案件4 きみにあいたい 60
しかし、清澄な水がこんこんと湧き出ている。清水は、身を切るような冷たさだろう。
東大寺が更に泉に近付こうとするのを、愛美が手で制した。
「気配を感じるから、近付いては駄目。妖怪変化か狐狸の類か、それとも魑魅魍魎か」
綾瀬がいれば、いっぱしの口を聞くじゃないかと揶揄されそうだ。
愛美の身体に、緊張が走る。
「フッフッフフフフフー」
愛美の身体から、力が抜けた。
突然、東大寺が某妖怪アニメのテーマソングを歌い出したのだ。
こんな時にまで、おちゃらけないで欲しい。
愛美は東大寺を、きつく睨みつけた。
東大寺は、特徴的な目玉の妖怪キャラの声真似で返してきた。
似……似ている、などと言っている場合ではない。
愛美は手の平に、力を集中させる。〈明星〉が、愛美の召喚に応える。抜き身の短刀を構えて、愛美はじりじりと前に進む。
何も起こらない。
愛美は〈明星〉を強く握り締めたまま、そっと泉を覗き込んだ。
見慣れた自分の顔が、映っているだけだ。
迦耶姫様とやらはどんな思いで、この水鏡を覗いていたのだろう。
水鏡 映ずる影は来ぬ人と……。
枯れ葉が一枚、風に吹かれて水面に落ちた。鏡面のように穏やかだった水の静寂が、乱れる。
愛美は、水面に一瞬何か別のものが映ったような気がした。逃げた魚の尾でも追うように、愛美は目を凝らした。
泉の辺でしゃがみこんだまま、いつまでたっても動こうとしない愛美に、東大寺が焦れて声をかけた。
返事がない。
どうしたのかと思って肩を叩こうとすると、愛美は東大寺の手を振り払って逃げた。
まるで触れられるのを嫌がっているかのようだ。
「どうか私を助けてください。あなたなら、私を助けてくれると見込んだ甲斐がありました。こうしてここまで来てくれた」
泉を挟んで、東大寺と愛美は向き合っている。
「どうしたんだ。彼女、突然何を言い出したんだ?」
萩原が怪訝な顔をして、東大寺に聞く。愛美が、冗談を言っているのだと思っているらしい。
東大寺が凉れた声で「違う。愛美ちゃんやない」と言った。
顔付きも声も、いつもの愛美と同じだ。しかし、何かが違う。緑ケ丘での事件の時と同じような、違和感がある。
「この娘を依代とさせていただきました。私は水鏡の精にございます」
ヨリシロ?
こんな時に紫苑がいれば解説してくれるのだが、あいにく東大寺の守備範囲を越える。愛美に聞く訳にもいくまい。
「それは……つまり、どういうことや?」
我ながらアホな質問だ。誰に対して聞いているのかも、よく分からない。