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案件4 きみにあいたい 59

 別な話によると、若君は罪が晴れて、都で別の娘を妻に娶ったとも言われる。

 本当のところは分からない。

 それだけなら、どちらにしろ怪談ではなく悲恋の話だが、裏切られた姫の、若君への怨念云々という話も伝わっている。

 姫の落とした涙から生まれた泉。または、戻らぬ若君を待ち続けたという泉。

 それがこの奥多摩のどこかにあるという。

 その水鏡に、最も自分が愛する者の姿が映るとも。

 東大寺とうだいじは怪談には興味がないが、この話だけは日本昔話のようで風情があっていいと、まあ話半分には聞いていた。

 死んだ東大寺の祖母が、東大寺が物心つくかつかないかといった頃、語ってくれた寝物語のようだとも感じた。

 妹の千尋が生まれたばかりで、東大寺の家族が一番本当の家族らしかったあの頃。

 平凡で、幸せそのものの家庭が壊れたのは、東大寺の所為だ。

 千尋が知っているのは、ぎくしゃくとした借りもののような家族生活だけだった。

 

 偽物の家族。

 

 東大寺にとっては、妹だけが家族だった。

 女の子なのにSFや推理小説、冒険物語が好きだった。

 病弱で学校にもあまり行けず、家で大人しく本を読んでいた妹の姿が思い出される。

 複雑な環境で育ったにも係わらず、いつも明るく笑顔を忘れない子だった。

 東大寺のつまらない冗談を、面白がって聞いてくれた。

水鏡みずかがみ…えーずる、か…かげはこぬひとと…なんたらかんたら、忘れ…君」

 亡くなる前に、その迦耶かや姫が詠んだとされる和歌である。

 東大寺は、話をしっかり聞いていなかったことを後悔した。

 後輩との親睦を深める大事な合宿での行事だが、東大寺はいつもさっさと寝てしまっている。

 

 この迦耶姫の話は、代々先輩から後輩へと受け継がれてきたんだろう。

 直哉はそれを知っていたから、祟りではないかと言っていたのだ。二年の連中もそうだろう。

 堀田と佐藤の二人は、見つけた湧き水が、その迦耶姫伝説の泉ではないかと思ったのだ。

 そしてその通りだった訳だが。

 東大寺は今まですっかりと忘れていた。

 愛美は黙って東大寺の話を聞いていたが、やがてゆっくりと深い息を吐いた。

「水鏡映ずる影は来ぬ人と…水鏡に映る姿は会えない人と、それでも忘れられないあなた。そういう意味の歌なんでしょうね」

 枯葉を踏むカサカサという音が、聞こえなくなった。 

 足元の地面が、湿り気を帯びている。近い。


 立ち枯れた木々の間に、午後の陽光を受けて輝く水面が見えた。

 思っていたよりも小さい。両腕でわっかを作ったぐらいの大きさしかない。

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