案件4 きみにあいたい 62
「死者への情は、時に激しく哀切極まりないもの。せめて一目、たとえこの身が朽ちようとも。そのような人々の感情を見ることに、私はもう疲れました。誰にもこの泉を見つけられず、静かに眠りたい」
萩原も東大寺も固唾を呑んで、その水鏡の精の言葉を聞いている。
「どうしたいんや。どうして欲しいんや?」
女は、水鏡の精は静かに微笑んだように見えた。
「私は水鏡の精。人々の想いから生まれた異類の身です。己の意思で、死ぬこともままなりません。でもこのように依代の身体があれば、思いも果たせるというもの」
愛美がその場でしゃがみこむ。
東大寺の顔色が、変わった。
それだけはさせてなるものか。
「やめてくれ。それは愛美ちゃんの身体や」
水鏡の精にとり憑かれた愛美は、操られるままに、握っていた短刀を喉に突きつけた。
――やめてくれ。
割って入ろうとした東大寺を、愛美が止める。
「私なら大丈夫。思いを遂げさせてあげて」
――そんな。
愛美は力強く頷くと、最後に微笑んで見せた。
愛美の手に力がこもり、躊躇うことなく、ぐいっとばかりに短刀で喉を掻き裂いた。
赤い血が、辺りにパッと飛び散る。
愛美の身体が、前に倒れた。
「愛美ちゃん」
東大寺も萩原も、すぐには動けなかった。
愛美の手から、いつの間にか短刀が消えている。東大寺は愛美の側に駆け寄ると、ペタリとその場に座り込んだ。
地面には赤い血が点々と……血じゃない。
濃い赤紫の、菫の花が咲いているのだ。
東大寺は俯けに倒れている愛美を、仰向けた。
白い喉。傷痕など一つも見あたらない。
その時、愛美が目を開いて東大寺に微笑みかけた。
愛美は指を伸ばして、東大寺の涙を拭い、ズボンのポケットに入れていた巾着袋をとり出した。
自分で身体を起こすと、袋の口を開いて中から真っ二つに割れた木片を取り出す。
綾瀬に貰ったお守りだ。
愛美が、フフッと笑う。
「綾瀬さんに謝らなくちゃ。お陰で助かったわ。これが身代わりになってくれたから、私は死なずに済んだの。綾瀬さんは、私の命の恩人ね」
東大寺は何も言わずに、ギュッと愛美を抱き締めた。
愛美が、ごめんねと呟く。
小さな泉が、光を反射させてキラキラと波打っている。風が出てきたらしい。
「水鏡の精は、死んだのか?」
萩原の言葉に、愛美は首を振った。萩原は怪訝な顔をする。
「あれは迦耶姫よ」
驚いた萩原に反して、東大寺はやっぱりなと頷いた。