第3話
第3話
"束の間の安心"
「あ…」
部屋を出て通路を歩いている時、見覚えのある携帯が隅に落ちている事に、梨沙が気付く。
その携帯は、美由の物だった。
「美由…」
携帯を握り締めて、泣きそうな声で美由の名前を呟く。
「…きっと、急いでて気付かなかったのよ」
彩は梨沙を安心させる為に、そう言った。
その後、2人は1階に降りて、そのまま家から出る。
玄関を出た所で、梨沙が立ち止まった。
「待ってください。一度、美由の携帯で友人に連絡を取ってみます」
「わかったわ」
梨沙は美由の携帯を開いて、恵美の携帯の電話番号を入力し始める。
「………」
しばらくの間、応答を待っていると、恵美の声が聞こえてきた。
『久遠です』
「恵美?私よ」
『梨沙か?良かった…今どこに居るんだ?』
「家の前よ。美由を探しに来たんだけど…」
『それなら安心すると良い。美由ちゃんなら、ボクと一緒に居るよ』
「え?どうして?」
『心配だったから、迎えに行ったんだ。…余計だったかな?』
「いえ、恩に着るわ。無事で良かった…」
心底安堵する梨沙。
『ところで、電話に出なかったのは何故だい?』
「電話?…あぁ、電池が切れちゃってね」
『なるほどね。あまり心配させないでくれよ…』
「ごめんごめん。とりあえず、そっちに行くわ」
『了解。気をつけて』
「勿論」
梨沙は電話を切り、彩に視線を移した。
「とりあえず…」
「恵美って子の家に行くのね?聞いてたわ、行きましょう」
「はい」
美由は生きている。
それがわかっただけで、梨沙はかなり気が楽になった。
「ストップ」
住宅街を5分程歩いた所で、彩が立ち止まる。
「?」
何かと思いながら梨沙が進行方向を見てみると、1体の捕食者が行き場も無しに彷徨いていた。
「どうするんですか…?」
「どうせ倒しても意味は無いし、無駄な戦闘は避けましょう。逃げるわよ」
「はい…」
2人は細い路地に入り、捕食者との遭遇を回避する。
ふと、今更ながら梨沙は、こんな状況に至っても至極冷静な彩に不信感を抱いた。
「雪平さん…」
「何?」
「あなたは…何者なんですか?」
「へぇ…直球な質問ね」
「………」
真剣な梨沙。
彩はその表情を、面白がるかのように見ていた。
「何者か…ね。私はただのパン屋の店主よ」
「銃を譲ってくれる知り合いが居て、その銃を使いこなすような人がただのパン屋の店主とは思えません」
「うふふ…。ごもっとも…」
怪しい笑みを浮かべる彩。
そして、こう答えた。
「いずれ、知る事になるわ」
「…雪平さん」
「うふふ…怖い顔しないの。今はまだ、知る必要なんて無いわ」
「………」
「そんな事よりも…」
強引に話題を変える彩。
「銃の扱いには慣れておきなさい。今後も使う場面が多々あるハズよ」
「………」
梨沙は何も言わずに、手に持っている銃を見つめた。
「気が乗らないのはわかるけど、何しろ懸かっているのは自分の命なんだからね?」
「…わかってます」
そう返事をして、先程彩に教えてもらった通りに銃の弾倉を抜き取って、中身を見る。
「………」
金色の銃弾が、怪しく輝いていた。
「…ここにも居るのね」
進行方向に新たな捕食者を発見し、足を止める2人。
今居る通路は一方通行であり、戦闘を避けるのであれば引き返す他無い。
しかし、先程の道にも捕食者が居た事を思い出し、そうはしなかった。
「仕方ない。仕留めましょう」
「は、はい…」
慣れた手付きで銃を構える彩と、不慣れな手付きで銃を構える梨沙。
そんな2人に気付いた捕食者が、呻き声を上げながらこちらに向かって歩き始めた。
