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異説ゴルニア戦記  作者: pepe
三章
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19/23

Ⅲ築城

 北の大地はいよいよ冬の厳しさを増していた。鈍色の空模様は日々変わることなく、以前にか細い陽光が差し込んだのがいったいいつであったかを思い出すのも困難なほどだった。降雪量こそ少なかったものの、吐息も凍りそうな寒さの中では積もった雪が溶ける気配はない。

 すでに年は明けて、帝国歴二〇五年、ユーグの月に変わっていた。

 帝都を始め、帝国の領邦の主要な都市では、一年の平穏を祈る大祭を主神ユーグに捧げていることだろう。だが、年をまたいで戦地に留まるゴルニア方面軍は、祭典どころではなかった。

 形ばかりの神官職を持つエストリカが主神への捧げ物を献上したのみで、儀式用の祭壇の設置すらできなかった。将兵が漏れなく総出で封鎖施設を建造している最中に、祭壇など作っている暇はない。むしろ形ばかりの祭事を執り行ったのは、エストリカが現場でまったく役に立たずに手が空いていたからに過ぎなかった。捧げたのもフレースが捕まえて来た獲物の野兎が一羽きりである

 エストリカは真っ先に完成した本陣の櫓に登って、霧に霞むユルゲニスを眺めた。それを取り巻いて、雪原に茶色の線が延々と続いているのが、エルトリア軍の構築している封鎖施設だった。

 工事に取り掛かってから二十日が過ぎ、その威容が衆目に明らかになりつつある。

 雪原を掘り返して壕を作り、余った土砂で土塁を築く。地上高およそ二ウナス(三メートル半ほど)の高さを持つ土塁は木材で補強され、上部には防壁として打ち込んだ丸太を連ねた胸壁が立てられていた。さらに一定の間隔を置いて櫓が立ち並び、それだけでも大変な仕事だったが、圧倒的に兵力の不足しているエルトリア軍にはなお防御力が不足だった。

 そのため標準的な前線築城に、トゥリアス以下幕僚団が知恵を絞って様々な仕掛けを施していた。

 壕の前方には幾つもの障害を配置していた。底に鋭い杭を埋め込んだすり鉢状の落とし穴から始まり、次に根を鋭く尖らせた切り株を逆さに植えた浅い壕、メサ川の支流を引き込んだ水掘がゴルニア軍の行く手を阻むことになる。

 ようやく土塁に臨む壕に辿り着いても、壕の底から土塁の頂上までは三ウナスの落差があり、切り立った土塁の側面には杭が逆向きに多数打ち込まれて容易に登ることができない。

 出来る限り工期を短縮すべく、幕僚は作業の簡便化を計っていたが、それでも重厚長大にすぎる要塞建設は一万人に満たないエルトリア軍に多大な負担を強いていた。

 突貫工事の過酷な労働と厳しい寒さに倒れる者が後を絶たず、一時は脱走兵対策が戦術会議で議論されるような状況だった。

 だが、首脳部の危惧は杞憂に過ぎなかったようだった。

 ここまで敵地奥深くまで踏み入ると、軍団兵は脱走したところで餓死か凍死を免れ得ない。まして周辺にはエルトリアに恨みを持つゴルニア人が幾らでもいる。生き残るためにはここで勝つしかなかったのだ。

「加えて先日の戦闘か」

 エストリカが思い起こしたのは、着工間もなく、ユルゲニスから出撃して来たゴルニア軍との戦闘だった。倍する戦力を叩きつけられたエルトリア軍は不利を免れ得なかったが、これを散々に打ち負かして、どうやら将兵は自信を得たらしかった。

「ゴルニア軍はすでに精鋭を使い果たしたらしい」

 そういう感触があった。実際、正面きっての戦闘において、ゴルニア軍は歯ごたえがないぐらいに弱かった。突撃の勢いこそ凄まじかったものの、いざそれを受け止められ、跳ね返されると、その場に踏みとどまれなかったのだ。

 潰走したゴルニア軍は、エルトリア騎兵に追い立てられるままにユルゲニスの市門に殺到して混乱状態に陥り、味方の収容よりも敵の追撃を恐れて門を閉じようとした守備隊との間で同士討ちの醜態まで演じていた。

 市門前の雪中には、今もその時の遺体が放置されたまま眠っている。

 あるいは、このまま力押しの攻城戦でも十分ではないかとの楽観的な推測も流れたが、さすがに高級将校たちは安易な油断には流れなかった。正面からの攻城戦は消耗戦と同義と言っていい。市民まで含めると十万を超えるユルゲニスを力押しで陥落させるには、エルトリア軍の戦力はあまりにも不足していた。

