案件3 魔女裁判 48
愛美は皮肉な意味からではなく、小さく十字をきった。
絶対零度で凍りついた、陶器と同質の硬質さを持つ脆い薔薇の花。
永遠の時の中で美しく咲き誇るがいい。
エピローグ
三月も後半になって、何かの名残のように雪がちらついた。
街のビルの灯りには、比べものにならない微かな星の瞬きが、ひそやかに息付いている冬の夜空が広がっている。
厚手のコートに身を包み、萩原は口中のガムを半ば義務的に噛み続けた。
煙草を極力控える為に常時携帯しているガムは、弾力を失って口の中で悪戯に歯形をつけられるのみだ。ミントの味も、もうとっくにしなかった。
ありふれたマンションの植え込みの前。玄関ホールの明かりがガラスの扉を通して、萩原の背中を照らしている。
水銀灯がポツリポツリと足元に落ちるアスファルト道路を、軽い靴音を立てて一人の少女が近付いてくる。
顔を上げた萩原に驚いたらしく、少女は足を止めてその場に立ち尽くした。表情の変化自体は乏しかったが、彼女の声にはうんざりとした響きがあった。
「執念深く調べたものね。あなたのこと、甘く見てたみたい」
マスコミを長くやっていると、人が見せる露骨な嫌悪の感情も、何とも感じなくなる。彼女のこの時の、憎しみにも似た感情さえ無視するのはたやすい。
萩原は、営業用ではない笑みを見せた。
少女の灰色のオーバーの襟元から覗く赤いマフラーが、夜目にくすんでいる。
肩下までの髪をポニーテールに結い上げた少女は、息を整えながら持っていた本屋の紙袋を背後に隠した。
少女はこのマンションの一室に、独りで暮らしているらしいが、部屋はSGAという会社の社長の名義になっていた。
彼女と綾瀬というその会社社長との繋がりは、萩原は洗い出せなかった。事業主と会社についての詳しいことも何一つ分からず、一介の雑誌記者には手に負えない範中に属していることだけが、本能的に感じられた。
この社会には、一般人には伏せられている事実というものが往々にしてある。ごく一部の人間だけが情報を独占する理不尽を、萩原は許すことができない。だからこそ、記者という職業を選んだのだ。
「久しぶり。ようやく君を名前で呼べる。ここまで辿り着くのに苦労したよ。緑ケ丘・鷹宮・そして聖蘭女子学園。君の足取りと、これらの学校で起こった事件を併せて考えれば、君が何者かを推測するのは可能だった。この前君が言っていた、SGAという存在もね」
少女が、近藤愛美という十六才の少女だということは、戸籍謄本で調べが付いている。家族は既に失っていなく、現在は学校には通っていない。
萩原がこの少女について調べられたのは、ごく些細なことだけだった。