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異説ゴルニア戦記  作者: pepe
二章
13/23

Ⅳ背信

 ボーレア山脈から下り北海へと注ぐメサ川は、晩秋から春にかけて水量が減少する。険しい山脈が水を雪と氷に変じて蓄えてしまうからだ。それでもなお、川岸にはごうごうと唸るような流水の音が響いていた。

 エルトリアの暦では一年で最後の月となるミタスの月に入って、五日が過ぎていた。氷雨の代わりに本格的な降雪が始まり、一帯は針葉樹林を黒々と見せる雪化粧に覆われている。

 ゴルニア第一の大河は、存在そのものが神格化されているが、その格式は伊達ではない。減水した中流域にも関わらず、その激しさによって容易に渡河を許さない。どころか、川の中ほどは急激に深みを増して、この寒さで胸まで浸かれば、たちまち心臓麻痺を起しかねなかった。

 強引な渡河は不可能だったが、激しい水音に混じって、木に打ち込まれる斧の音が木霊している。エストリカ率いるゴルニア属州軍は、すでに渡河のための架橋準備に取り掛かっていた。筏を繋いだ架設橋である。

 スタニウムを落とした余勢を駆って、このまま最終目標であるユルゲニスの攻略に取り掛かる。それが首脳部の一致した見解だった。そのために降りしきる雪にも構わず、ここまで行軍を続けて来たのだ。

 厳しい行軍ではあったものの、陣中にはわずかながら楽観的なムードさえあった。ここに至るまでゴルニア軍の妨害が見られなかったからだ。

 新たなゴルニア王とやらも、電光石火の勢いで進撃するエルトリア軍を前に手も足も出ない。あるいは、今頃は降伏の算段でもしているのではないか。一切の対応策が見られない現状にあって、そのように解釈するのはごく自然な流れだった。

 今や絶対の勝利を確信できるほど、エルトリア軍は勢いに乗っていた。こういう時は何をやっても上手く行くという認識のもとに結束することで、結果は自然と良い方向に向かうものだ。

 が、その陣営にあって、ひとり景気の悪そうな顔をしているのは、やはりと言うべきか、文学青年アリウスだった。

 架橋を待ちながら、本営の焚火に当たる副官は、当然のように行軍で疲れ果てた顔をしていたが、それ以上に不機嫌そうな表情が目に付いた。隣のエストリカは副官の不満顔を時おりねめつけては苛々とした態度を見せていたが、叱りつけることはなかった。

 本営に留まりながら、伝令の往来を受けて作業の監督に当たっていたトゥリアスら第十二軍団幹部たちは、作業の進捗と周辺の地形を意味もなく確認しながら、エストリカたちを見ようともしなかった。

 総督と副官の間の不和は、昨日今日のことではなかった。すでに十日ほど前になる、スタニウム陥落以来の事で、いかなる仲裁も受け入れない二人に呆れた幕僚たちは、もはや無視を決め込んでいた。

 そもそもの発端は、スタニウムの虐殺だった。

 戦士はともかくとして、四万の住民をほとんど全滅させたのは、どう考えてもやり過ぎである。たとえそれが「従う者には寛容を、逆らう者には破滅を与えよ」と言うエルトリアの不文律に適うものであったとしても、だ。

 無論、エストリカにはそのような虐殺を兵団に命じた覚えはない。示威効果と言うのなら、すでにロンダリア族の本拠地を落とした事で十分である。彼女にすれば、まったく意味のない事だった。総督が許したのは、慣例に従った戦利品の獲得――すなわち略奪ぐらいで、それは勝者の当然の権利である。休息を取った後に城市は破壊して使用不能に追い込む予定ではあったが、住民もろともに破滅させるつもりなどなかった。

 兵士にしても最初は住民を脅して、隠している金品を略奪するぐらいだったはずだ。気まぐれに住民を暴行する者も居ただろうが、あくまでも目的は略奪だった。

 軍団兵の給料は決して高くはないし、食事代や装備の補修・新調など様々な理由で天引きされる。一財産を築こうと思えば、こうした機会に財貨を掻き集めるのが一番だった。それを目当てに入営した者も少なくない。

