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異説ゴルニア戦記  作者: pepe
三章
17/23

Ⅰ曇り空

 低く垂れこめる薄墨色の空が、本格的な冬の到来を告げていた。早くも降り積もった雪が厚みを増して、冷え切った空気は張り詰めている。そうした自然の運行に逆らうように、地上では熱気が満ちている。

 あちこちでガンガンとやかましく金槌を振るう音に混じり、木材を加工する斧の音が合わさって、引っ切り無しに鼓膜を揺すってくる。それを包むように、がやがやと騒々しい声が聞こえて、ユルゲニスは祭り騒ぎかと錯覚するような有り様だった。

 ゴルニア王の側近中の側近と目されるサンジェナトスは、大工仕事に精を出す男たちを見送りながら、怪訝な表情を浮かべていた。

 男たちが励んでいるのは、ユルゲニスの防備を拡張する工事だった。それ自体は決しておかしなことではない。古い防御施設しか備えていない城市を使って籠城するには、補修個所や回収箇所が幾つもあった。が、もはやユルゲニスに籠城しなくても良いのではないかと思える状況で、こうして大々的な工事を行わせていると言うのが、サンジェナトスには不可解だった。

「いや、万一に備えるのも必要な事か」

 秀才の取り越し苦労を思わせる納得の仕方で理解するにしても、解せないのは男たちの表情が活き活きとして、つい先日までのエルトリア軍に怯えた様子が一向に見られない事だった。それをエルトリアの脅威が遠ざかった証拠だと考えるのは、裏表の事情を知り尽くした参謀役の勘違いだった。

 まあ、士気が高いのは良い事だ。無難に片づけようとしたサンジェナトスの耳に、丸太を担いで運ぶ男たちの声が漏れ聞こえて来た。

「王様がご自分で指揮なすってるんじゃ、手は抜けねえやなあ」

 それを聞いて、三十男は苦り切った表情を浮かべた。またか、と思ったのだ。

 ウェルティスは天才の気質ゆえか、どうにもむらっ気がある。調子に乗って、どうでもいいような事に熱を入れることも少なくない。それが幼少期から共に過ごして来た従兄弟から目が離せない理由だった。城砦の工事など、他に任せておけばいいものを、どうやら自ら陣頭指揮に当たっているらしかった。

「やはり、俺が目を離すとだめだ」

 手近な連中から王の居場所を聞き出しながら、サンジェナトスは足早に市街を抜け、ぐるりと囲む市壁の上に登った。ゴルニアの城壁は概して低い。エルトリアの単位でおよそ二ウナス(約三メートル半)ていどが平均であり、それはこのユルゲニスでも変わらなかった。その防衛を強化するために、城壁の方々では組みかけの櫓が林立し、眼下では壕が掘られていた。

 その組みかけの櫓の足元に、図抜けた巨漢が羊皮紙を手にあれこれと指示を出しているのが見えた。

「ウェルティス!」

 大声で叫んで駆け付けた従兄弟に、若い王は振り向くと、驚いたような顔をした。その右目の下から頬にかけて、先の戦闘でフレースに引っかかれた爪の痕が細長く残っていた。

「サンジか。早かったな。首尾はどうだった?」

 その気楽な声に、サンジェナトスは微かに苛立ちを覚えた。それと言うのも、王の腹心は、突如として侵攻して来たエルトリア第二軍団に対応するため、トゥーレ族周辺の部族に応戦を働きかけていたからだ。見ればサンジェナトスの衣服には泥が跳ねて、萌黄色の生地をまだらに汚していた。急ぎに急いで、ようやく帰って来たと言うのに、この男と来たら……。

「協力は取り付けられた。しかし、あまり当てにはできん。エルトリア軍と俺たちと、より早く辿り着いた方に恭順するつもりだろう」

 だから、おまえはこんな所で油を売っている暇などないのだぞ。言外に皮肉を込めたつもりが、ウェルティスにはまったく通じなかった。

「櫓の数が足りないな。ここと向こうの間にも、一基、こしらえてくれ」

 腹心の報告も聞き流す風で、図面と風景を見比べながら、手近な男に指示を出している。

「ウェルティス!」

「怒鳴らなくても聞いてるよ。俺だって遊んでるわけじゃないんだ。ちゃんと手は打ったさ」

「ほう。どんな手だ?」

 腕を組んだサンジェナトスは、王の側近というより、問題児の言い訳を聞く教師のようだった。

「トゥーレ族の救援には、ロンダリア族を中心に差し向けておいた。ぎりぎりで間に合うだろう」

 スタニウムで全滅させられたと言っても、それでロンダリア族そのものが殲滅されたわけではない。ウェルティスが差し向けたのは、方々の集落から掻き集めた軍勢だった。加えて、そこに虎の子のヴァラン騎兵も預けている。約三万にもなる大軍であり、近隣部族の兵も合流すれば、第二軍団を撃退することは十分にできるだろう。

