連載しようかと思ってやっぱり辞めたあるなろう作者の日常
四作目。
初めましての方は、よろしければ“あるなろう作者の日常”シリーズをご照覧ください。
「それは一種のエゴだよ」
コーヒーカップをソーサーに戻したRは、呆れたような苦笑を浮かべてそう言った。
今日の混んでいる喫茶店では、少し声を大きくしないと互いの声が聞き取れなさそうだ。
加えて僕は少し苛立っていたこともあり、イスに足を組んで、背もたれに腕をひっかけて、まるで場末のギャングのような悪態をついてRの言葉を聞いていた。
「エゴだって? これが? 僕は間違っていないことを言った。それがどうしてエゴになるんだ」
「そう熱くなるなよ。きみは間違っていないにしろ、正しくもない」
喫茶店でたまに会っては議論に興じ、くだらないことや面白いこと、気になったことについて好き放題語るだけの同好会。僕とR以外にも数人の仲間が居るけれど、なんだかんだでこういう話をするのには、一番Rが向いていた。
だが、昨日の夜にあった小さな出来事を僕がRにグチったせいで、少し今日の話題はトゲトゲしいものになりそうだった。
どこかとりすまし、「相変わらず、きみは少し幼いな」と慈愛に満ちた言葉をかけられることそのものがもう腹が立って仕方がない。
「いいかい? きみのその正しさというのは、全ての人にとってイコールではないんだ」
「分かってるってのそんなこと。でも、今議論したいのはそういうことじゃねぇんだよ」
「いや、こういうことだ。きみの許せる境界線が、そのまま正しさに直結している視野の狭さ。これは、早急にどうにかするべきだとボクは思うよ」
「いやだって、さっきの話を聞いたら僕が正しいと思うだろう?」
ことの顛末は些細なことだ。
友人の気遣いを踏みにじった知り合いに、イラッと来たから毒を吐いた、それだけだ。間違ったことをした相手を糾弾する意味で、なにも間違ってはいないはずだ。
「……だからさ、I藤。違うんだよ。きみが正しさを主張するのであれば、そのときにきみが吐くのは毒ではなく薬であってしかるべきだ。違うかい?」
「……諭せ、とでも言うのか?」
「だからどうしてそんなに上からなんだ。きみは少し、知らない相手を下にみる傾向が強いから注意をした方がいいよ」
「ツッ」
舌打ちして僕はRから視線をそらした。
こいつの言うことは間違っていない。むしろ、正しい。僕は物事を論理的にとらえることが基本になっているようで、Rの言葉に間違いがないからこそ、感情論に訴えることもできずこうして黙り込んでしまう。
普段だったら頭を下げて素直に謝っていただろうところで黙ってしまうあたり、それくらいには今日は僕の機嫌も悪いようだ。
「つまりだよ? きみは自分の中で許せることと許せないことをはっきりと分けている。確かにボーダーラインを定めておくのは善悪の判断を下す際にとても役には立つだろう。けど、それは他人と共有するものじゃないし、できるものじゃない」
「……ってのは?」
「きみはよく、食事の際に口をあけてものを咀嚼する人を嫌うよね」
「行儀もクソもなってない、歩く公害みたいな連中は滅べばいい」
「それだよ。でも、多少のマナーの悪さは目を瞑るだろう? テーブルの上に手首より手前を出していようが、滅べとまでは思うまい」
「まあ、確かに。腕くらい出しててもそれくらいなら」
「けどそれは同じマナー違反なんだよ。社会の常識ときみの常識を照らしあわせた時に、食い違いがおきている。なのにきみは自分の常識から外れた人間だけを許せない。それは、この社会で生きていくうちでどうだろうね?」
「んなもん……」
みんなそうじゃないか、と言いかけて、やめた。この議論の行く末が見えたからだ。
「もちろん、みんなそうさ。常識とか、許せないボーダーとか、それは人それぞれだ。だけど、きみはそれを表に出しただろう? そこだよ」