 結局、議論の必要もなく、当初の予定通りに封鎖施設によってユルゲニスの補給を断ち、ゴルニア軍を無力化して降伏させるのが現実的に取れる唯一の手段だった。

「わざと負けたとは言わぬまでも、当初から勝敗に頓着していなかったと思われます」

 さらに一段深い所に踏み入ったトゥリアスの洞察は、次のようなものだった。

 先の戦いでゴルニア軍は奇妙な動きを示していた。

 まず歩兵部隊の一部が完全に遊兵となっていた。明らかに周囲の部隊とは異なる、装備の充実した精鋭と見られる部隊である。これは最終局面で動かす予備兵力と見られたが、実際には戦闘に加わることなく、まだ趨勢の定まっていない時期に早々に撤収している。

 次にいまだ温存しているはずのゴルニア騎兵がまったく戦場に姿を現さなかった。当初は大きく迂回行動を取っているものと想定して側背への警戒を強めていたのだが、ついに姿を現すことはなかった。さらにこの動きを警戒して偵察を行っていた軽騎兵から、敵の騎兵がユルゲニスから三々五々に離脱していったとの報告がもたらされている。

 ウェルティスは精鋭部隊を温存し、かつこちらより優勢な騎兵戦力を離脱させた。つまり、ユルゲニスの解囲を試みる総力戦ではありえない。

「おそらくユルゲニスの戦力が脆弱であるという点は正しいと思われます。実際、正面からの戦闘で奴らは一蹴されております。このタイミングでの出戦は、騎兵を逃がすために、我らを戦場に釘づけにすることが狙いだったのでしょう」

「騎兵を逃がして、どうするの? ……もしかして、こちらの補給線を?」

 直前まで補給に苦しめられていただけに、エストリカの心配は順当なものだった。だが、トゥリアス将軍は違うと断言した。すでにエルトリア軍は陣営に相当量の物資を集積している。いまさら補給を寸断しても、食料の枯渇は人口の多いユルゲニスの方が早い。

 ならば、どうするか。

「騎兵はゴルニア王の檄を預かって、各地に散ったはずです。ウェルティスとやらは、我らを叩き潰すためにロンダリア族だけではなく、全ゴルニアの部族から兵を掻き集めるつもりでいるに違いありません」

 それこそが味方を捨て駒にして、数百の騎兵で起死回生を狙うウェルティスの真意に違いなかった。

 当初、ロンダリア族の三万と見積もられたユルゲニス救援軍は、今や十数万のゴルニア連合軍となる可能性があった。

 それが実現した場合、たった一万人に満たないエルトリア軍に勝ち目はない。たとえ堅固な要塞があったとしても、圧倒的な数の前には砂浜に作られた楼閣のように、たちまち波間に消失するのが関の山だった。

 ここ数日、伝染病のように心労で胃を痛める将校が続出していた。じわりじわりと忍び寄る緊張と、かなり高い確率で待ち構える絶望を思えば無理からぬことだ。が、

「ふふ……」

 完成に近付きつつある封鎖施設を眺め下ろしながら、エストリカは笑っていた。総督の傍らに立って、寒さに身を揉んでいたシノンがそれに気付いた。

「なにか面白いものでも見えましたか?」

「いいえ」

 そう答えながら、エストリカはまだ口角を緩めていた。見えるのは雪原とユルゲニスと封鎖施設、そしてそれらを取り巻く濃い針葉樹林ばかりだ。眼下に立ち働くエルトリア兵の姿は見えても、それが面白いというわけではない。

「ただ、今の状況がおかしいと思って」

「それはそうでしょう。前代未聞の規模だそうですから」

 呆れるように答えたシノンは、早く物見から降りて屋内に入りたがっていた。エストリカよりもさらに南方の生まれには、この寒さは厳しい。褐色の指先をしきりに擦り合わせて、少しでも暖めようと体を揺すっている。こればかりは忠誠心うんぬん以前の問題だった。

「それだけじゃないわ」

 空前の規模の前線築城が完成に向かいつつあるからと言って、エストリカは悦に入っているわけではない。いかに巨大であろうとも、それは施設に過ぎない。そんな些細なこと(・・・・・)ではなく、エストリカが気に入っているのは、状況そのものだった。

 エルトリア軍は破滅的な局面を予期しつつも、その全力を以て立ち向かう準備を進めている。対するゴルニア軍も本拠地を包囲された危機的な状況を前にして、嵐が立ち去るまで縮こまっているような怯懦を示すことはなかった。どころか、エルトリア軍首脳部が思い描いていた以上のスケールで状況を覆しにかかっている。

 そうでなくてはならない。このゴルニアの覇権をかけて戦うのだ。この局面で順当な消化試合になどされてたまるものか。最後まで最善を尽くし、可能性に賭け、そうまで戦い抜くゴルニアの抵抗を、このラヴィニア・エストリカが粉砕するのだ。