「ふむ。それはいいにしても、おまえは何をしているんだ? こんな所で工事の指揮を執っている場合じゃないだろう。第十二軍団の追撃はどうした?」

「負けた」

「……それは聞いている。だが、それにしたって、連中にエシュシュまで戻られたら、せっかくの好機が……」

 あっけらかんと答えたウェルティスの態度に歯噛みしながら、サンジェナトスは食い下がった。補給が途絶え、疲労困憊しているはずの敵を撃滅するチャンスなのだ。なにより重要なのは、火事場泥棒の第二軍団などではなく、属州支配をもくろむ第十二軍団の撃破だった。

 実際、第二軍団の対処をウェルティスは他人任せにしていた。本音を言えば、第二軍団など後回しにして構わないと思っている。それでも大部族としての権威がどうのとロンダリア族の有力者がうるさいので、面倒を避けるために対処を任せた――というか、放り出していた。

 ウェルティスは口うるさい従兄弟に対して、子供っぽいしぐさで大きく肩をすくめた。

「好機だって? 冗談じゃない。野戦では連中に勝てない」

 サンジェナトスは眉間を曇らせた。ただ一度の攻撃に失敗した程度でウェルティスは自信を喪失してしまったのか?

 いや、自信云々の話ではなく、それは現実的な答だった。今も工事に忙しくする男たちとは別に、あり合わせの武器を支給されたユルゲニスの市民が広場で軍事教練を受けていた。避難して来た難民も、その中に混じっているはずだった。

 エシュシュ、スタニウムと激戦を経て、いまやゴルニア王の自由に動かせる戦力は激減していた。本来なら第十二軍団の追撃に動員する予定だったロンダリア族を、第二軍団の迎撃に向かわせたことで、手持ちの戦力はほとんどが素人同然の平民ばかりだった。

 無論、方々の集落から戦士団は届けられていたが、一緒に部族の指揮官も付いて来て、即座に厳密な統制が出来る状況ではなく、確かにウェルティスの言う通り、野戦に及ぶのは無謀というものだった。

 だが、だからと言って城砦工事をしている暇などあるのか? そこがサンジェナトスには分からない。

「第十二軍団は引き返したはずだぞ」

「いや、来るさ」

 ウェルティスはようやく図面から顔を上げて、男らしい秀麗な面を郊外へと向けた。その横顔は笑っていた。サンジェナトスは怪訝な表情を浮かべた。

「反転して来たのか?」

「いいや。報告はまだだ。が、来るさ」

 眉間に大きく皺を寄せた従兄弟を放り出して、ウェルティスは地平を見渡した。雪原の向こうには、深い森が黒々と広がっている。何が見えるというものでもない。だが、男が見ているのは風景ではなかった。

 ウェルティスは、燃え立つような青い瞳と輝く金髪に彩られ、炎のように燃え盛る誇り高き少女を幻視している。あいつは来る。それを確信として感じながら、男は疑うことがなかった。

 エストリカという少女を、ウェルティスは何一つとして知らない。総督だとか、皇女だとか、肩書に関する情報は得ていたが、それらは生きたエストリカを前に何の意味も持たない。対峙し、言葉をかわし、ウェルティスにはそれが良く分かった。飾り立てられて、そこに収まるような女なら、相手になどしなかった。

 ウェルティスはこの時も、エストリカから奪った剣を腰に提げていた。総司令官ともあろう者が、乱戦で剣を奪われるような場所にいるはずがない。最初は目を疑った。だが、それが本物だと確信するとともに、ウェルティスは大きく心を揺り動かされていた。剣の柄を宝物のようにそっと撫でて、心に呟く。

「あれは、俺だ」

 直感だった。霊感と言ってもいい。なんの力も持たないと言うのに、気丈にも睨みつけて来た青い瞳に、ウェルティスは過去の自身を見ていた。

 父エルニムスが道半ばに倒れた時、ウェルティスはまだ十代半ばの少年に過ぎなかった。王の跡継ぎとして大切に育てられた、苦労を知らない貴公子は、しかし、父の死とともに無情の世界に放り出された。あの時、抹殺されなかったのは、運が良かったからだ。だが、ウェルティスは飼い殺しの運命から立ち上がった。

 なぜなら、世の不条理が許せなかったからだ。あれほど尊敬を集めた父の亡骸を踏みにじって、権力の座に安住する男たちの醜さが許せなかった。俺が、俺こそが世界を変えるのだ。燃え盛る信念とともに若者が踏み出した時、確かにゴルニアは変わっていた。

 だから、あの女も――それは理屈にならない暴論だったが、ウェルティスは一方的な共感から発している直感を信じた。

 あいつは来る。だから、俺は迎え撃つ準備をしなくてはならない。

 だれに理解されずとも良い。それが自ら普請に当たる王の心境だった。

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