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異説ゴルニア戦記  作者: pepe
一章
7/23

Ⅵゴルニア属州総督

 エステルの月十七日。第十二軍団によるエシュシュ奪還から三日が過ぎていたが、古参の将兵を急襲部隊に回したがために、後続の進軍は容易に進まず、総督が直率した軍団の半数が到着したのは今朝未明の事だった。

 ボーレア山脈を越える山道は険しかったものの、先のゴルニア遠征の遺産として、街道が設置されている。さほど手間取るものではないと踏んでいたのは、完全にエストリカの誤算だった。

 まず訓練も満足に施していない兵士の体力にバラつきがあり、そのせいで足並みが乱れると隊列が離散してしまう。そのたびに休憩して隊列を組み直さなくてはならず、これが一仕事だった。野営陣地の構築も満足に出来ず、時間ばかりがかかってしまう。いずれも古参士官を先発隊に引き抜かれて、まとめ役を欠いた結果だった。

 そんな状況だったが、エストリカが心底から呆れたのは、惨憺たる軍団の状況よりも、あまりにも体力のない副官のことだった。乗馬を操るのに四苦八苦するアリウスは、行軍三日目にはフラフラになっていて、物の役にも立たなかった。

「少しは見直したのに」

 と、会議で卓見を示した副官の評価は、三歩進んで二歩下がると言ったところである。

 エルトリア軍による戦後の後始末と、再統治の準備が進む中で、エストリカにも重要な仕事があった。休息もそこそこに、焼け残った屋敷を徴用して引きこもりながら、シノンを先生にして朝から発声練習を繰り返している。

 それというのも、まだ総司令官として就任演説を行っていないからだった。

 属州統治は麾下軍団の忠誠心によって成り立っている。無論、軍団兵は給料を支払ってくれる相手に相応の敬意を表するが、元締めとして顔を知られておく事は必要不可欠だった。まして、エストリカはこれから困難なゴルニア征服戦争に従事しなくてはならないのだから、なおさら閲兵と合わせての就任演説は重要だった。

「にしても、ひどい誕生日だわ」

 休憩中にエストリカは愚痴をこぼした。十六回目の誕生日にはケーキや白鳥の姿焼もなく、部屋が埋まるほどのプレゼントもない。女神エステルは豊穣を司るというが、その名にあやかったエストリカの現状には女神の加護など存在しないようだった。

「残念ですが、エシュシュに備蓄していた食料が焼き払われたそうで、とても祝宴を開ける状況ではございませんので」

「分かってるわ、それぐらい」

 シノンの返答に、エストリカはがっくりと肩を落とした。

 エシュシュを奪還して、それで順風満帆とは行かなかった。東部ゴルニアへの橋頭保として基地化されていたエシュシュには、駐留軍団を養うために物資が備蓄されていたのだが、それらは戦火によって焼かれて、改めて物資をウァリクムから輸送しなくてはならなかった。

「その物資だって、借金で調達してるんだから、嫌になるわ」

「ここまで借金まみれになったわけですから、いっそ開き直られてはいかがですか? どこかのだれかさんみたいに」

「あれは開き直っているというより、無神経なだけじゃないの?」

 疲労困憊で寝込んでいる総督副官をあげつらって、二人して笑う。

「さ、そろそろお時間ですから、お召し変えを致しましょう」

 うなずいたエストリカは普段着を脱ぐと、赤いチュニックを着込み、その上からシノンが鎧を着せて行く。きらびやかな青銅製の胴鎧に、板金組み立て式の肩当てを装着し、脚甲を装備する。腰には剣を吊るし、さらにその上から総大将を示す緋色の長いマントを身に着け、最後に皇帝から授かった黄金の月桂冠を頭に乗せる。

「重い……」

 装備が追加されるたびに、エストリカは不快げに呟いた。エシュシュまでの行軍でも装備していたのだが、これだけ重いと慣れの問題ではなかった。少女の骨格が鎧の重量に対して不足しているのだ。

 これでも腕甲と兜を省略し、各部も可能な限り軽量化しているのだが、総司令官としての見栄えも満たさねばならないので、むしろ鎖帷子に皮のベストを装備した軍団兵より装備重量はかさんでいる。特に黄金色に輝く青銅の鎧は見栄えするものの、鉄製よりも格段に重い。