「その時こそ、真にゴルニアは我が帝国の前に膝を屈する。でなければ、ゴルニアは何度でも立ち上がるだろう」

 認めさせなくてはならない。エルトリア人には敵わないのだと、その事を教え込まなければならない。するとこれはあつらえ向きの舞台というべきだった。

 とは言え、それは生粋の軍人であるトゥリアスにも共感が得られない、エストリカの独りよがりな思い込みだった。普通に考えて、楽に勝てるに越したことはないのだ。生粋の軍人ならば、悲惨な戦場を知るだけにいっそう慎重になる。

 あるいは売れない青年作家なら、この気持ちを理解してくれるだろうか。そのように思うのは、常識の枠から飛び出して、征服戦争の完遂を強行したエストリカの孤独さが原因だった。確かに皆、付いて来た。現にこうして巨大な工事も完成に向かっている。だが、エストリカの感性に追従する者はいない。幼年期から連れ添って来たシノンですら、精確な理解には及んでいない。

 英雄とは概して孤独なものなのだと、それはエストリカも聞き知っていた。だが、彼女は英雄になりたかったわけではないし、孤高などまっぴらだった。

「だから、早く帰って来なさい。いや、もう少し遅くなった方がいいかな?」

 これだけの規模の封鎖施設が出来あがっているのを見れば、きっとアリウスは狂喜してペンを取るだろう。その様子を思い浮かべて、エストリカはまた笑みをこぼした。

 そんな様子でひとり楽しんでいるエストリカは、なかなか物見櫓から降りそうになかった。シノンは溜息をついて首を巡らせた。周囲には茫漠たる雪と森、それに無骨な城砦しかない。日々のエストリカの世話だけを考えているシノンにとって、それは面白いことなど何一つない情景だった。白黒のコントラストだけで事足りてしまう情景は陰鬱とも言える。

「あら?」

 不意にシノンが声を上げた。エストリカが何事かと振り返ると、シノンは封鎖線の外側に目を向けていた。

「どうかしたの?」

「いえ、あちらの丘の谷間から、変な煙が……」

 指し示された方角に目を凝らすと、うっすらと霧のかかった宙に、幾筋かの煙がたなびいているのが見て取れた。このような時節に炭焼き小屋の煙というわけでもあるまい。まして、よくよく見ればそれらの煙は薄く色づいているように見受けられた。霧で薄まっていてよく分からないが、どうも黄色らしい。

「連絡用の狼煙、かしら?」

「もしかしてアリウス様でしょうか?」

「そんな合図なんて聞いてないわ。それに方角が違う。アリウスが向かったのは東で、あっちは西よ。きっとゴルニアの救援軍だわ」

 言うが早いか、エストリカは大急ぎで櫓の梯子を降りはじめていた。



「来たか」

 時を同じくして、エストリカと同様に自ら櫓に登って周囲を睥睨していたゴルニア王も呟きを漏らしていた。

 だが、その呟きを受ける者は周囲に居ない。ウェルティス自身が、人を遠ざけていたからだ。元来、頭の回転が早すぎて他人がバカに見えて仕方ないという男は、他人を近く寄せ付けない質だった。それでもユルゲニスが包囲されて二十日が過ぎ、人を遠ざける傾向は日増しに強くなっていた。

 というより、頬にやつれが感じられるようになった王は、触れれば切れそうなほど張り詰めて見えて、とても危うくて近寄れない。なにしろ、エシュシュで住民を生贄に捧げた凶状持ちだ。まして食糧問題が切迫した今、口減らしのために今度は自分たちが生贄に捧げられるのではないかと思うと、気安く近付くことさえためらわれた。

 こんな時に臣下が頼るのは、ウェルティスの手綱を握っていると目されている秀才のサンジェナトスなのだが、今は不在だった。騎兵とともにユルゲニスを脱出させ、救援軍の統率を任せられる人物が他にいなかったからだ。

 口うるさい従兄弟の不在をいいことに、ウェルティスはひとつも口を開こうとせず、不安を払拭するための作戦会議を開こうとするような配慮も皆無だった。やった事と言えば、部族の神官団に八百長の吉凶占いをさせて気休めを提供した程度だった。

 が、それらはウェルティスの気質に発する個人的な都合ではなかった。

 合図の狼煙を認めて振り返った市内は、疲労困憊で工事に臨むエルトリア兵の工事現場よりなお活気がなかった。当然だ。疲れてはいても、エルトリア兵はきちんと食事を摂っている。翻ってユルゲニスに逼塞するゴルニア人たちはほとんど満足に食べることができていなかった。