 もし軍団での栄達を望むのなら、略奪品の中から気の利いたプレゼントを上官に見繕うような事をしてもいい。ともかく、憂さ晴らしに原住民を虐殺するより、金品を奪う方がずっと建設的な行動だった。

 だが、それがどういう経過を辿ったのか、急速にエスカレートした。

 命令もなく隊伍を組んだ軍団兵が、辻から辻をくまなく歩き回り、住居に押し入り、目に付いた住民を片っ端から殺して回った。その死体から金目の物を探る姿は、死肉に群がるハイエナのようだった。

 その情景は凄まじいもので、地面のあちこちに真っ赤な泥濘が広がり、その中に捨てられた人体の一部が沈んでいた。最も多く散らばっていたのは斬り落とされた指で、次は耳だった。切り落としてから金細工の指輪やイヤリングを剥ぎ取り、その辺に投げ捨てられた残骸だった。わざわざトルクを奪うために首を切り落とされた死体さえあった。

 報告を受けたエストリカは、すぐさまトゥリアスに命じて事態の収拾にかかったが、状況はすでに冷静な命令を受け付けなかった。返り血で全身を真っ赤に染め上げた兵士たちは、目を血走らせて、異常な興奮状態に陥っていたからだ。

 後になって事情を聴取したところによると、降伏の条件として破棄されたはずの武器を、一部の住民が隠し持っていた事が発端らしかった。攻城戦で奇襲を受けた記憶が蘇って危機感を強め、抵抗分子の徹底的な排除を実施したとの言い分である。

 実際に隠匿されていた武器が幾らか発見されたが、それは日用品のナイフさえ含めても十数本の剣や手斧のみで、証拠品の捏造ではないとは言い切れなかった。さらに住民の抵抗を受けて負傷したという申告が数件あったものの、いずれの傷口もエルトリア式の刀剣によるものと思われ、どうも戦利品を巡っての刃傷沙汰ではないかと言うのが、古参士官の見解であった。

 刑罰を逃れるために、私闘を隠蔽する目的で住民の抵抗を喧伝したのが発端らしいとは推測できたものの、確たる証拠は残っていなかったし、すでに住民を全滅させた後では、原因究明も空しいものだった。

 軍団の規律を問われる不祥事であるし、友邦のゴルニア部族に対しての政治的な影響も懸念される。しかしトゥリアスは決戦を控えた時期に処罰を行って戦力と士気の低下を招くべきではないとし、エストリカは将軍の意見を容れて虐殺を黙殺した。

 それが頭でっかちの文学青年には受け入れがたかった。信賞必罰が規律の根幹である。命令を無視した軍団兵は規律違反だが、それにもまして悪しきを罰しない首脳部とて規律に違反した事になる。そもそも、住民を無用な殺戮から守るための布告を行わなかった、総司令官の責任でもある。

「少なくとも、扇動した者を特定して処断すべきです」

 断固とした口調で具申したアリウスに対し、エストリカとトゥリアスは迷惑げな表情を隠さなかった。すでに総督と将軍は、協議を重ねて枢密院への言い訳のためのシナリオを用意していたからだ。

「スタニウムの降伏を容れた我が軍に対し、ロンダリア族は卑怯にも武器を隠し、夜を待って駐留した我が軍を殲滅する計画を練っていた。事前に計画を察知した我が軍は、やむをえず抵抗分子の掃討を行ったが、住民のことごとくが抵抗を見せたため、やむなくこれを排除した」

 同盟関係にあるゴルニア部族の感情問題は頭が痛いが、報告を提出すべき枢密院議員たちは辺境の蛮族が幾ら死んだ所で気にも留めないだろう。

 協議の結果を覆そうと、議論を混ぜっ返す青年将校は、はっきり言って邪魔でしかなかった。ばかりか、一部の高級将校がアリウスの意見に同調する姿勢を見せ始めたのだから、総督たるエストリカには面白くなかった。意見を求めているならともかく、すでに決めた事に文句を付けられるのは、全権を預かる総督としての沽券にかかわる。

