが、愛美は幻の中で、枝々に花が咲き誇る様子を見たのだった。
(私が身代わりで死ぬ筈だった少女、夜久野真名。六歳で逝ってしまった、もう一人の私)
真っ白な陰陽師の装束が、鮮やかに愛美の脳裏に甦る。
彼女の命日はとうに過ぎてしまったが、遠く離れた東京から彼女の冥福を祈りたい。
愛美がいま生きているのは、彼女がくれた命だ。
「死んだ人間は二度と戻らん。当り前のことやけど、俺は心のどっかで、一目でもいいから、千尋に会いたい、できればもう一回二人で生きたいと思ってたんやろな。でも分かったんや。千尋は死んだ、小学校六年生の時のままやった。あいつは成長することもない。俺の思い出の中でだけ生きとるんや。失くしたもんは、もう戻らん。それでいいんや。それでも俺はこうして生きとる」
愛美は道端に生えているタンポポを、一本二本と摘んだ。
すがれて、みんな綿毛になっている。ほわほわと頼りなく、何とも愛らしい。
弟の剛と一緒になって、よくタンポポの綿毛を飛ばしっこをした。
返らない日々。幼いあの日。
「生きていかなあかん」
東大寺は力強く言った。
人は強く、そして弱い。
中学生の少女の一団が、弾けるような笑い声を残して、桜の下を駆けていく。スポーツバッグから、テニスのラケットが覗いていた。
部活で休日返上とは、御苦労なことだ。
東大寺が、眩し気に行き過ぎた少女達を見ていた。
「同じようにセーラー服着て、生きたかったやろな。千尋は、たった一人の俺の理解者やった」
万感の思いを込めて、東大寺は空を仰いだ。
ふと、手の平に柔らかいものが絡みつく。小さな温かい、愛美の手だった。愛美は東大寺の手を握って、にっこりと微笑する。
(そうや。そうやった。俺は一人やない)
「さあ、あの辺でお弁当にしましょう。東大寺君の好きな、鶏のつくねも沢山作ってきましたから」
紫苑も、包み込むような微笑を浮かべた。
東大寺も破顔すると、よっしゃ食うでと叫んで、愛美の手を引っ張るようにして駆け出す。
花見客が、ほのぼのとしたように、そんな彼らを見ていた。
タンポポの綿毛が、風に乗って空へと吸いこまれる。
遥かな空、千尋の海。何処までも続き、いつまでも変わらないもの。
人の願い。人の思い。
人を思う気持ちは、いつの世も深く切ない。時に憎しみに変わるほど。
時を経ても、いつまでも変わることのない、色褪せない思いがある。
――きみに……あいたい。
『総天然幻色図鑑』最後までお付き合い下さった方、ありがとうございました。
懲りずに三巻目に、続きますので、良ければ今後もお願いします。
水曜日から新連載は、開始予定です。