 ぎくしゃくと動きながら具合を確かめるエストリカの肩当てに、狭い屋内に退屈していたフレースが飛び移って、余計に重たくなる。

「よくお似合いです」

 うんざりした顔のエストリカに向かって、シノンが無難な感想でまとめ、迎えに来た親衛隊の将校に総督を引き渡した。

 屋敷の外では親衛隊百人が警護のために整列しており、旗手が掲げる軍旗は司令部を示す物だった。一ウナス半(約三メートル)の軍旗の先には、青銅の鋳物で作られた鷹が鎮座している。それを見つけたフレースは、エストリカの肩からさっと飛び立って、軍旗の先に居を移した。

「城市の広場は手狭でしたので、外で全軍が待機しております」

 親衛隊長の言葉通り、城市の外に出ると五千人近い将兵が整列して、数種類の軍旗を林立させていた。半分ほどは頼りにならない新兵の集団だったが、西部ゴルニア出身の大柄な若者で構成されているだけに、軍装を施して整列している分には見栄えがした。

 隊列の手前には急場ごしらえの演壇が設けられており、左右にはトゥリアス将軍を筆頭に、軍団の高級将校が並んでいた。

 無論、アリウスの不健康そうな顔もその中にある。疲れ過ぎて自分がどこで何をしているのかも分かっていないような風情だったが。

 急ぎ設置された演壇に登ったエストリカは、総大将の証である長い緋色のマントを翻し、装飾の入った青銅の鎧を陽光にきらめかせていた。

 頼りないと言えば、新規募集の軍団兵以上に、やっと十六歳になった総督だった。軍務経験などあるはずがなく、屈強という言葉とは縁遠い令嬢である。

 とは言え、その登壇に将兵は目を奪われた。

 どんなじゃじゃ馬かと思いきや、意外にも見目麗しい。その意外性が、総督の内面など知らない男たちの眼を惹きつけていた。

 結い上げた金髪は涼やかな白光を投げかけ、白い肌は清潔な透明感を持っている。それはそこらの街娘と同列には置けない高貴を感じさせる姿で、しばし男たちは総督を凝視した。

 意外と言えば、甲冑姿が馴染んで見える事だった。素材が良ければ、何を飾っても見栄えがするということか。逆に、演壇の傍らに控えた高級将校の列の中で、アリウスの姿はあまりに甲冑が馴染まず、何かの仮装かと思えるほどだった。

 演壇に登ったエストリカは、居並ぶ将兵をゆっくりと睥睨してから、大きく息を吸った。

「我らは必ずゴルニアを制する」

 マントを大きく払って、エストリカは演説の口火を切った。五千人の聴衆を前にして、十六歳の少女は堂々としていた。その姿は華奢であり、可憐であっても、ただ詰み取られるのを待つ花ではなかった。

 たかだか十六歳? 否、そうではない。生まれながらにして人の上に立つ貴人として、十六年を生きて来たのだ。

「諸君! 諸君は栄えある帝国市民であり、同時に常勝不敗の帝国正規軍団の一員である! エルトリアがかかる大帝国にまで版図を広げて来た歴史を見るがいい。いかなる苦境にあっても、エルトリアは必ず最後には勝利し、偉大なる歴史を築いてきた。それはなぜか? ただひたすらに帝国と皇帝陛下の威信によってか? それとも綺羅星のごとく現れる不世出の英雄の叙事詩によってか? そうではない! 我らエルトリア軍団が、世代を問わず、地域を問わず、常に世界最強であるからだ! 第十二軍団もまた、世界最強の軍団であると心得よ」

 兵士たちが歓声を上げた。気の早い者はすでに抜いた剣をガンガンと盾にぶつけながら、「第十二軍団!」などとシュプレヒコールを上げている。ほとんど蛮声のような歓呼を受けてもエストリカはひるむことなく、両手を天に差し伸べて堂々と歓声を受け止めていた。

 さすがに皇族、アジテーションはお手の物というわけか。血色の悪い顔をしたアリウスは、その熱狂を一歩引いた所から見守っていた。その冷静な評価に若干の嫌味が混じるのは、そうした大衆が熱狂しそうな文言は自分の頭からは出て来ないと知っているからだった。

