Ⅳゴルニア王
エルトリアの侵略拠点と言っても、エシュシュはつい数年前まではゴルニア人の街だった。ボーレア山脈を挟んで隣接するウァリア属州を臨んで、最前線の要諦となってはいるが、当然、通りに並ぶのはゴルニア式の石積み壁に茅葺屋根の住居である。日干しレンガとモルタルで作られた解放的なエルトリア式住居より不格好に見えたが、作りは堅牢で、寒冷な気候に適した作りになっている。区画はエルトリア人の街のように整然とはしていない。辛うじて大通りのような道がないではない、と言った様子である。
もっとも、エルトリア人の都市計画において、東西南北の直線路地の徹底や幾何学的な区画整備は妄執じみたものを感じさせるものであり、偏執的なほどの拘りようを除外すれば、同時代の水準よりゴルニアの城市が原始的と言う訳でもなかった。
白々とした朝の輝きを受けながら、その大通りを一人の若者が足早に歩いていた。
二十歳を少し超えたばかりと見えるその若者は、ゴルニア人にしても大柄だった。澄んだ緑色の双眸は、猛禽類のように周囲を睥睨するかのごとく見えた。
逆立つ金髪は、石灰で洗髪する伝統的なゴルニア人特有の髪型だった。溶いた石灰が固まって、毛髪を釘のように尖らせる。それだけでも恐ろしく見えると言うのに、この男は顔面を青い顔料で塗りたくっていて、ぎょろりと白眼ばかりが際立つのだから、さながら不吉な神の化身のように見えた。
顔のペイントはゴルニア人が先祖の霊魂や神の助力を得るために行う化粧だった。が、それは平時のことではない。神霊の力を借りるからには、日常の出来事ではありえない。それは究極の非日常と言うべき戦に際して施される戦化粧だった。
それが証拠に若者は武装していた。見事に隆起した筋肉の上にきらびやかな装飾の鎧を身に着け、腰には高級品である長い剣を吊るしている。首には手の込んだ細工のトルクが煌めいており、すると若者は身分の高い貴公子であるらしかった。そして、彼はその出で立ちに恥じぬだけの威圧感を纏っている。まだ若いと言うのに、その重厚な存在感は貴公子を三十路の壮年のようにも見せていた。
ゴルニアの貴公子は周囲を見回して、ふっと息を抜いた。見渡した空には、あちらこちらから薄く白っぽい煙が立ち上っていた。炊事の煙ではない。焦げ臭さをともなう煙は、昨夜の記憶の名残だった。
「エルトリア軍も大した事はない」
呟いた貴公子の脳裏に、昨夜の襲撃の情景が蘇る。
率いた手勢は四百で、これは夜襲の隠密性を維持するために選んだ精鋭の第一陣だ。呑気なエルトリアの守備隊は、大して警戒もしていなかった。精鋭の戦士たちにとって、忍び寄って物見を殺すことは容易かった。
内側から開門するのに手間取ったため、守備隊はそこで異変に気付いたが、その時には市内に火の手が上がり始めていた。石積みの壁は燃えないが、茅葺の屋根は派手に燃え上がった。それを合図に、周囲の森に潜んでいた後詰の六千人が大挙して押し寄せた。
後は一方的な展開だった。
もともとエルトリアの守備隊は千にも満たない。それが六倍以上の敵に奇襲を受けたのだから、最初から勝負は決まっていたのだ。
戦いの後は、お決まりの略奪や暴行が横行していた。無論、エシュシュの住民はゴルニア人――同胞である。が、戦士団を率いた若者は、それをさせるがままに捨て置いていた。褒美は必要であったし、何より連中は裏切り者だった。
エシュシュを「奪還」したのは、ゴルニア最大の部族であるルーヴェニア族の戦士たちで、彼らはエルトリアの侵入以前に東西ゴルニアを統治したルーヴェニア帝国の主要部族だった。かつての宗主権を思えば、エルトリアに服従するエシュシュの住民は裏切り者に違いない。
苛烈な報復を、若者は黙認した。
いい気味だとは思わない。どころか、彼はそうしたエシュシュの住民に対して無関心ですらあった。涙ながらに狼藉を訴える街の顔役を無情にも蹴り飛ばした指揮官の承認のもと、狂乱の宴は延々と続き、ようやく死に絶えたような静けさが訪れたのは、朝焼けに空が燃える頃だった。
