刊行に寄せて
世界的に名の知られた古今の名著は数多くあるが、その中でメリウス・アリウス・ハルニオスの『ゴルニア戦争に関する覚書』――すなわちアリウスの『ゴルニア戦記』として知られる書物は、特別の価値を持つ物の一つとして名を挙げることができるだろう。
なぜなら、それが古代ユーテリアを制した最も古い世界帝国の一つである、エルトリア帝国の軍事的側面だけでなく、その大帝国に敵対した人々の文化風習にまで言及した、現存する(精確には複数の写本であるが)ほとんど唯一のまとまった資料としての価値を持つからである。また、実際に戦争に従事した人物の手になる作品であり、その客観性は割り引いて考えなくてはならないものの、同時代には類を見ないルポルタージュとしての価値も計り知れない。
とは言え、非難を承知で正直に告白するならば、私は『ゴルニア戦記』を実際に通読した際、いささかがっかりしたと言わなくてはならない。確かに歴史的な資料価値は計り知れないにしても、純粋な文学作品として見た時、決して出来が良いものではないと感じたためだ。
人の悪い私は翻訳の悪さを疑い、長じてから複数の写本を当たっては見たものの、その作業は多くの研究者のたゆまぬ努力の成果と、複数の邦訳者たちが素晴らしい仕事をしたことが確認できたに留まった。
それもそのはず、著者のアリウスは生粋のジャーナリストでもなければ小説家でもなく、軍人なのだ。いや、より精確を期するなら、物書きとしての天性を持たなかった人物と言うべきか。
それがエルトリア帝国で刊行とともに大ヒットを飛ばしたのは、何より時事性があったからである。それを狙ったのかどうか、今では知る術もないが、アリウスはゴルニア戦争終結から半年も経たぬ内に『ゴルニア戦記』を発表している。しかしながら、その当時から二千年ほども経た現代にあっては、時事性も臨場感も歴史の彼方である。
とまあ、良識ある人々の非難必至の感想であり、これまでは要らぬ不和を招かぬためにも心の奥底にひっそりと眠らせて来たわけであるが、もしかすると私と感想を同じくした読者もいるのではないかと思い至ったのが、そもそも本書を執筆するに当たっての動機であった。現代の感覚に合わせた形で創作を混ぜて再構成し、若い読者諸氏にも親しみやすくしてはどうかと愚考した次第である。こうした手法も原典への入口の一つとして有効ではないかと考えたわけだ。
無論、本書は史上に燦然と名を示す著作に肩を並べるべき性質の物ではないが、ひとつアリウスに挑戦してやろうではないかという無邪気な悪戯心が湧いたことも事実である。
本書を読み終えた後に、あなたが原典を隣に並べて「間違い探し」をしようと思い立つならば、私の試みは成功したと言えるし、もしそうでないのならば、あなた自身の手になる『異説・ゴルニア戦記』によって挑戦を得られる日が来ることを願っている。
――旧暦二一一二年サラルヴァの月二〇日、エリシオスにてサレド島を臨みながら