案件4 きみにあいたい 25
その子の母親が振り返って、彼の方を見た。茫然と両腕を突き出したままの彼を見て、全てを悟ったらしい。
女の顔に浮かんだのは、恐怖だった。
「シンちゃん、大丈夫かぁ?」
彼は妙に間伸びした声でそう言うと、友達に手を差し出した。その瞬間、女は弾かれたように彼の手に届かないようにと、息子を自分の側に引き寄せた。
「うちの子に触らんといて、気味の悪い。化け物やわ」
――ソンナ目デ俺ヲ見ンナ。俺ハ悪魔ノ子デモ化ケ物デモナイ。
彼の興奮が急速に冷めていく。感謝されこそすれ、罵倒される謂われはない。
女は子供を守ろうとするかのように、ひしと抱き締めている。
「お母ちゃんのアホゥ。はるかちゃんが助けてくれたんやでぇ」
そう言った友達も、親に何か言われた所為か、彼とは二度と遊ぼうとしなかった。
そんなことがあってすぐ、彼らの家族は最初の引っ越しを余儀なくされた。それから何度、転校と引っ越しを繰り返しただろう。
両親はついに、彼を養育する義務を放棄した。
再び場面が移り変わる。
「あんたが悪いんやないねんで。でも、堪忍してな」
風邪で熱っぽく、彼が学校を早退してきた彼を待っていたのは、大きな家財道具を幾つか残すだけで、後は空っぽになった家だった。
母親も父親も、荷物をまとめている。
いつかこんな日がくるのは分かっていたが、両親は彼と妹がいない間に、出ていこうとしていたのだ。無責任過ぎると罵る気力は、その時の彼にもなかった。
「お前はもう大きいから分かるやろ。俺らも疲れたんや。お前と一緒にやっていくんは、無理やねん」
それは彼も分かっている。両親は、彼らなりにでき得る限りのことをしようとした。何度も引っ越しを繰り返したのも、家族四人で生きていくことを模索してのことだった。
しかし、今度は彼らだけで新天地へと旅立とうとしている。それも仕方のないことだ。
自分一人だけなら生きていける。だが妹は、千尋は。
「お父さん、お母さん。俺はええから、千尋だけは、千尋だけは連れてったってよ」
両親は彼の懇願にも耳を貸さず、振り返らずに彼の前から去っていく。家の前に停めてあった車のエンジン音がかかり、それは遠ざかっていった。
彼はささくれだった畳の上に座り込んだまま、両の拳で床を何度も叩きつける。
――結局オ前ラハ、嫌ナコトハ俺一人ノ所為ニシテ、千尋スラ押シツケテ逃ゲルンヤ。
それから、中学校に上がった彼と二つ年下の妹は、母親の弟夫婦に引き取られた。