若者は不意に背後から近付いて来る物音に振り向いた。鎖帷子をじゃらじゃらと鳴らして近付いて来るのは、三十絡みの従兄弟だった。神経質そうな細面にぎらりと目を光らせ、尖った肩で風を切ってずんずんと近付いて来る。
「サンジか」
軽く片手を上げて迎えた従兄弟の挨拶には付き合わず、痩身の男は足を止めるとぎろりと大男を睨みつけた。こめかみを引きつらせてすらいた。
「サンジか、じゃない、ウェルティス!」
キンと響く怒声に、ウェルティスと呼ばれた若者は片目をつむった。
「おまえという奴は! なんてことをしてくれたんだ! おまえ、おまえは……」
掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ったサンジ――サンジェナトスは激情のあまりに口角をわななかせて、容易に続きを口に出来なかった。
「なんだよ、朝っぱらから。そうギャンギャン怒鳴られると、徹夜の頭が痛む」
ウェルティスはうんざりした様子で答えた。すると若者を包んでいた重厚な印象が裏返って、今度は年齢以上に若く――幼く見えた。
その従兄弟の両腕を掴んで、サンジェナトスは震え声で叫んだ。
「これが……これが怒鳴らずにいられるか!」
「だから、何だってんだ。理由もなく怒鳴られる身になってみろ」
「理由がないだと!? なんで俺が怒っているのかも分からないと言うのか?」
「全然。ちゃんとエシュシュは落としたし、こっちの被害はほとんどない。きっちり仕事して、それで怒られるなんてのは割に合わないな」
面白くもなさそうに答える男は、美丈夫の威容を誇りながらも、その態度は十代半ばの跳ねっ返りの少年のようだった。十歳も離れていないはずのサンジェナトスは、逆に実年齢よりも老けて、さながらウェルティスの父親と言うのは言い過ぎでも、口うるさい叔父の様ですらある。
「分からないなら、教えてやる。街の外のあれのことだ! いったい、あれは何のつもりで……いや、事前の相談もなく、なぜ勝手なことをした!?」
「ああ、あれか。あれはちょっとした演出さ」
面白くもなさそうな顔――と言うよりも、まったくもって「ちょっとした」事だと言わんばかりの表情は、サンジェナトスには怪物めいて見えた。いや、「あれ」を目の当たりにした者なら、だれでも同じように思うはずだ。
サンジェナトスが血相を変えた理由は、市壁の外に幾つも並んだ大がかりな焚火の跡だった。それは野営地の篝火ではなく、生きた人間を焼き殺すための火刑台だった。その数、ざっと数えても二十を下らず、目撃者から聞き出した所によると、その一つ一つの上に二十人以上が手足を鎖で繋がれて、輪になって並べられていたと言う。すると、最低でも四百人以上が焼き殺されたということだ。しかも、犠牲者はエルトリア人ではなかった。その処刑が始まる頃には、生きているエルトリア人はいなかったからだ。
「同じ事だ」
ウェルティスは薄い笑みを浮かべて、そう言った。まるで痛痒を感じていない。
「エルトリア野郎だろうと、裏切り者だろうと、全部同じ敵だからな。見せしめには効果的だ」
「だ、だが、住民の中には仕方なくここで暮らしていた連中だって多かったはず……」
「抵抗しないのなら、豚と同じだ。食われるための家畜だ。エルトリア人に食われるよりは、同じゴルニア人に食われた方が、まだ幸せってわけさ」
なんせ、生贄って名目は付けてもらえるわけだしな、と続けた冷酷さは、尋常ではなかった。敵だ、味方だと区別するのは当然にしても、意に沿わない者をすべて敵と括って済む問題ではなかった。
確かにサンジェナトス自身、ゴルニア人の誇りを失い、エルトリア人に隷属する同胞を腹立たしく思った事は一度や二度ではない。殺されるよりはましだと言い放つ様は、いずれも無様な敗者でしかなかった。しかし、とサンジェナトスは抗弁した。
「しかし、やり過ぎだ。略奪や暴行までして、その上、見せしめの処刑なんて……」
大人はそう簡単に割り切れない。相手にも事情があると、生きて来た経験の分だけ身につまされて知っているからだ。誰しも自由に生きられるわけではないし、地縁血縁のしがらみだってある。それを赦すのも器量というものじゃないのか、え、ウェルティス?
