案件4 きみにあいたい 58
まるで、彼女に挑戦しているかのようだ。
愛美は匂いを辿るように、歩き始める。
「さっさと行って、仕事を片付けなくっちゃ」
東大寺の、大ボケな言葉が愛美を追ってくる。
「行くってどこへ?」
愛美は怒るよりももう、呆れ果ててしまう。
どっちが上だがわかりゃしない。
「泉に行くんでしょ。幽霊の正体見たり枯れ尾花ってね」
まだ桜の季節には早いが、山の木々は早春の風の中で芽吹き始めている。
確信に満ちた足取りで、再び道なき道を歩き出した愛美に、萩原と東大寺は顔を見合わせて、その背を追いかけた。
「そう言えば、泉のそばに水仙が咲いてたって言ってたっけ」
泉に行くといっても、東大寺には場所が分からない。それなのに、愛美が先頭を切って歩いている。
もう花の時期は終わっている筈だ。
「水仙は、水辺に咲く花ですからね。水仙と言えば、やっぱり思い出すのはギリシャ神話のナルキッソスですよね」
愛美が萩原に同意を求める。
水仙の花言葉は、自惚れだ。
ギリシャ神話の中に、水に映った自分の姿をうっとりと眺める、ナルキッソスという少年が出てくるのだ。諸説あるが、ナルキッソスは女神の怒りを買って死に、死後に水仙が残ったとかどうとか。
ナルシストの語源になった話だ。
萩原は思った通り、この話を知っていた。
「ああそうだね。水鏡に自分の姿を映して悦に入るなんて、常人にはやっぱり理解できないよ」
萩原の台詞に、愛美がおかしそうにくすくすと笑っている。
いつの間に仲良くなったのだと、東大寺は思う。しかも東大寺は、ナルキッソスって何という状態だ。
水鏡?
「そうや、思い出した」
突然、東大寺が大きな声を出した為に、愛美と萩原が驚いた顔をする。
東大寺が、高校一年の頃だ。場所はまさしく、この奥多摩。
夏の合宿と言えば、お決まりの怪談話が始まった。先輩が聞かせてくれた中に、この地方に古くから伝わる話というのがあった。
東大寺は急かされるように、愛美達にその旨を話した。
理事長の祖父だかが、当時山に入る土地の人々から聞き集めたと言う話らしい。
以下は、愛美がその後で調べて分かったものを、ここに記しておく。
昔々のことだ。史実と言うよりお伽噺の体なので、時代は平安末期なのか、鎌倉なのか分からない。
都で無実の罪を問われた貴族の若君が、この山深い土地へと逃げのびてきた。
この一帯を支配する豪族にかくまわれることになった若君は、献身的に彼の身辺の世話をしてくれた豪族の娘の姫君と、恋に落ちる。
しかし二人の仲は、金に目がくらんだ姫の親類縁者の、検非違使への内通によって裂かれた。若君は都へと連れ戻され、罪人として処刑される。
姫は、二度と戻らぬ男をずっと待ち続けたまま、若い身空で病死したという。