「狙い方はわかる?」
「なんとなく…」
「そう…。ならいいわ。始めるわよ」
発砲を始める彩。
梨沙も見様見真似で発砲するが、狙った箇所に銃弾を当てる事はできなかった。
「当たらない…」
「射撃は慣れるしかないわ。頑張ってね」
「…雪平さんはどこで慣れたんですか?」
「うふふ…。どこでしょう?」
「………」
先程の戦闘とは違い、捕食者との距離に余裕がある今回は、銃撃だけで仕留める事に成功する。
しかし、2人が使った弾薬は、およそ30発といった数だった。
「これじゃあ弾切れはそう遠くない展開ね…」
彩はそう呟きながら、予備の弾倉を梨沙に渡す。
梨沙はそれを受け取って、ふと、思った事を訊いてみた。
「弾、あといくつあるんですか?」
「これで最後よ」
「そうですか。…え?」
「なるべく戦闘は控えないとね…」
「いや…どうするんですか?」
「どうにかしましょう」
「………」
梨沙はいい加減な彩に、溜め息を吐いた。
その頃…
梨沙の到着を家の中で待っている、恵美と美由の2人。
既に、1時間が経過していた。
「(遅いな…。そんなに遠くないハズだぞ…)」
時計を見つめながら、美由に聞こえてはいけない為、心の中でそう呟く。
「恵美お姉ちゃん…」
突然美由に声を掛けられ、少しだけ驚く恵美。
「…何だい?」
「…喉乾いた」
恵美はそれを聞いて、安心したような、気が抜けたような溜め息を吐き、小さく笑った。
「ちょっと待っててね。ジュースでいいかな?」
「うん!」
無邪気な笑みを浮かべる美由。
恵美は美由の頭をくしゃりと撫でた後、冷蔵庫の元へと向かった。
「…ん?」
キッチンの方から匂ってくる煙草の煙の匂いに、顔をしかめる恵美。
「…お客が来てる時ぐらい、吸うのやめてくれよ」
換気扇の下で煙をふかしていたのは、8歳離れている恵美の姉、久遠真希だった。
「客?誰だよ、こんな時に」
「梨沙の妹さ。美由ちゃんって子だよ」
「あぁ梨沙の…。そんな事は置いといて、お前これからどうするつもりなんだ」
「置いとかないでくれよ。健全な中学生の綺麗な肺を汚す気か」
「ったく…段々お袋に似てきたなお前…」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
真希は舌打ちをして、灰皿に煙草を押し付けた。
「んで、どうすんだ?」
「今から梨沙が来る。そしたら移動しようかと思うんだ」
「どこに?」
「学校だよ。避難指定の場所だからね」
「へぇ…。外の様子は?」
「ボクが美由ちゃんを迎えに行った時は、特に変わった事は無かったよ」
「何だよ。ただのハッタリか?」
「それは無い。現に避難命令が出てるじゃないか」
「そりゃそうだが…」
何かを言い掛けながら、こっそりと煙草を取り出す真希。
その煙草は、一瞬で恵美が没収した。
「だから吸うなって」
「ちっ…」
そこに、おどおどした様子の美由がやってくる。
「恵美お姉ちゃん…?」
「あぁ、ごめんごめん。姉貴、そこのコップを取ってくれよ」
「てめぇ実の姉様をパシる気か?」
「ボクじゃない。この子の為だと思ってくれ」
恵美が指差した美由に、視線を移す真希。
2人はお互いの事を知ってはいたものの、顔を合わせるのは初めてだった。
「美由ちゃんだったかな?私はこいつの姉の真希ってモンだ。よろしくな」
「うん!よろしくね、真希お姉ちゃん!」
「純粋な子だな。これからも汚れんなよ?」
「?」
「はっはっは!まだわかんねーか!」
「姉貴…変な事とか教えないでくれよ?」
「追々な」
「だから教えるなって」