 難民と化した周辺部族まで押し寄せたユルゲニスの人口は、二十万近くにもなっていた。これだけの人口を十分に養うためには、一日当たりの穀物だけで百二十ラキアード(約百五十トン)もの量が必要になる。事前にどれだけ準備していようとも、ユルゲニスの備蓄能力には自ずと限りがあった。

 加えて厳冬期である。出入りを封じられたユルゲニスでは、暖を摂るための燃料の確保も難しく、家財道具を文字通りに切り崩して焚火に供しているぐらいだった。

 だからウェルティスは人を遠ざけていた。論じても仕方のない食糧や燃料の不足に関する陳情を受け付けていてはきりがない。まして少なくなった食料を巡って、元からの住民と流入した難民の間で摩擦が起こっている。これらの問題を迂闊に加熱すれば、気の短いゴルニア人は暴動や反乱を引き起こしかねなかった。

 すべてを公平に黙殺しながら、ウェルティスが講じたのは、ぎりぎりまで食料の配給を切り詰めて捻り出した三十日の猶予と、全土に対するユルゲニス救援の檄だった。それを託せる人物は、信頼できるサンジェナトスをおいて他にいない。

「さて、今日は食料庫を解放して、腹いっぱい食わせてやるか」

 救援の朗報とともに、落ち込んだ士気を払拭することができるだろう。それから作戦会議を開いて、やるべき事を指示しなくてはならない。部隊の編成も指図が必要だろう。

 エストリカとは対照的に、一人でゴルニア軍を取り仕切ってきたウェルティスにはやる事が多かった。英雄を孤独なものだとするなら、やはりウェルティスはゴルニアの英雄だった。その双肩にゴルニア解放という大義を背負って、従兄弟のサンジェナトスにさえ重すぎる荷物を分けることができない。その痩せた頬は、さながら受難を受け止める聖者に似て、ひどく神聖なものにも見えた。

 だれもウェルティスの横に並んで立つことなどできなかった。ただ唯一、エストリカだけが、敵として、向かい合う存在としてウェルティスの孤独を癒す。奇妙なことだが、ウェルティスは以前にも増して少女に親愛の念を抱くようになっていた。

 あいつも一人で耐えているのだろうか、ウェルティスは櫓を降りる前にエルトリア軍の築いた城砦を眺めた。

「にしても、とんでもねえバカだ」

 それがウェルティスの実直な感想だった。さしもの彼も、工事に取り掛かったエルトリア軍が、こんな大それた物を作ろうとしているとは思い及ばなかったのだ。あそこに冬営地を築いて越冬するつもりではないかと、阿呆な意見は捨て置くにしても、接城土手や攻城塔を作っている様子でもないことは確かだった。

 数日を経て、ようよう縄張りが見え始めるに従って、ウェルティスはさすがに唖然とした。一万に満たないエルトリア軍が、二十万人を抱えるこのユルゲニスを封鎖する施設を作ろうとしていたのだ。

「ただのバカを通りこして、狂気さえ感じる」

 これがエストリカなのか。いや、この場合はエルトリアそのものと言うべきか。なるほど無敵でいられるはずだ。世界帝国を築けるはずだ。だれしもが容易に抜け出せない常識を軽々と圧殺するエルトリア帝国に、生半な連中が相手になるはずがない。

 実際、ウェルティスもその狂気にこそ苦しめられていた。

 エルトリア軍が素直に攻城戦に臨むなら、これを防いでロンダリア族の反転を待てばいい。食料さえ運び込めるなら、一万弱のエルトリア軍は半年かかってもユルゲニスを落とすことはできなかっただろう。

 だが、あの馬鹿げた封鎖施設が、ウェルティスの優勢を破算させていた。

 食料の補給を断たれたばかりではない。念入りに築かれた防御施設を突破するには、反転して来るロンダリア族の軍勢だけでは足りなくなったのだ。と言って、郊外に広がる平地での決戦には勝機を見出すことができない。

 ユルゲニスに籠城している軍勢は数こそ多いが、避難して来た諸部族から掻き集めた烏合の衆で、とてもではないが組織的な戦闘は不可能だった。主目的は違うとはいえ、その事は先の戦闘で実際に証明済みだった。ここに来て、エシュシュの緒戦での精鋭の損失が重たくのしかかっている。

「それでも」

 と、ウェルティスは呟いた。それでも、勝つのはこの俺だ。あらゆる最善は尽くした。あとはこの気持ちひとつで飛び出すしかない。そう決めた途端、足元からぞわぞわと這い上がるような興奮を覚えた。そうだ、ここから先がようやく俺とエストリカの真の勝負なのだ。その気持ちによって、いま一つに繋がっているのだという勝手な思い込みが、未だかつて感じたことのない興奮となってウェルティスに打ちつけていた。

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