案件4 きみにあいたい 68
今日の買物当番は、東大寺だ。
萩原は、来なくて正解だった。食べる物がないのでは、話にならない。
二人は質素な食事を終えて、食後のお茶を飲んでいた。
「東大寺さんの長髪って、やっぱり想像できない」
穴の開くほど東大寺の顔を見ていた愛美が、突然そう言った。
思わず、東大寺は飲みかけていたお茶を吹き出した。
愛美が、げんなりとした顔をする。
「あのアホ親父」
久しぶりに東大寺の吠え声が、響いた。愛美が首を振る。
「ううん。紫苑さんが教えてくれたの」
「何で紫苑が知っとんねん。その時はまだ、アイツとは会うてへん筈や」
長髪で、髪を染めていたのは本当らしい。
「その時は知らなかったけど、見かけたんだって。あとでよく考えたら、東大寺さんだって分かったんだって。不っ良」
愛美はからかうようにそう言って、ダイニングテーブルからソファに移った。東大寺は自分が吹き出したお茶を、布巾で拭っている。
「人には触れられたくない過去の一つや二つある。ノーコメントや」
怒ったかと思ったが、そうではないらしい。
オーディオセットの上に、紫苑が持ってきたCDが置いたままになっている。クラッシックだ。
バッハと言えば、バロック様式。音楽で習って、愛美が覚えているのはそれだけだ。
ブランデンブルク協奏曲の、荘厳な旋律が流れ出す。
愛美はソファに戻って頬杖をついた。とその時。いつの間にか側に来ていた東大寺が、愛美に抱きついた。
「そのうち狼になって牙剥くで。ガオーッ。うまそうな赤頭巾ちゃんやないか。どこから食おうかな。ほらほら。食うてまうで」
関西弁の狼か。
東大寺は、ほらほらと言いながら笑っている。
ソファに押し倒されて、もがきながらも愛美も笑っていた。
やっぱり東大寺はお兄ちゃんだ。
二人は、小犬のようにじゃれあっていたが、ハッと気付いて動きを止めた。
リビングの扉の所に、長門が立っている。いつものように、手には飲みかけの缶ビール。
愛美と東大寺は気まずくなって、動くに動けなかった。長門はビールを一口飲むと、
「ちゃんと避妊しろよ。何なら分けてやるけど、コン――」
みなまで言わせず、愛美は側にあったクッションを掴むと、長門目がけて投げつけた。
「不潔。大人って最低」
ボフッ。
クッションは、長門の顔面を直撃する。
愛美は東大寺の下から抜け出すと、足音も荒く部屋を出ていった。
ありゃー、ええとこやったのにと、東大寺が茶目っ気たっぷりに、長門を睨んだ。
「あの年頃の女の子は、難しいねんで」