その時、玄関のチャイムが鳴り響く。
「お、来たかな。姉貴、美由ちゃんにジュースを入れてやってくれよ」
「てめぇ…いい加減に…」
「美由ちゃんの為だ」
「しょうがねぇな」
玄関へと向かう恵美。
扉を開けようとしたその時、扉の向こうから銃声が聞こえた。
「…銃声?」
慌てて扉を開ける。
目に入ったのは、異形の生物と交戦している、梨沙と彩の姿だった。
「梨沙!?」
名前を呼ばれた梨沙はこちらに気付き、彩と共に走ってくる。
「奴らは何なんだ!?」
「話は後!早く扉を閉めて!」
「わ、わかった!」
2人を追い掛けてきた捕食者が到着する直前で、玄関の扉は閉められた。
捕食者は扉を破ろうと、体をぶつけ続ける。
「鉄製なら大丈夫かしら?」
彩の言葉を、梨沙が否定した。
「時間の問題だと思います…」
「そうね…。2階から迎撃しましょうか」
銃を手に、2階へと上がる2人。
階段を登り掛けた所で、彩が恵美にこう言った。
「突然押し掛けちゃってごめんなさいね。お邪魔します」
「は、はぁ…」
何がなにやらわからずに、呆然とする恵美。
しかし…
「(さっきの奴ら…間違いなく人間では無かったな…)」
異常事態が起きているという事だけはわかった。
「弾、足りますかね…?」
「足りないと思うわ」
「…じゃあどうするんですか」
「さぁね。その時考えるわ」
玄関を見下ろせる2階の窓を開け、銃を構える2人。
捕食者はすぐに気付いたものの、空を飛ぶ事などできるハズもなく、2人に向かって威嚇をするだけであった。
そんな捕食者に発砲を始める、梨沙と彩の2人。
残弾を全て使い切り、3体居る捕食者の内、1体は仕留める事ができた。
残る捕食者は2体。
彩は何も言わずにその場から離れ、階段の方へ向かった。
「雪平さん?どこへ…」
梨沙が呼び止める。
「簡易かつ強力な武器を作りに行くわ」
「武器…?」
「ま、ちょっと待ってなさい」
彩はそう言って階段を駆け降り、キッチンへと駆けていった。
「こんばんは。アルコールの高いお酒は置いてあるかしら?」
「いきなり誰だ?」
突然現れた彩を、訝しげな目で見る真希。
「後で話すわ。あと、燃えやすい紙とライターと、灯油のような引火性が強い物も欲しいわね」
真希はそれを聞いて、彩が何をしたいのかを察した。
「…ちょっと待ってな。灯油はあるか知らんが」
「助かるわ」
しばらくして真希が持ってきたのは、ウィスキーの空き瓶、新聞紙、自分が使っているジッポライターと、ストーブに使う灯油の4つ。
「倉庫に去年使った灯油が残ってた。使ってくれ」
「ありがとう」
それを持って、2階に戻る彩。
彼女は火炎瓶を作ろうとしていた。
「おまたせ。奴らは?」
「扉に攻撃してます。…何ですかそれ?」
彩が持ってきた4つの物を見て、眉をひそめる梨沙。
「見てればわかるわ」
彩はウィスキーの空き瓶に灯油を入れ、新聞紙を突っ込み、窓の前に立って捕食者を見下ろした。
梨沙は彩の手に持っている物を見て、やっと気付く。
「火炎瓶…ですか」
「その通り。火力抜群よ?」
彩は新聞紙に火を点け、下に居る捕食者に瓶を投げつけた。
瓶の中の灯油がかかり、一瞬で引火して火達磨になる捕食者。
しばらく悶えるように地面を這った後、捕食者はそのまま動かなくなった。
「一丁あがりね」
捕食者の絶命を確認して、上機嫌な様子で窓を閉める彩。
しかし、その直後に、大きな溜め息を吐いた。
「…どうしたんですか?」
「説明、面倒臭いわね…」
「あー…」
2人は階段を降りて、恵美達が待つリビングへと向かった。
第3話 終