案件4 きみにあいたい 66
「それはもういいんです。首を突っ込まない方がいいことも、あるんです」
萩原の胸一つに、収めておくべきこともある。
東大寺少年が、奥多摩からの帰りに話してくれた自分の生い立ち。
他人の思考を読むことができる、彼はエスパーだという。
そう言えば、思い当たる節はあった。
その能力ゆえに、両親に疏まれ親戚中をたらい回しにされたと。
たった一人、彼を受け入れてくれた妹を亡くし、失意の内に上京したのは三年前だったそうだ。
彼は、自分の人生を悲劇だとは捉えていない。
この力の所為で人の醜さも、優しさも知ったと。
憎悪も悪意さえも受け入れて、彼は人間が好きだと言った。
愛美も東大寺も、痛みは痛みとして生きている。
強くて悲しい生き物だ。
忘れたくないと痛切に思う――。
彼らとの出会いを。自分が見聞きしたことを。たとえ二度と会えなくても。
萩原は、愛美から渡された書類をシュレッダーに突っ込んだ。
「えらく殊勝じゃないか。まあ、諦めてくれたのはありがたいけどな」
加納はホッとしたようだった。
萩原には、萩原の人生がある。
日常の中から、非日常を眺める傍観者だ。愛美達は、非日常を生きている。
同一線上には並べない。
書類は細く刻まれて、下のゴミ箱の他の原稿や何かと一緒に溜っていく。こうなると、ただの紙屑だ。
マッドドッグ。
その顛末を知った今、萩原の胸を占めるのは深い悲しみだけだった。
マッドドッグに、喉を裂かれて死んでいた田村先輩の顔には、強い驚きがあった。突然襲われたことに対する驚きじゃないことが、今ではよく分かる。
真実を知ったことに対する驚きだったのだ。
愛美はマッドドッグを殺したのは自分だと言っていたが、やはり萩原も彼は自殺したのだと思う。
誰にもどうにもできないという歯がゆさ。
変えられない結末を思うと、人事ながら胸が苦しくなる。
「今度の休みにでも、田村先輩の墓参りに行こうと思うんです」
痛みは痛みとして、萩原も生きていく。
非日常の世界を知りながら、この自分のいる世界で生きていく。
もし、もし今度彼らに会うことがあれば、彼らに言いたいことがある。
君達が生きている意味、それは――この先は彼らに会った時だ。
これからも萩原は、金にもならないネタを、彼独自の視点から追い続けるだろう。
自分のできる、それがベストだ。
――墓地の桜は、ちょうど見頃だろうな。
*
愛美と東大寺は黙って、萩原が見えなくなるまで見送っていた。
帰ろうと言って、東大寺が先に玄関のガラス扉を開けて入っていく。