「へいへい、まごうこと無き正論だよ」
「そんなに拗ねることはないだろうに」
「拗ねてねーよーだ」
しょうがない奴だ、とため息をつくRに僕は手も足も出やしない。
だからといって僕の感情は変わりはしないのだが、そんなことは余り関係ない。
僕は結構、年齢の割りに大人だねとか言われることが多いけれど、それを素直に受け取れないのは、周りにこいつ含めた変な連中が多いからだろう。
「きみが感情論を振りかざす時は、あれだね。きみの言うところの死亡フラグ? とやらなんじゃないか?」
「え、そこまで勝率悪いっけ」
「勝ち負けではないし、その言葉の用法について少し自信が無いから何ともいえないけれど……だいたいきみが感情論に訴えた時は論理的には破綻してるよ。まあ、だからこその感情論なんだろうけど」
「うるせーやい」
温くなっていたコーヒーを口に含みながら、このいらだちをどうしてくれようかと悩んでいた。目の前のRはいつも通り微笑んだ表情を崩していないのがやけに憎く感じる。
高校時代にRが買ったプリンぱくった時みたく泣かせてやりたい。
「なんだよその非難がましい目は。まるで悪いことをしたみたいじゃないか」
「苛立ちを抑えられないだけだ。ほっとけ」
「そうかい」
涼しい顔でコーヒーを飲むRから目を外して、何の気なしにぐるりと店内を見渡した。
相変わらず天井を揺蕩う紫煙が、店内の隅に見られるヤニを作っているんだろうなあとか。コーヒーの香りが心地いいのを、サイフォンのこぽこぽとした音と一緒に楽しんだりとか。
そんな風に適当に会話を切って周囲を見ていると、ふと見知ったウェイトレスさんがやってきて、僕とRの前にスイートポテトをことりと置いた。
「どうぞ。いつもありがとうございます。マスターからのサービスですよ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふ、お二人とも、お似合いですね。ごゆっくりどうぞ」
「ちょ、ボ、ボクたちはそんなんじゃ」
この喫茶店で甘味を食べるならホットケーキが定番なのだが、たまにはこういう趣も悪くないか。
慌てふためくRをおいて、僕はフォークに手をつけた。
さっくり差し込むと、黄金色の長方形に綺麗な切れ目が入る。甘く芳醇な香りが、とろけるような優しい味を想像させてつい口元が綻ぶ。
甘いものは得意ではないはずなのだが、この店の甘味は別だ。
「ちょっとI藤、どうにかしてよ」
「は、なに?」
「なにじゃないよもう。昔からI藤はこうなんだから……」
なんだそれむかつく。
昔からどうだったというのだろう。お互いに20になってもこの関係は続いているが、出会いは確か中学時代。本格的にこうして話すようになったのは高校に入ってからだけれど、僕らは八年来のつきあいになっているということだ。
お互い生き方はずいぶん変わったと、そう思うのだが。
「……ひょい」
「あっ」
なるほどな。
「変わってないな、確かに」
「…………か゛え゛し゛て゛」
「甘いもの取られるとすぐ泣くとこ。初めて見た時は驚いたけど」
振りあげた手の先で、フォークが高々とスイートポテトを突き刺していた。僕のじゃない。目の前のRの皿からかっさらったスイートポテトだ。
涙目で睨むRを見て、確かに変わらないところは変わらないものだと思う。
「高校時代か」
本当に泣きだしかねないので、そっと甘味をRの皿に戻して、呟いた。
「ボク怒るよ」
「怒ってない」
あの頃はいろいろあった。
こうしてRと言葉を交わすようになるなんて、そもそも中学の時には思っていただろうか。
……思っていなかったような気がする。
あれは、そう。
僕たちが、Rでも、I藤でも無かった頃。
くだらないことに興じるただの生徒であった頃。
僕が、俺であった頃の話だ。
続きそうだけど続かないよ。