「だって、おまえはゴルニアの王なんだぞ!」
それが貴公子の正体だった。年上の従兄弟に対してもぞんざいな態度は、迂闊な若者が目上への礼儀を欠くからではなく、全ゴルニアで若者の上に立つ者など一人もいないからに他ならなかった。先のゴルニア動乱で部族連合を率いてゴルニア王を名乗った、ルーヴェニア族の首長エルニムスの一人息子であり、エルニムス亡き後に、成人した息子が王を名乗る事に異議を唱える者などいない。
対するサンジェナトスは、ゴルニア王の称号を継承した従兄弟の補佐役だった。一族きっての切れ者と言われた男は、戦場では大して役にも立たないが、他部族との外交に辣腕を振るっている。だからこそ、ゴルニア諸族の実際を肌で知っている。他部族の感情に配慮せざるを得なかった。
「だから、自重しろと言うんだ。王は寛容に諸部族を束ねるのがゴルニアの流儀じゃないか。それを、他の部族民を勝手に処刑するなんて……。同胞部族に恨みを残しては、総決起どころじゃない。また部族同士でいがみ合う事になってしまう」
教え諭すように言葉を重ねるサンジェナトスに対して、ウェルティスの返答は一言だった。
「王だからこそだ」
「なに? なんだって?」
「十年前、親父の下でゴルニアは総決起した。なのに負けた。なんでだ?」
「それは……その……」
聡明な男が答に窮したのは、話が飛んだからというわけではなかった。エルニムスは古来のしきたりを守った王だった。諸族の自主性を尊重し、たゆまぬ交渉によって合意を引き出して、崩壊したルーヴェニア帝国の再建を着実に行っていた。それは半ばまで成功しながら、結局は脆くも崩れ去っていた。
「裏切られたからだ」
ずばりとウェルティスが断言したのを受けて、むう、とサンジェナトスが呻いた。言い返すべき言葉はない。
エルニムスは内輪もめの末に失脚し、暗殺された。それはもう少しで全ゴルニアの解放が達成されるという希望が見えた瞬間だった。ここに来て、エルニムスは権力者たちの利害関係を調整しきれなくなっていた。
解放戦争への貢献度だの、過去の伝統だのと、様々な理屈で勝利後の利権を持ち出されて、緩やかな統合を目指した王は、その全てを丸く収めることができなかった。当然だ。権力者たちはかつてエルトリア人に奪われた以上の物を要求していたからだ。割り当ての総量が十しかないのに、すべての要求を容れると二十にも三十にも膨れ上がる。エルニムスがいかに人格と政治手腕に優れた王であっても、そのように過大な要求を調整できるはずがない。
「同胞とエルトリア人を同時に相手にして、勝てる道理がない。親父の目指した古いルーヴェニア帝国の限界が、そこだったのさ」
「そうかもしれん。しかし、故意に不和の種を撒いても、実りなど得られないぞ、ウェルティス」
「サンギ族の長老どもは?」
またウェルティスの話が飛んだ。その悪癖に生真面目な従兄弟は眉をしかめながら、尖った肩をすくめた。
「協力するような事をあやふやに言うだけで、いざ確実な言質を取ろうとすると、言を左右にするばかりだ」
報告したサンジェナトスは、エシュシュの襲撃と並行して、この地に定住するサンギ族の主要な都市アウケナに赴いて、部族の長老会議に決起への参加を呼びかけていた。ウェルティスの凶行を止められなかったのも、その任を帯びて襲撃部隊を離れていたからだった。
「当面は様子を見て、それから決めたいと言った腹なんだろう。二年前のエルトリア軍の侵攻で最も犠牲を払っているから、慎重になっているのは分からないではないが」
サンジェナトスは弁護するように言い添えた。ウェルティスの機嫌が悪くなるかもしれない、と思うのは、様子見を許しているだけの時間が彼らにないからだった。
伝わって来た情報によれば、エルトリア帝国は新たにゴルニア属州の設置を定め、属州総督を送り込んで来るという話だった。ために、まだまだ地位が盤石とは言えないゴルニア王みずからがエシュシュを急遽攻略することになったのだ。
これで橋頭保を失ったエルトリア軍は、おいそれとボーレア山脈を越えて来れなくなる。それはウェルティスの慧眼であり、若い王の名声を高める事にもなるだろう。
「だろうな」
従兄弟の予想に反して別に怒りもせずにウェルティスはうなずいた。逆に男らしい美貌には余裕の表情が浮かんでいた。その事を年嵩の従兄弟は怪訝に思った。今回のサンギ族への決起工作を誰よりも注視していたのは、他ならぬウェルティス自身だったからだ。その不首尾を笑って済ませるつもりではないはずだが……。
怪訝に思いながら、サンジェナトスはウェルティスが余計な事を言い出す前に言葉を重ねた。
「しかし、サンギ族の決起がなければ、山越えしてくるエルトリア軍を水際で食い止めることができないからな。すぐに戻って交渉は続ける」
「それでいい」あくまで鷹揚にうなずきながら、ウェルティスは続けた。「そのために、俺も手土産を用意しておいたんだ」
「手土産……?」
賄賂でも――と言いかけて、サンジェナトスは閃いた考えに戦慄した。ウェルティスの話は、順番こそデタラメだったが、その実、一貫していた。緩やかな連合制ではだめで、王として処刑を断行し、処刑は見せしめのためだった。それはつまり……。
「次は千人、焼き殺す。それでだめなら、今度は集落全部だ。そう言えば、エルトリア人と俺たちを天秤にかけてる長老どもも、この俺に従うだろう」
無慈悲な宣告はむしろ静かだった。ウェルティスの碧眼が凄惨な光を帯びたように見えて、サンジェナトスはごくりと喉を鳴らした。