案件1 そして誰かがいなくなる 13
万里江は声にならない声で呟くと、鏡に駆け寄った。しかし芽久の姿が見えたのは一瞬のことで、錯覚だったのか鏡には、自分以外の誰も映っていない。
鏡の中のもう一人の自分が、冷たく平べったい鏡面の向こうで、万里江と同じように手の平を合わせて茫然とした顔でこちらを見ている。
鏡の中の万里江がニタリと笑った。唇が耳まで裂け、赤い口が覗く。
万里江は、喉の奥で押し潰されたようなヒイッという悲鳴を上げた。鏡についていた両手が、手首のあたりまで消えている。
鏡の表面は、まるで水面か何かのように沢山の波紋を描きながら、万里江を引きずり込もうとする。
「嫌ーっ!」
腸が千切れるような悲鳴だけ残して、鏡は一枚の板へと戻った。
階段の踊り場には、キャンバスだけが散らばっていた。
*
愛美は誰かに呼ばれたような気がして、振り返った。誰かの悲鳴が聞こえたような気がするが、ただの空耳だろう。
愛美は通学路を一人で黙々と歩き始めたが、今度は本当に何者かの声が聞こえた。
「君って緑ケ丘だよね。少し、お話聞かせて欲しいんだけど」
生徒の帰宅ラッシュの時間は過ぎていて、駅までの通学路を歩いている緑ケ丘高校の制服は愛美以外にないので自分のことだと分かった。
振り返ると、電柱の陰から一人の男が出てきた。
二十代の半ばぐらいか、濃い茶色のコートの襟を立てて寒そうに首を竦めている。
顔はまあまあだが、話し方が粘着質でしつこそう。
ナンパも何かの勧誘にも愛美は、興味はない。愛美は男を無視して、そのまま歩き始めた。
男はちょっと待ってよと言いながら、愛美の前に回り込むと愛美の肩を押さえた。
「別に怪しい者じゃないよ。俺はこれでも新聞記者だから」
男はそう言って、大手の新聞社の名前を上げた。
そう言えば、万里江がマスコミが嗅ぎ回っていると話していた。
この男のことか。
愛美は、肩を掴む手を乱暴に振り払うと「何ですか?」と聞いた。
失踪事件を調べているのだろうが、事件に関してマスコミが警察よりも情報収集能力があるとも思えない。適当に話を聞いて、知らないと言えば済むことだ。
「緑ケ丘高校にある祠のことなんだけど・・・」
男の言葉は、愛美の思惑を遥かに外れていた。
思わず愛美は男の腕を掴み、どうしてそれを知っているのかと問い詰めていた。
男は愛美の剣幕に怖れをなしたのか、気の弱そうな表情をする。