 せっかく文士が副官だと言うのに、演説の草稿はエストリカの意向を受けたシノンが作ってしまった。その事に不満を感じていたのだ。

 しかし、それは確かなカリスマ性の演出に他ならないのだから、アリウスとしては歓迎する気分である。そうでなくては困るのだ。これもまた、アリウスの歴史的な大著の記念碑的場面として後世に残る予定なのだから。

 アリウスの頭の中にあるのは帝国の公益でもなければ、エストリカの栄誉でもない。ある意味で下心と言える類のものだった。

 とは言え、取り繕ったカリスマ性だけでは厳しいか。そう思ったのは、記者の目で冷静に眺めた時に、古参の将兵が苦い表情を浮かべていることに気付いたからだ。

 なにせ、彼らは実際にゴルニア軍との戦闘を経験している。二年前の遠征失敗において最も過酷な代価を支払わされたのは、彼らがかつて所属した第二十六軍団だった。その苦い記憶は、景気のいい新総督のアジテーションで覆るものではない。

 それが証拠に、アリウスの見る所、演説に気分を高めているのは新参の兵士ばかりで、古参兵たちは慎重な眼差しで総督よりもトゥリアス将軍の方を注視している。

 が、意外に将軍は敵意や反感を見せていない。突き放した冷静さというのではなく、むしろこれから始まる戦争に気分を高めている様子だった。やはり根っからの軍人ということだろうか。初面談であれこれと齟齬があっただけに、トゥリアスの意外に従順な姿勢にアリウスは首を傾げた。

 いや、それよりも今は演説だ。

 アリウスが意識を切り替えた時、複雑な温度差の中で、エストリカは演説を締めくくりに入っていた。

「我らは世界最強の名に恥じぬ戦いによってゴルニアを征服し、以て帝国の威信を高めるのだ。その時、第十二軍団は歴史に長くその名を刻まれるであろう!」

 クライマックスである。エストリカは腰に提げた剣を抜き、頭上に掲げようとした。その動きに応えようと、兵士たちが手に手に剣の柄を握り締める面前で、それは起こった。

「あっ――」

 勇ましいアジテーションの口調からは想像できない、可愛らしい困惑の声が漏れた。それは誰にとっても予想外の出来事だった。白い手が、剣を取り落していた。

 がん、がらん、がらん……。足を庇って飛びのいたエストリカの足元で跳ねた剣が、演壇から落ちて大きな音を響かせる。一転して静まり返る広場。だれもが微動だにしなかった――できなかった。

 一歩引いた心地で眺めていたアリウスも、さすがに唖然とした。ゴルニア征服戦争の栄光の場面が、前代未聞の泥に塗れることになったのだから。

 理由は明らかだ。エストリカの身長に比べて、剣が長すぎたし、彼女は明らかに武器の扱いに慣れていなかった。おまけに重たい甲冑に、身を覆うマントを着けていれば非常に動きにくいのも当然である。

 先端が鞘に引っ掛かって外れないのを無理に引き抜こうとして、手が滑った。それだけの事である。かつていかなる時代のいかなる国であっても、こんな何でもない所で、これほどの恥を晒した軍司令官はいなかっただろう。

 あまりの出来事に、トゥリアス将軍はフォローする術を見出せず、将兵はどのように反応していいのか分からないまま彫像のように固まっていた。

 後刻、アリウスは新作の執筆でとてつもなく苦心することになった。さすがに、五千人が目撃した衝撃的な事件をなかった事にはできなかった。やむをえず、彼は脚色を交えて嘘ではないが真実でもない事実を書き連ねることになった。曰く、

『幼い総督は、その慣れぬ動作の結果として、麾下軍団の面前で剣を取り落すという失態を犯したが、軍団の将兵は一人としてその失態を笑わず、かえって決意を新たにした。剣もまともに抜けないにも関わらず、ゴルニア征服という大役を押し付けられた総督を自分たちがしっかりと守らねばならないと、屈強な将兵は感じたのである。彼女の幼い姿が、かえって純朴な兵士たちを奮起させた事は言うまでもない。

 同時に凶兆とも言える出来事に対して、動揺する者はいなかった。なぜなら、舞い降りた一羽の鷹が落ちた剣を拾い上げて、総督の手に差し出したからである。神官がその場に居合わせれば、それを吉兆と解釈したであろうことは想像に難くなかったからだ。』

 几帳面なアリウスにしては文字の乱れた一文は、作家として実直たらんとする彼の信条に反した事への良心の呵責であったかもしれない。

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