 まして、エストリカとしては、攻城戦において初めて自らの力を示し、軍団兵の信用を勝ち取ろうとしている所だった。敵のために味方を厳しく処罰して、芽生えかけた忠誠心にひびが入る事態は何としても避けたかった。

 とは言え、アリウスの意見も分からないではなかった。常ならばエストリカ自身がそのように判断しただろう。しかし、しかし今だけは、正論で押し通すべきではない。

「正しい意見だとは思うけど、今はそれに固執するべきじゃないし、過ぎた事に拘っても仕方ないわ。それよりも、これからの展望を――」

「これからとおっしゃるなら、軍団兵の統制もできない総督に、どうして属州が支配できるでしょうか?」

 さすがにカチンと来た。こちらはきちんと理解を示して正しさを認めてやっていると言うのに、大の大人がこちらの事情も斟酌せず、現実味を欠いた理屈を押し通そうとしているのだ。端的に言えば、「なぜ分かってくれないのか」と言うことだった。

 頬を上気させ、唇を震わせた総督の様子を見て取って、やむなくトゥリアスが前に出た。副官は若く、総督は幼すぎる。ここは年長者として間に割って入るべきだった。

「貴公のおっしゃり様はもっともだが、前線で命を張っている将兵の事情も斟酌して頂きたいものだな?」

「それとこれとは――」

「同じ事ではないのかな。激しい抵抗を受けたのだ。死の恐怖を感じながら、ようやく落とした城市に不穏分子が潜伏していると聞けば、それを本気にして見境がなくなるというのも、分からぬではない。なにしろ、ここは占領したとは言え敵地なのだからな」

 中年男の説得は巧妙だった。あえてアリウスを共感の外に置くことで、スタニウム攻略において、何一つ貢献しなかった副官の反論を封じていた。この場合、職分が違うというのは空しい理屈に過ぎなかった。実際にアリウス以外の幹部将校は、総督を含めて前線に赴いている。

「分かりました」

 不満をあらわにしながらも、その時はまだ、少なくともアリウスはそれほど尾を引くような感情は持ち合わせていなかった。結局は自分に責任のない他人事に過ぎないと思う気持ちもないわけではなかったのだ。その感情がこじれたのは、会議が引けた後に、シノンがそっと言葉を滑り込ませたためだった。

「姫様を批判されれば、発禁処置を請願いたしますので、そのおつもりで」

 その言葉が、アリウスの最も繊細な部分に突き刺さった。悪意ではないとは分かるが、それは紛れもなく権力者を擁護するための言論の統制に他ならなかった。ナイーブな文学青年にとって、それは許されざる冒涜だったが、元より感情がささくれていただけに、なおさら歯止めがきかなかった。

「そんな事をしてみろ」シノンの襟首を掴んで、アリウスは低い声で怒鳴りつけた。「僕は君を許さないからな!」

「何をしている!?」

 エストリカが怒鳴りつけながら、二人の間に割り込んだ。姉妹のように育てられたシノンに手をかけるなど、たとえ誰であっても許せる行為ではなかった。

 先ほどとは比較にならない形相で睨みつけるエストリカを見て、アリウスは狼狽した。

「これは、その……」

 どうかしていた。エストリカの怒気に当てられて冷静さを取り戻すと、文学青年はひどい後悔を覚えた。暴力に訴えるなど、文士のやることではない。動揺して容易に言葉を紡ぐこともできないアリウスを青い瞳でぎろりと睨み、エストリカは小さく鼻を鳴らした。

「シノン、行くわよ」

 それきりだった。十日間、総督と副官との間に一切、会話はない。

 いよいよ大詰めという時に、困ったものだ。幕僚たちはそう思いながら、だからと言って、わざわざ二人の仲裁のために尽力しようとする気分ではなかった。彼らは総督たちほど暇ではなかったからだ。

「まあ、なんにせよ、実際にユルゲニスを臨めば喧嘩どころではなくなるだろう。もう十分に頭も冷えたろうし、後はきっかけだけだ」

 嘆息しながら言ったトゥリアス将軍の言葉に、幕僚たちは全面的に賛同した。と言うより、そう願った。どのみち、トップとナンバー2の不和の間に飛び込みたくなかった、というのも、彼らの本音だったからだ。

