案件3 魔女裁判 46
自分の記憶喪失が原因で仕事に支障をきたすことを、紫苑はひどく気に病んでいるらしい。人の命だけでなく、自分の命もかかっているのだから、切実だろう。
それにしても、やはり東大寺は紫苑が記憶喪失であることを知っていたのだ。当然と言えば当然か。
愛美は紫苑と出会ってようやく半年だが、東大寺はその一年以上も前に彼と知り合っているのだ。教えてくれてもよかったのに……とは思う。知ってどうなることでもないのは、百も承知しているが。
「俺と会った時は、もう紫苑は紫苑やった。過去なんか覚えてなくても、死なへん。それに記憶がある分、なまじっか人は苦しむこともあるねんもんな」
その通りだろう。
愛美は、家族や死んだ友人達のことを思うと、夜も眠れなくなる。
辛い記憶ばかりが溢れて、思い出なんかいらないと感じることも暫々だ。記憶がなければ、思い出しさえしなければ、苦しむことはないだろう。
しかし紫苑の〈記憶がない〉という苦しみは、しょせん人事で理解はできない。
「私が綾瀬さんに拾われたって言った時、それは自分も同じだって、紫苑さん言ったのよね。私はあの時、本当に捨てられた子猫だったわ。途方にくれて、一人で心細くって、怯えてた――ずっと。誰かの手を待ってた」
肉まんを食べただけの愛美に、東大寺が餡まんを寄越す。自分自身を語ることで、暗に紫苑のことを仄めかしているつもりはなかった。
紫苑は紫苑。愛美は愛美だ。
「それが綾瀬やったと? 俺らは拾われて飼われてる犬猫ちゃうで。そんなふうに言いな。だからあのアホ親父が増長すんねん。いけすかん野郎や」
ハイカットの赤いスニーカーで、東大寺はアスファルトの道路を蹴りつける。
数ケ月前、捻挫したという足首。実はひびが入っていたらしい。綾瀬に言えば、馬鹿にされることは必至なので、黙って治療代だけはせしめておいたそうだ。
もうとっくに完治していて、今は部活動に専念しているが、愛美は自分の所為だと思うと、申し訳ない気分でいっぱいになる。
地上三階から愛美を抱いて飛び降りて、少々のひびだけとは、どんな運動神経・身体をしているのだろう。やはり超能力者という特殊な才能に、恵まれている所以だろうか。
「お仕事、御苦労さん。もうその制服も見納めやな。もったいないわぁ。似合ってんのに。髪の毛おろしたら、どっから見ても深窓のお嬢様やで」
聖蘭女学の制服は、お嬢様学園の一種ステータスとして以前は人目を引いたが、事件がマスコミに露見して以来、権威は失墜し別な意味で注目を浴びるようになった。