 と、その時、連絡士官が本営に駆け寄ってきた。

 はて、作業の定時報告にはまだ早いが、なにか事故でもあったのだろうか。連絡士官の姿を認めて、トゥリアスはそんな事を思ったが、すぐに眉を潜めた。その士官のゴルニア風の装備は、工事に励んでいる第十二軍団ではなく、補助軍団の物だったからだ。それも、しっかりと胴鎧で固めている所を見ると、四方の警戒のために偵察に出していた騎兵隊である。

「ゴルニア軍か?」

 先を制して、真っ先に思い浮かんだ予測を口にしたが、連絡士官は「違います」と、聞き取りにくいエルトリア語で答えた。それから、すぐに自身の返答を否定する。

「いえ、そうなのですが」

「何なのだ?」

 連絡士官ぐらい、エルトリア語に堪能な者を選べなかったのか。トゥリアスは苛立ちながら、ゴルニア語に堪能な部下に聞き取りを命じた。

 すぐに慌てた様子で連絡士官はだらだらと喋りだし、将校の方は眉を潜めたままそれをじっと聞いている。その様子からは事態が一向に飲み込めなかった。

「なんと言っている?」

 終わらない報告に痺れを切らしたトゥリアスが将校に尋ねると、相手は軽く首を横に振った。訳が分からない、という顔だった。

「メサ川の下流にゴルニア軍の騎兵隊を発見したそうです。連中は浅瀬を選んでこちら側に渡河したとのことで」

「……それだけか?」

 なるほど、土地勘のあるゴルニア軍なら、渡れるような浅瀬を把握しているだろう。その位置を掴んだというなら、それは価値ある情報ではあった。とは言え、じきに架設橋が完成するとあっては、少し遅かったが。

 一人で納得しかけた将軍に、将校は言葉を継いだ。

「いえ、よく分からないのですが、どうも軍旗から判断しますとゴルニア王が直率しているようで、偵察隊は連中の動向を探るために追跡したらしいのです。しばらくして敵が輜重隊と合流したので、慌てて報告しに来たとか、何とか……」

「少し落ち着かせて、ちゃんと聞き取りをしろ。何が一大事なのか、これではまったく分からん」

 ゴルニア王を討つ好機と言えばそう取れなくもないが、騎兵戦力の少ない現状では追撃戦に現実味がない。と、そこへ、周辺警戒をさせていた補助軍団の士官が駆け寄って来た。

「報告します」

 こちらはしっかりとしたエルトリア語を話したので、トゥリアスは自ら報告を受けた。

「サンギ族の長老たちが、総督閣下にお目通りを願いたいと――」

「来たのか? アウケナから?」

「はっ。なんでも火急の用件だとかでして」

「すぐにこちらへ案内しろ」

 トゥリアスはすぐに命じると、エストリカに報告した。部族の支配権を持ってふんぞり返っている長老たちが、わざわざここまで来たというのだから、それは何か重大な要件のはずだった。

 将軍から伝え聞いたエストリカは、正直すぎるほどの反応で迷惑そうな顔をしたが、面倒事を部下に押し付けたりはしなかった。

「遥々とよくいらした」

 すぐさま四人の長老と面談した際には、取り繕った笑みを浮かべて、エストリカは内心を押し隠していた。

「客人に対してもてなしもできぬが、陣中のことゆえ容赦されよ。それで、火急の用件であるとか?」

 長老たちはうなずきはしたものの、易々と事情を説明できなかった。互いに目配せをして、だれが説明するべきかを押し付け合っているように見えた。

 そちらが緊急の用件だと言ったのではないのか。エストリカは仮面の笑顔の裏で、苛立たしげに吐き捨てる気分だった。側に控えたシノンばかりか、アリウスまでもが遠慮がちに心配そうな表情を浮かべているのが余計に癪に障る。わたしはそんなに我慢弱くはない。……我慢強くもないが。

「総督閣下には、是非にも平静にお聞きいただきたいのですが……」

 幸い、エストリカの仮面がひび割れて崩れ落ちるよりも早く、長老の一人が口を開いて、流暢なエルトリア語で話し始めた。最も若い中年の男だ。押し付け合いの中で、いちばん立場の弱い長老に役目が回ったと露骨に見て取れる。それは悪い報告に違いなかった。

 エストリカは静かにうなずいた。いい加減、総督の性格が分かって来た幕僚たちには、「いいからさっさと話せ」という心の声がだだ漏れだったが。

「実はルーヴェニア族から、ゴルニア王を名乗る首長の名で、決起を呼びかける書状が届きまして……無論、我らは一笑に付してそれきりだったのですが……」

 注釈するように、くどくどと言い訳を織り交ぜて語られた要件というのは、要するに、部族の若い連中が「迂闊にも」決起に加担しようと親エルトリア派の長老会議を排斥にかかっているというものだった。

「事情は分かったが、わたしに説明するより先に、貴殿らの力で叛徒を抑えるための努力はなされたのであろうな?」

「む、無論、我ら長老会議はエルトリアとの友誼を硬く誓った身なれば、これに異を唱えていたずらに民心を騒がせる者を放置などできませぬ。……しかし、その、申し上げにくいのではありますが、反乱を先導しておるのは、首長のエウピニゲスでありまして……」

「エウピニゲスだと!?」

 その一言でエストリカの仮面が剥がれおちた。それはゴルニア総督が、エシュシュ失陥の責を盾に失脚させた前首長の後を継がせた男だった。サンギ族の安定化を計る目的で、以前から前首長との反目があり、なおかつ長老会議の子飼いであった男を選んだのだ。

「わざわざ……首長に就かせてやったのに……」

「はい、はい、そうなのです。あの忘恩の輩めは、我らを欺き、あろうことか閣下に対して反逆を行っておるのです。その罰当たりな男にみな乗せられてしまい、今や部族の実権はエウピニゲスが握っておる始末でして、我らも命からがらにアウケナから脱出してきた次第で……」

 言われてみれば、奢侈を好む長老たちの白衣は泥と垢に汚れて、ずいぶんとみすぼらしくなっている。取る物も取りあえず逃げ出して来たと言った風情である。つまり、その反乱を鎮圧してくれと、そういうことか。

 そこまで考えて、エストリカは苦り切った。今は最終決戦に向けて一歩を踏み出したところである。とてもではないがサンギ族の領地に引き返している場合ではなかった。ここで時間を無駄にすれば、来春まで時期を待たなくてはならない。それならばスタニウムを破壊せずに留まって、越冬の準備でもしていた方がいくらかましだった。

 何と答えるべきか決めあぐねたエストリカを遮って、トゥリアスが身を乗り出した。

「それで補給はどうなっておるのだ?」

 その一言に、場に居合わせただれもがハッと胸を衝かれた様な面持ちになった。現在のエルトリア軍の補給物資は、ほとんどがサンギ族から供出された護衛によって輸送されていたからだ。

「そ、それが……まさにそれこそが火急の要件でありまして」長老がためらいがちに口にした。「エウピニゲスが熱心に説くため、物資の護衛は奴の手勢で構成しておりましたもので……」

「なぜ、それを早く言わぬ!」

 怒鳴りつけたトゥリアスの頭の中で、先ほどの意味の知れぬ報告がつながっていた。つまり、ウェルティスの率いたゴルニア騎馬隊が合流したのは、彼らの輜重隊などではなく、本来ならばエルトリア軍に物資を届けに来た補給部隊だったのだ。

「すぐにでも取り返しに――」

 エストリカが口を開いたが、即座に将軍は否定した。

「すぐに撤退すべきです。エウピニゲスを討ち、サンギ族の安定を取り戻さねば、補給も望めず、この先の戦争遂行は不可能です。陣中には十数日分の糧秣しかない。引き返すにもぎりぎりの量です」

 エストリカは歯噛みした後に、絞り出すような声で工事の放棄と、エシュシュまでの撤退を命じた。

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